第23話 魔女の心配事

 改めて明るい時間に訪れた茉莉伽さんの家は、前に来た時ほどに幻想的な印象は抱けなかった。

 明るさもだが、先日はなかった廊下の生協の宅配ボックスと、ネット通販の段ボール箱のせいなのは間違いない。


「なるほど」


 二階の彼女の書斎で、茉莉伽さんは大きな机を背に、モケット張りの回転椅子に腰掛けて、ティーカップ(今日は中身は普通に紅茶だった)を傾ける。


「貴女の姿をした市獣の悪意を想像したところ車掌鋏が銃に代わり、魔法に導かれるがまま香織ちゃんを癒やし、香織ちゃんを傷つけようとした市獣を無我夢中で撃ち抜いた……と。それで間違いありませんね」


「はい」


 一人用ソファに遠慮がちに座るわたしは、こくりと頷いた。


「まあ、なんともなんとも……」


 ぶつぶつと茉莉伽さんは小さな声で呪文を唱えるように何かを呟く。


「あの、何かおかしいことでもあったんですか?」


「ええ。アリスちゃんの伝聞で引っかかる部分があったので、改めて灯里ちゃん本人から話を聞いたのですが……やはり少し引っかかりがありまして」


「引っかかる部分、ですか」


「貴女の鋏をちょっとの間だけ貸してもらえますか?」


「あ、はい」


 わたしはスカートのポケットから、銀の鋏を手渡す。

 あの後、『魔法少女』の誘惑に負けて二段ベッドの中で毛布にくるまりながら、何度も力や願いを込めて握ってみたものの、終ぞ拳銃に変わらなかった銀の鋏。

 それが茉莉伽さんの手に渡ると、みるみるうちに小さな銀色の拳銃が姿を現す。


 茉莉伽さんの手には大きいが、わたしの手のひらにはすっぽり収まるくらいの、小さくて頭でっかちの白銀色の銃。

 つやつやした横のところには、流麗な字体で文法のおかしなアルファベットの言葉が刻まれている。

 茉莉伽さんは小さな手には余る大きさの銃を、とか、うんうん、とか言いながら色んな角度から眺める。


「九四式拳銃なんて久々に見ましたわ」


 茉莉伽さんがぽそりと呟く。


「知ってるんですか?」


「ええ。旧軍の将校用の銃で。私も戦後に暫く護身用に使っていましたが、何と言うか……ちょっと肯定的説明がしにくいと言うか」


 茉莉伽さんの様子に、大して良くない出来の銃と言うのは嫌というほど感じ取れた。

 言葉を濁される程度に出来の良くない物が心の形というのは、鈍くさいわたしらしいのかもしれないけど、なんとなく傷つく。

 茉莉伽さんは拳銃を振り、ふっくらした指で側面の部品をなぞる。そして口元に微かな笑みを浮かべて、また口を開いた。


「でも、これも灯理ちゃんの心らしい形だと思いますわ」


 改めて切り出した茉莉伽さんの口調は、わたしの機嫌のために慌ててフォローするような感じではなく、これこそ相応しい、と言う確信に満ちているものだった。


「小柄な女の子の手に収まる大きさ。暴発しやすいという点も本物の銃としては致命的な欠陥ですが、灯里ちゃんの『心』と想像力の特性を反映したならば相応しいと思います」


 茉莉伽さんの言葉に、わたしはあいつと戦った時のことを思い出す。あいつの肩を吹き飛ばした一撃は、わたしが引き金に指をかけないまま発射されていた。

 暴発、というと言葉が悪いけど、抑えてた感情を爆発させる魔法って言いかえれば、確かにわたしらしい武器なのかもしれない。

 茉莉伽さんはその後まだ暫く銀色の銃を撫でたり、弾いたり、近づけたり遠ざけたり、矯めつ眇めつしていた。

 数分ほどそうやって、やっと何か納得したのか「ああ」と声を上げ、拳銃をわたしの手の中に返した。

 わたしの手のひらに入った瞬間、銃はまたあの銀色の車掌鋏へと変わる。


「引っかかっていた点が氷解しましたわ」


 茉莉伽さんはほう、と一息ついてから、ティーカップのお茶を啜った。


「灯里ちゃんの魔法の正体。街に囚われた人間の心を元の状態に戻したと聞いて、もし万が一癒やしの魔法の類と思って心配したのですが……違うものだったので一安心でした」


 茉莉伽さんは心底安堵したのだろう。とても優しい表情をわたしに向けていた。


 心を癒やす魔法はリングバーンが産まれる切掛で、茉莉伽さんが大好きだった人が死んでしまった切掛だ。

 きっと茉莉伽さんにとって、癒やしの魔法は酷いトラウマなんだろう。

 達観した九十歳超えの『魔女』にも心がざわつくほどのトラウマがある。

 意外だと思ったけど、茉莉伽さんも魔女である前に人間なのだから、過去を怖がっても当然だろう。


 茉莉伽さんは、ゆったりと語り始める。


「灯里ちゃんの魔法ヘックスの本質は癒やしでなく、時間ですね。外傷とあの街の干渉で止まった心の時間を、弾丸を模した魔法ヘックスを撃ち込んで改めて動かすと言う物のようですわ」


「えっと……それって心を癒やしてるように思うんですけど」


「全然違います」

 茉莉伽さんはきっぱりと断言する。

「例えるなら、止まってしまったネジ巻き時計を、歯車の歯を付け直し、油をして、もう一度ネジを巻いてあげる魔法。時計が止まってしまった事実を無かったことにする癒やしの魔法と根本的に別物です」


 茉莉伽さんの例え話で、やっとわたしは、自分自身の魔法について合点がいった。

 つまりわたしはあの時、わたしは香織を元に戻したんじゃなく、裏切られた傷が原因で、リングバーンと市獣が止めていた香織の時間を動かしたということだ。


「ただ、今回はお互いがお互いをよく知っていたから上手く行ったというだけで、不完全状態には違いありませんので。自身の魔法が誰にでも通じるとは思わないことですわね」


 茉莉伽さんの忠告からは優しさが消え、かわりに凄みが混じっている。


「香織さんのような市獣による明確な干渉を除けば、リングバーンに魅入られてしまうということはその方の自己責任でもあります。誰かを救えなかったことを自身の力不足と嘆かないように。あの街の半分は、もう誰の手でも救えない者です」


 きっと茉莉伽さんの忠告は、いずれわたしが誰かを救えずに嘆く日が来るのを想って、心配してくれているのだろう。

 だけど、あの日リングバーンに向かう電車に乗ってしまったわたしや、あの電車に乗っていた人達を、救えないなんて言うのは、冷たく突き放すようで嫌だった。


「そう言えば、香織は大丈夫なんですか?」


 わたしは恐る恐る話題を変える。


「その点は大丈夫です」


 茉莉伽さんはさっきまでの忠告が嘘みたいに、あっさりと断言する。


「あの硬券切符を切った場合、あの街との縁をできるだけ絶つ魔法を込めていますから。その前に刻印を付けられてしまった人物以外はまず二度と入ることはありません……特に市獣に啖呵を切れる人なら、市獣の囁く言葉に耳を貸すなんてありえませんでしょうし」


 魔女の最後の皮肉にわたしはこれ以上無いほどに納得し、心の中で思いっきり首肯する。

 香織なら灯里ゾンビが何言っても動じないし、絶対反撃する。

 紅茶を飲み終えてそろそろお邪魔しようかと思うと、茉莉伽さんはそれを察したのか灯理ちゃん、とわたしの名を呼ぶと、くるりと椅子を回転させる。


「ライン、やってるんでしょう? アドレスを交換させてくれるかしら」


 椅子の背越しにそう言うと、茉莉伽さんは回転椅子から降り、机上の黒いノートパソコンをわたしに見せた。


 画面には聖橋ひじりばしを背にした二人の女性の白黒写真の壁紙、そしてその上にちょこんとパソコン版のラインが表示されている。


「いいですけど……」


 わたしもポケットからスマートフォンを出して、アプリを起動する。

 操作している瞬間、少しだけ指と心に抵抗感を覚えている自分がいた。

 まだ会って数回の相手だからという理由もあるが、魔法のプロの逆鱗に触れる失言を――例えば『魔法少女』とか『変身』とかのワードを入力するとか――して、怒らせないかという不安があった。

 だけどお昼に千里さんにあんなことを言った後だ。自分だけ拒否はできない。


 QRコードリーダーを呼び出し、茉莉伽さんのパソコン画面に向ける。スマホはぴろんと音を立て、友達欄の千里アリスの文字の上に『橿家かしやまりか』の名前が表示される。

 友達欄の名前が埋まったことの嬉しさと、同じだけの不安を感じながら、わたしはスマホをポケットにしまう。

 香織とわたしに詰められていた千里さんの気持ちをなんとなく思い知らされた。


 突然ぷっ、と茉莉伽さんが吹き出した。


「大丈夫ですわ。私、あまり自分から連絡はしませんから」


 ころころと外観年齢に似合わない落ち着いた笑い方をする茉莉伽さん。


「私のラインはどちらかと言うと業務連絡と、ホットラインのようなものですから。嫌だと言っても『輪上の乙女シャフレーン』ならば何が何でも登録させて頂きます」


「ホットライン、ですか」


 訝しげに訊くわたし。


「ええ。このシンクパッドちゃんは私自身が魔法をかけていじった特別性で、リングバーンからの電波も拾えますので。もしリングバーンで何かわからないことや緊急の用事があれば、ここに連絡をくださいまし」


 幼い容姿の老魔女は黒いノートパソコンをぽんぽん叩きながらふふ、と底知れない笑みを、わたしに向けたのだった。


 帰り際、ローファーを履いて玄関から出た直後のわたしを「ああ、待って下さい」と茉莉伽さんがまた呼び止める。


「灯理ちゃん、貴女に憑いた市獣はまだたおれてないと言うことを忘れずに。今暫く傷を癒やすため動かないでしょうが、それでも貴女自身や近しい人に気を配って下さいまし」


 それは重々承知している。香織は助かったけどあいつは絶対またわたしか、わたしの近くの誰かを狙いに来るだろう。

 わたしは、わかりました。と断って、洋館の両脇の門をくぐった。

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