第43話 ハンプティ・ダンプティ-2
「君は一体何なんだ! 俺の邪魔ばかりしてくれて!」
「百瀬灯理だ!」
ハンプティ・ダンプティの問いかけに対して、ほぼ反射的に、口を突いて言葉が出る。
「
全力疾走中に大声を出したせいで呼吸が乱れて、足が遅れを生じさせる。
後ろ髪と背中に直に熱が伝わってくる。そのまま背中に火が点いて、コートも、髪も、背中の皮膚も、あっさり焼けるんじゃないかというくらいの熱さだ。
「灯里ちゃん、ね」
ハンプティ・ダンプティがわたしの名前を口走る。
「そうだ!」
ばぎぃん! と鋭い破砕音とハスキーな絶叫が、がらんとした構内に重なるように響き渡る。
それと同時にわたしの視線の端っこから、アリスが一直線に勢いよく飛び出てきた。
アリスの靴底に思いっきり蹴っ飛ばされた自動券売機が、盤面とボタンの残骸を撒き散らして石の床に賑やかな音を立てる。
まるで空を走っているように、アリスは速く、真っ直ぐに跳ぶ。
高速で飛び込んでくる彼女に男は火焔放射器を向けようとするが、遅かった。
火焔はわたしを追いかけてくにゃりと曲がったままで、アリスを捉えられない。
「お前がずっと一人ぼっちって言い続けたぼくを……」
たん! と黒いエナメル靴の先から石の床に着地すると同時に、アリスは突進の勢いを殺すこと無く、斜め上から振り下ろすように、刃を火焔放射器男に叩き込む。
「受け入れて、目を覚まさせてくれた友達だああああああっ!」
アリスの喉がこんな声を出せたのかと驚くほどの咆哮と共に繰り出された斬撃は、ハンプティ・ダンプティの身体を確実に抉り、あの高価そうなスーツとシャツを一直線に切り裂く。
そして奴はゆっくりとバランスを崩してその場に倒れ込んだ。
ふぅ、ふぅ、と肩で息を切るアリス。額には汗が滲み、見るからに苦しそうだった。
でも、頬以外にアリスの身体に切り傷の跡は一切無い。
『心』の方向は間違いなく、あいつだけに叩きつけられていたようだ。
「アリス、大丈夫!?」
駆け寄ろうとするわたしに、アリスは手を向けて制止させる。
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから! それより銃を構えて!」
「倒したんじゃないの!?」
あんなに物理的にも『心』にも勢いを付けて、ばっさりと斬ってしまったんだ。
致命傷は免れないはずだろうと思ったのに。
「全然手応えが無かった。こいつはもう普通の市獣なんかじゃなくなってる」
アリスは口元を手で押さえながら、憎々しげに吐き捨てて、男を見つめる。
「そうだ」
ハンプティ・ダンプティの声が改札口に反響する。
「灯里ちゃんだっけか? 君の真似をしたあのヒヨッ子の市獣程度なら今の一撃で十分だっただろうね」
アリスの言う通り、床の上に倒れていたままの男は耳に付くねとりとした声でそう口にしながら上体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
「ただ俺は特別だ」
「うそ……」
わたしは男の身体に釘付けになって、絶句する。
わたしの顔をした市獣の少女は、少なくとも人の形を保っていて、傷口から黒い粘った血のようなものを流していた。
だけど、こいつは違った。
切り裂かれたスーツの下に見える身体は、もう人のそれとは言えない。
それは前に理科の授業で見た、珪化木の標本のような形の、ささくれた柱状の紫色と黒色の鉱物。
不気味に光るそれは胸の上まで身体を支配し、ワイシャツの襟の上から先と、スーツから覗く手だけがかろうじて人の肌の色だ。
「アリスは、これ知ってたの……?」
「知らなかった」
アリスはそう自嘲気味に吐き捨てて。剣を上段で構えた。
「スーツを切ったのは初めてだから。知ってたならもっと早くこいつが父さんじゃ無いって気づけてた」
口元を思いっきり歪めて、ハンプティ・ダンプティはわたしたちを嘲笑う。
「千里大輔の事故に
ハンプティ・ダンプティは先程のアリスの一撃で変形した火焔放射器のグリップを握ると、濁った視線でわたしたちを捉えて、引き金を引く。
ごぅ、と先程より上向きに黒い煙を伴う火焔が溢れ出て、弧を描いた炎の雨が、わたしとアリスに降り注ごうとした。
「走って!」
アリスに言われて初めて我に返ったわたしは、間一髪で炎を避けて、アリスと二手に分かれて柱の後ろに隠れる。
男の発した炎がごうごうと恐ろしい音を上げながら、縞模様の柱を焦がしてゆく。
「灯里ちゃァん! 君の両親は小さな幸せを掴んでそれでいいつもりなんだろうが、あの時君のパパがあの人を殴ったのが、千里大輔を追い込んだんだぞ!」
ハンプティ・ダンプティはさも面白そうな口調で口にする。
「でやあああっっ!」
別方向からアリスの一撃がまた男を襲う。だが甲高い金属音と共に胸の結晶の表面に微かな引っ掻き傷をつけただけで、逆に振り向きざまの肘の一撃が飛ぶ。
鈍い打撃音と悲鳴と共にアリスは吹き飛ばされ、床に倒れた。
「今回のお礼に君と両親も引きずり込んであげるよ! 娘の丸焼きを見せつけるんだよ!」
かはは、と高笑いと共に再び火焔放射が始まる。逃げても回り込みながら迫ってくる火焔は柱を確実に焦がし、わたしを追い詰めてゆく。
「お父さんたちの気も知らないで! 逆恨みみたいなこと言うなっ!」
わたしは一瞬だけ顔と拳銃を持った手を出して、男の頭に弾丸を浴びせる。
顔をぶん殴ってやる代わりに、と思ったのたが、弾丸は頭を貫くこと無く虚しい音を立てて弾かれてしまう。
『心』の力を乗せた剣も珪化木のような結晶を斬れない。頭もあの有様だから、きっとあの結晶と同じ様になっているに違いない。
つまりどんなに頑張っても、わたしたちじゃダメージが与えられない。
そんな推測を抱きはじめたわたしに、悪意と優越に満ちた視線が、上階の回廊や明かり取り窓の向こうから容赦なく降り注いでくる。
リングバーンの意志たちが、わたしたちを嘲笑っていやがるのだ。
「……なんなの、もう!」
わたしは柱の陰から飛び出して、火焔を逃れようと走り出す。
火焔の帯はかはは、というハンプティ・ダンプティの高笑いと共に真っ黒い煙を吐きながら追いかけてくる。
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