第24話 小さなアリスと重い剣

 中野駅に着いた時には、空は今降りた中央線の電車の帯色より深い橙色をしていた。

 昨日あれだけの啖呵を切ったはずなのに、まだ切り替えの上手く行ってないわたしの頭は、お母さんの心配を考えている。


「……お母さんは、眼鏡の何が怖いんだろう」


 お母さんがわたしをあんなに心配する理由は、結局お父さんが遮ってしまったために聞きそびれてしまった。

 だけどお父さんの言い方は、絶対に特別な理由があるようにも思えた。


 マンションの玄関のドアを捻って家に入るなり、わたしを出迎えたのは、お母さんの「灯理」という、拓がヒステリーと呼ぶあの声だった。


「遅かったけど、どこ行ってたの?」


「友達の家行ってたの」


 少しだけ、嘘をついている気分だった。

 会ってまだ二度の相手を友達と呼べるのかどうか、茉莉伽さん本人は笑って友達と言ってくれそうだけど、わたしにはわからない。


 わたしはお母さんをいなして、子供部屋の扉を開ける。


「お帰り、姉ちゃん」


 拓は相変わらずわたしに背を向けて、画面の中の剣を持った黒髪の女の子を操作している。

 ただし今日はいつも程うるさく無く、女の子もいつもの巨大ロボでなく、もっと小さな蒸気仕掛けのロボを次々倒してる。


「いつものでっかいのとは戦わないの?」


「勝てなさすぎて修行中」


「着替えるからこっち見ないでね」


「誰が見るか。ちんちくりん」


「あんたもちんちくりんでしょ。わたしと身長五センチしか変わらないくせに」


 お互いにちんちくりんなのは母方のおばあちゃんの隔世遺伝だとわかっていても、身長の話は格好の姉弟いじりのネタなのだ。


 でもこんな風に姉弟で軽口を叩きあうのなんて久しぶりだ。

 最近はリングバーンのごたごたに巻き込まれたりして心に余裕がなくなっていたから、余計にこんなやりとりが懐かしくて、それが嬉しかった。


 制服を脱いで、箪笥の段の上の方から薄黄色のトレーナーと、香織と遊びに行ったときに買ったタイトめのジーンズを取り出し、着直し始める。


「やっぱアリスじゃ勝てねえのかなあ」


 拓のぼやきに混じった聞き覚えのある単語に「え」とわたしは裏返った声を上げ、思わず履きかけのジーンズから手を離す。

 ジーンズの前は開ききり、パンツ丸出しの格好だ。


「どーしたんだよ、姉ちゃん」


 拓は不思議そうに訊くも、視線はテレビに向いたままで、幸いにもわたしのパンツを見ることは無かった。


「いや、ちょっとね……アリスって言うの? その剣持った子」


「そ、アリス・リデル」


 拓が興味を持ったらしいわたしに対して、少しだけ雄弁になる。


「これ19世紀のヴィクトリア時代のイギリスが舞台で、その頃の現実の人とかフィクションのキャラが戦うゲームでさ。アリスは特に足遅いからボスのミサイルとかガトリング避けらんなくって、今移動速度上げるアイテム稼いでるんだよ」


「へえ」


 テレビ画面の中を走り回って大きな剣をぶんぶん振り回す黒髪のアリスは、確かに周りのロボットと比べてもちょっとだけ脚が遅いように思えた。

 同じ剣を持ったアリスでも、わたしの知ってるザクザク髪の方のアリスとはかなり違う。


「他のキャラとか使わないの?」


「一時期チャーチル使ってた。でも速いけど攻撃軽すぎてチマチマやんのが嫌んなって、結局アリス使いに戻った」


 拓は小刻みに肩と背を揺らしつつ、着替えるわたしに向かって語る。


「足遅いけど攻撃が重くて、真っ直ぐ叩き込むタイプだから、俺的には気に入っててさ。俺に似てると思って」


「似てるの? この子と?」


 拓の突然の妙ちきりん発言に、再び声をひっくり返すわたし。

 画面の中でロボットを切り結んでいる、黒髪ロングの真面目そうな女の子は、わたしの知ってる方のアリスとも似てないとは思うが、拓に似てるとも思えなかった。

 せいぜい共通点なんて髪の色と背丈程度だろう。


「戦い方が似てんの」

 拓はむすっとした呆れ声で反論してくる。

「重い剣で真っ直ぐ打ち込むの。俺、剣道でそういう戦法してるから」


 拓の指摘で合点が行って、「そういうこと。ごめんね」と返すわたし。


「俺さ、他の奴よりちょっとだけ重い竹刀使っててさ。バーン! って重い一撃真っ直ぐ撃ち込むの。取る時は気持ちいいぐらい良い一本取れるんだけど、結構負けるんだよ」


「なんで?」


「竹刀じゃなくて、師範が言ってたマジな刀の使い方を真似してるから。竹刀の剣道って軽めの竹刀で素早くバンバン撃ち合って、パーンって一本取る高速剣道ってのが普通なんだけど、俺は本物の刀と同じ風に重い竹刀で力込める方向決めて、思いっきしその方向に力乗せて、こう、スッパーンッ! って重いの食らわすようにしてんの」


 普段剣道に興味なんて持たない姉が興味を示したことが嬉しいのか、擬音にわざわざ強弱を付けながら拓は得意げに語り始める。

 だけど聞いてる方のわたしは拓と逆にちょっとした呆れ混じりで、疑問を口にする。


「じゃあ他の人みたいにやればいいでしょ。なんでそんな変な拘り出すの」


 どうせ香織以上に影響されやすい拓のことだ。

 師範さんの言葉を真に受けて、アニメやゲームの剣士の真似をして打ち込んでるうちに、それが本人の拘りに変わったんだろう。

 わざわざ負けを込ませる必要なんかないのに、拓はそういうところで意固地になって拘りを捨てなかったりする。その辺りは諦めの良い姉と真逆だ。


 だけど拓の返した答えは、意外なくらい真剣味を帯びていた。


「俺は剣道やるからには本物と同じようにやらないと失礼だと思うし、竹刀でしかできない剣道やる奴って、途中までは上手く行くんだけど、途中で一本を取れなくなるんだ」


 肩を動かす拓の背中は、しかし、さっきまでより凄みがあるようだった。


「竹刀でしか出来ないような軽い一本を本物の刀でやっても、変な方向にばっかり力入って、刀の方が折れるって。だから早くて軽い一撃で一本取るのに慣れすぎたら、段位上がると有効取れなくなって行き詰まるって前に師範代が言っててさ。俺は絶対上行きたいと思ってるから、それ聞いて俺はずっと、重くて真っ直ぐな一撃に拘ってんの。師範代にも『百瀬は動きの隙はデカいが剣の冴えは一番だ』って言われてるし」


「そうなんだ……」


 そこには拓なりのとても真剣な理由と譲れない物があったようだ。


「剣道にもそういうのってあるんだね。拓のことちょっと見直したわ」


 拓は「まーな」と、普段皮肉ばかりの姉に突然尊敬されたことの面映ゆさを隠すようにぶっきらぼうに返してくる。こういう素直じゃない反応が、拓の可愛いところだ。


「それにアリスも避けるの苦手だし防御も固くねーけど、ゲージ最高に溜まった時の奥義は最強だぜ。他のキャラじゃ無理な大型だって思いっきりぶっ飛ばして、長時間気絶もさせるし……やった後の隙長いから協力プレイかザコ沸かないボス戦でしか使えねーけど」


 そうして今も大きな剣を振り回す、黒髪のちっちゃなアリスを褒めちぎる拓は、オルゴールのピンを弾くような音ともに画面に表示された文字に「っしゃあ!」と歓声を上げる。

 どうやら黒髪のちっちゃなアリスの脚を速くするアイテムを手に入れたようだ。

 わたしも拓につられて嬉しさを覚えた。


 ジーンズの前を止めてベルトを締めてから、部屋の扉をもう一度開ける。


「姉ちゃん、今リビング行かない方がいい」

 拓はちょっとだけ神妙な口調になっていた。

「さっきワイドショーで新宿のカラオケでハーブ売買ってネタやってて、俺までカラオケ禁止令出されたもん。昨日の眼鏡の話で地雷踏んでんだしさ、こっちいた方がいいって」


「ご飯の時に絶対に顔会わすことになるでしょ」


 わたしはそう返しつつ目頭を軽く押さえる。

 今日は眼の違和感はすんなりと消えてくれた。


「姉ちゃん、最近変わったよな」


「そうかな?」


「そうだよ。いっつも不満そうな顔して溜め息ばっかだったのが、眼鏡のことを自分から言い出したり、母さんに言い返したり。ちょっと前の姉ちゃんから絶対考えられねーもん」


 そっか、とわたし。


「ここ何日かで色々あったんだ。香織と大喧嘩したり、それで新しい友達が出来た」


「新しい友達って、姉ちゃん電話で呼び出したって人?」


「うん」


 また一つ、嘘をついた。

 千里さんがわたしを友達と思ってくれているかは謎だし、わたし自身、まだ彼女を友達と言えるほど親しくないんじゃないかという抵抗感がある。

 でも、そういう言葉を使わないと、千里さんをどう表現すれば良いのかわからない。多分嘘も方便って奴で、許されるのだろう。


「香織と喧嘩しちゃったのも、その新しい友達のことでね。お互いに悪いとこがあって、そこがすれ違っちゃって……ただ色々あって、嫌な奴殴っちゃったらすぐ仲直りできた」


 拓は戸惑いと不可思議の混じる声色でへえ……と返してくる。

 思いっきり端折はしょってもこれだ。

 まさか端折った部分――リングバーン、茉莉伽さん、灯里ゾンビ、拳銃、そして千里さんとの出会いやわたしが『魔法少女』となってしまったこと――を話したらと思うと、余計に混乱させてしまうだろう。


 わたしは拓と黒髪の小さなアリスに「頑張ってね」と声を掛けてから、スマホを手にリビングへ向かう。

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