第44話 ハンプティ・ダンプティ-3
壁にもたれて倒れているアリスに目を配ると、両手で銃把を握りしめる。
銃把の確かな感触は、今のわたしの『心』に芽生え始めた諦観と恐怖を抑え、反抗心を繋いでいた。
「こん、ちくしょうっ!」
わたしは銃爪に指をかけて、絶叫と共にまた何度も引き絞る。二回、三回、四回。その度に銃声と、硬質な金属にぶつかる音が同時に聞こえる。
わたしは銃爪を引き続けた。
引き金の手応えが無くなって、銃声が止んでも、なお引き続ける。それがわたしの反抗心を保ち続けるための行為なのだとわかっていたから。
ハンプティ・ダンプティはわたしの銃撃など何一つ効いていない様子でゆっくりと歩みを進め、わたしの足元にまで迫ってきた。
そこで男は火焔放射器の片方の銃把から不意に手を離した。
なぜ。思うよりも先に、答えが男から示される。
男の手がわたしに伸びて、払い投げられる。そしてわたしの身体は石の床に思いっきり叩きつけられた。
「あのなあ、俺たちに踊らされてただけの愚民が、俺に楯突くなよ」
悲鳴を上げる間もなく、背中に強い力がかかる。
ハンプティ・ダンプティの靴底がわたしを押し潰そうとしてる、理解する間も背骨と肺を圧迫され、痛みと激しい息苦しさに「うぐぇ」と変な声が漏れる。
「そうだ。お前らは何にも考えず、素直に俺たちに騙されて、騒いで、舞い上がってりゃ良いんだ。逆らったりするとこうなるんだぞ、なあ」
「……お母さんの言う通りだ。お前なんか全然偉くも、怖くも無い」
圧迫はどんどん強まり、銃を握ったままの指先の感覚も無くなってくる。わたし自身も息苦しさと寒気が止まらない。
けれども、冷たくなる指先と真逆に完全に茹で上がったわたしの頭は、こいつを罵ってやらないと気が済まなかった。
「『業界』のカサ被ってるのが偉いと思って、みんなを操ってると勘違いしてるバカ野郎! 居場所がないのはアリスでもアリスのお父さんでもない! お前みたいな、時代遅れのバカ野郎の方だ!」
わたしの挑発が効いたのか、ハンプティ・ダンプティは唸るような声を上げ、圧迫が余計に強くなる。息苦しさに思考が白く塗りつぶされようとする。
ああ、これは終わっちゃう。と、わたしは回らない頭で自分の絶望的状況をようやく察し始める。
でも、そうはならなかった。
「灯理を、離せえええっっ!」
絶叫と、硬質な何かが割れる音が遠のく意識の向こうで聞こえ、圧迫が無くなる。
急に気道が再確保されて、わたしは飛び込んできた空気の渦に喉と肺が過剰反応を起こして、その場でごほごほと大げさに咳き込む。
ねっとりと重く淀んでいる上に火焔放射で熱された、サウナのようなレモンくさい空気がわたしの肺を急速に満たしていった。
「灯理、大丈夫?」
聞き慣れた、凛とした声がわたしに問いかける。
「ありがとう。多分あとちょっと遅かったら本気で死んでた」
わたしはごほごほ、げほげほ咳き込みながら答えた。
「よかった。間に合って」
男とわたしの間に割り込むように立ったアリスは、口元に力強い笑みを浮かべている。
やっと咳が止まり、床に手をかけて、よろめくように立ち上がったわたしは、足元に何かが落ちているのを目にした。
根本が結晶化した人間の足首と、あの洋物の革靴だった。
「アリス、これ」わたしは足元の革靴を指差して、恐る恐る訊く。
「……走って!」
アリスはわたしの問いに答えず、叫んで促す。
「アリス……許さないぞ、お仕置きだっ!」
砕かれた足首と靴の主――ハンプティ・ダンプティは先程と違うひょこひょこしたぎこちない動きで、しかし再びわたし達に炎の揺らめく筒先を向ける。
わたしとアリスは駆け出し、その後を暴炎が追った。
片方の脚を砕かれてバランスを失ったハンプティ・ダンプティは火焔放射器の反動を制御できず、筒先は身体と共にぶれにぶれ、吹き出した炎は辺りに無秩序に撒き散らされる。
その様子はまさに暴炎だ。石油の匂いと共に舞う火の粉は、わたしのコートにも、アリスのマントにも容赦なく降り注ぎ、穴を開けてゆく。
「脚を砕いたって事は、このままやってたら勝てそうなの?」
「多分無理。あれは脆い部分だったから壊せただけだと思う」
わたしはアリスに追いつこうと全力で足を動かす。
「あれを砕かないと完全に
感情を顔に顕わにしたアリスは「くそったれ」と呟き、また奴の方に走ってゆく。
わたしは取り残されるようにその場にしゃがみ込んで、呼吸を整える。
せっかく奴を
何の関係もないわたしだって悔しいくらいなんだ。アリスは何倍、何十倍悔しいだろう。
その時、とん、と何かがわたしの膝に何かが当たる。
何かと思ったら、子猫程の大きさの、二対の尖った耳の兎みたいなウロだった。
その特徴的な外観のおかげで、マホカツの時やさっきのホームで見た、アリスを追いかけてるというウロだとすぐわかった。
きゅぷ、きゅぷと、兎ウロはわたしの膝に体当たりしてくる。
それは明確な意志を持ってそうしてるように見えた。
「……あなたも、あいつを倒したいの?」
わたしはウロに訊く。
ウロはそうだとばかりに、首を上げ、無言でわたしを見上げた。
この子は、ただ市獣を厄介がる街の住民とも、同じ動作を繰り返すだけのウロとも違う。わたし達に本気で味方するつもりでいるのだ。
そのために、わたしに頼ろうとしている。
そして今のわたしには、ウロに変わってしまうくらいすり減った心の時間を見つけて動かせる魔法――『金色の雫』がある。
「……わかったよ」
自分の眼と眼鏡に意識を向けたまま、銃のコッキングピースを引き、金の弾丸を込める。
ウロはリングバーンが消化できなかった、心の中の拘りや希望、誇り。
アリスの言葉を信じるなら、きっとウロという存在には、止まってしまった心の欠片が残っているのだろう。
わたしは全ての意識を眼鏡と照門と照星を通じて、その先のウロに向ける。
眼鏡越しにわたしをじっと見上げるウロの、時間の止まった心を『視た』瞬間、さっきまでの絶望が希望に変わっていくのを、わたしは確かに感じた。
ウロの形で保たれるほど強く抱いた想いの籠もった、この『人』の最期の十数分の『心』は、アリスに力を与えてくれる。あいつをこの街からも永遠に葬れる力を。
「お願い、アリスを助けてあげて下さい」
ぱあぁん! と発砲音と共に、ウロの最奥の光に向かって金の弾丸が吸い込まれる。
金の弾丸がウロの中で弾け、音もなくその姿が消えてゆくと共に、わたしの頭に直接言葉が響いた。
それはハンプティ・ダンプティの発する声によく似ていたが、トーンも口調もずっと暖かくて、彼の本当の『心』からの声なんだと感じた。
「……お母さん、あなたのこと恨んでませんでした。心配してたくらいです」
小さく呟いた後、わたしは石畳を蹴って、アリスの前に踊り出た。
「灯里! 危ないから下がって! 君の銃はこいつに通じない!」
「そんなのわかってる、だけどちょっとの間わたしが相手する」
声を荒らげるアリスにわたしは、自分でも信じられないくらい落ち着いた声で返す。
マガジンを替えてコッキングピースを引き、赤銅の弾丸を込める手は、あいつと相対する緊張と恐怖に、汗でびしょびしょになってる。
しかし、わたしの心は驚くほど凪いで、冷静だった。
「その間アリスは自分の心を、魔法を研ぎ澄ませて。そしたら剣を打ち込む方向を、本当に叩きつけたい想いが伝わるはず」
「向き合うって、どういう意味……」
「アリスの味方は、わたし以外にもさっきから近くにいたんだ」
アリスはわたしの言葉を飲み込めないまま、けどわたしの言う通りに目を閉じる。
わたしは逃げることなく、ハンプティ・ダンプティに向かって『金色の雫』を構えた。
照星の先は、瞬く間に橙色の炎で阻まれる。
わたしの方を向いた橙色の暴炎と不気味な黒煙は、彼の中の傲慢な激情がそのまま放射器から吹き出しているようにさえ思えた。
わたしの顔の市獣を倒した『金色の雫』の暴発も、炎と結晶の前には通用しないだろう。
でも。
「かっははははっ! 遂に食われに来たかい! そうだよ! 君みたいなガキはそうやって俺たちの食いものになるのが一番だ! 俺たちみたいな作り出す側の食いものに!」
わたしは勝ち誇ったような気持ちで目の前の火焔放射器を背負ったスーツ男に叫んだ。
「やっぱり。お前はアリスのお父さんのこと、なんにもわかってない!」
炎はわたしを飲み込もうと広い範囲で吹き荒れる。灼熱が気道にまで届きそうな中、わたしはあえて煽るように火焔放射器男に向かって、挑発の言葉を吐き続ける。
「結局お前は千里大輔のニセモノの部分を映しただけの、ニセモノのニセモノ! 無理して被った『業界人』の真似だけした、デタラメ吐きのハンプティ・ダンプティだ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます