第45話 アリスとダニエル-1
灯里はそこまで言って、思いっきり咳き込んだ。何度も大げさに。
リングバーンの中心部の淀みと、火焔放射器の熱と黒煙が入り込んで、肺が蝕まれているんだろう。
それでも灯里は、まるであいつに勝ち目はないと言わんばかりの口調で立ち回っている。
ぼくは、剣を握った左手に意識を集中させた。真鍮の柄に絡ませた指に、より強く、ぎゅ、と、力を込める。
耳にはごうごうと火焔放射の不気味な音と、灯里のブーツが床を蹴る靴音と咳が響いている。僕たちを見下ろす、悪意の籠もった視線の感覚も、消えることはない。
剣は重く力を込めて、真っ直ぐ撃ち込む。魔法で出来た『心』の剣も同じ様に、相手に向かって真っ直ぐ重く撃ち込む。
灯里の言葉を繰り返しながら、ぼくは剣を撃ち込む方向――あいつに叩きつけたい本当の想いを口にする。
「あいつが父さんを騙って近づいたから、ぼくは父さんを嫌いになった。そして――」
大嫌いになったアリスって名前だって、父さんが生きてた頃は、大好きだった。
迷子のアリスと地下鉄ウサギのジャック・ダニエルのお話の主人公と同じ名前だったから。
「――そうだ。デタラメ吐きのハンプティ・ダンプティ。父さんを、ぼく自身を嫌いになったのはお前の言葉のせいだ」
左手の中の剣が熱を持ち始める。最初に『魔法』を使った日のように。
それと共に、灯里でもあいつでもない優しい声が耳元に聞こえてきた。
それはきっと灯里が、彼女の小さな拳銃に秘められた時間の『魔法』で解き放った声。
ひゅん、と剣を振るう。
刃は黒く染まって、剣先は鋭い切っ先が無くなり、丸まっている。
生まれた風で、近くまで飛んできた火の粉が払いのけられる。
切っ先の鋭さは失せたが、それ以外の刃の全てが、今まで以上に研ぎ澄まされているのが、柄を通じて伝わってくる。
「これがぼくの本当の魔法」
ぼくはあいつ目掛けて走り出す。
左手の中の剣を、身体と水平になるように構える。
剣に――大事な物を台無しにする悪意の全部を叩き壊すための、拒絶の魔法に――ぼくと、ぼく以外のもう一人の思いが乗る。
床を蹴って、より豪奢になった赤と黒のチェックのマントを翻し、ぼくの速度は増す。
『鏡の国のアリス』の結末はぼくも知っていた。
物語の中でアリスは最後、
そして全てのデタラメを拒絶し、ぶっ壊して、終わる物語だ。
今のぼくは迷子のアリスじゃない。
全てをぶっ壊す
「アリス! アリスまで遂に来てくれたか! 俺に食われに! ほうら、こっちは暖かいし! パパだっている! 一緒に来よう!」
あいつがぼくに、邪悪な笑みとパパを装った演技と共に火焔放射器の筒先を向ける。
「アリスのお父さんを名乗るな! 中身のない嘘つきめ!」
絶叫と共にぼくの視界の端で、男の真横に回り込んだコートの少女が、構えた拳銃を躊躇一つなく発砲する。
ぱぁん、ぱぁん、ぱぁん。
灯里は何度も引き金を引き、銀色の拳銃は煙と共に銃弾を吐き出す。
彼女の銃弾はあいつの結晶化した腕に弾かれ、ダメージすら与えられない。
だけど、銃弾の慣性を殺し切ることは出来ない。
ただでさえ脚を折られて不安定だった火焔放射は、遂にあらぬ方向に向かう。
火焔はモザイク模様の柱と石床、そして駅舎の煉瓦の壁を無秩序に焦がす。
ぼくは灯里に目配せし、こくりと短く頷くと、再び柱を蹴って飛ぶ。まだ吹き荒れている黒煙の中に飛び込み、一気にあいつとの距離を詰めた。
刹那、火焔放射器が炎を吹くのを止めた。
「アリス、アリス、そうだよ。帰っておいで、一緒にいよう。アリス……」
優しい父親を装う演技の裏に欲と歪んだ歓喜があふれ出た醜悪な笑顔が、ぼくを、そしてぼくの魔法を叩きつけるべき方向を明確に教えてくれた。
「……父さんの声で、喋るなあああぁぁっ!」
剣があいつの下腹に深々と刺さると、そのまま込められた力で、真っ二つに折れる。
ぎりぎり、ぱきぱきと下半身から伝わった傷で、結晶化した両足が割れる。
氷を噛む時のような嫌な音に混じって、あいつの声色と同じ声が、魔法を通じて頭の中――多分正確にはぼくの『心』の中で響いてくる。
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