第16話 友情の行方-2
「やってくれましたね。アリスちゃん、灯理ちゃん」
振り返ると、苦々しそうな表情をした茉莉伽さんの姿があった。
レース付きのロングスカートによく似合う赤い靴を突っかけた茉莉伽さんは、香織の消えていった方を向いて、はあ。とわざとらしく溜め息を吐く。
「我が家の前で喧嘩をされたのもですが……いくらリングバーンの話が通じないだろうとはいえ、あんな言い方をすれば心が不安定になります。ただでさえ彼女、親友に裏切られたと思い込んでショックを受けていらしたというのに……」
「あの、つまりそれってどういう意味ですか?」
「彼女はあの街に囚われやすい状態にあると言うことです」茉莉伽さんは駅の方に視線を向けて、さらに続ける。「それに彼女、市獣が憑いていましたわ」
「あの影……!」
滑るように香織を追う影の姿がフラッシュバックする。あれが市獣だったのか。
「やっぱり、灯里ちゃんにも見えてましたのね」
茉莉伽さんの言葉は、わたしに影が見えていたのを予め知っていたような言い方だった。
「おそらく灯里ちゃんの刻印を追って食べるために心の波長を合わせて『表』に放った物でしょう。『表』で灯里ちゃんの心に干渉し、徐々に乱してリングバーンに導くつもりだったところに、灯里ちゃんと接点があり、なおかつとても心が乱れている狙いやすい獲物が現れた。その状態で境界を――『表』の
ふう、と一息ついてから茉莉伽さんは千里さんをじとりと恨みがましく睨む。
「みすみすあの街に人を食わせるのを見ている気ですか。アリスちゃん、助けに行ってあげなさい」
「ぼくだと逆効果になりそうなんですが」
「あなた以外に今即座に彼女を追える『輪上の乙女』はいません。常人はあの街の領域に踏み入れた瞬間に自意識を喪失するわけですから、その状態で『表』まで引っ張ってきなさい」
茉莉伽さんの追求と指令に千里さんも目を伏せながら黙って了承する。しかし、わたしは「ああいう相手はやりづらいんだ」とこぼすのを聞き逃さなかった。
あの。と、そこでわたしはおずおずと小さくなりながら手を挙げた。
「わたしも行きたいです」
「百瀬さん」
千里さんが制止する。
「覚悟ができてないなら来ないで。ここで待ってて」
「いえ、行きたいです。千里さんよりはわたしの方が香織のことはよく知ってますし、わたしだってリングバーンで動けました」
それに、とわたしは口を開く。
「今回のことは殆どわたしの責任だと思うんです。わたしが臆病で、誰かに強く言われたら流されちゃうから、香織が誤解して……リングバーンの市獣に捕まっちゃった」
「違う。あれはぼくが不用意なことを言ったからだ」
「違わないです。あれがわたしを追ってきた奴だとしたら、余計に」
わたしは首を横に振る。
「だからわたしが行くのが当然です。それが友達として香織にしなきゃいけないことです」
興奮と緊張で手がぷるぷる震えてる。歯の先端をあわせてシーシーと大げさに音を立てながら呼吸している。
多分千里さんも茉莉伽さんも、啖呵を切ったくせにわたし自身がいっぱいいっぱいなのはわかっているに違いない。
だけれども、わたしはそれでも引き下がれない。
香織の言った通り、わたしは臆病で、誰かの強い言葉や『正しさ』に怯えていた。
そしてそれが嫌で自分を変えたいと思って。
けど、結局変わるために動くことが怖くて、自分から何もしないまま、流され続けた。
その結果として、わたしは香織を裏切ったんだ。
わたしはぎゅっと、力一杯手を握りしめる。
そして大きく息を吸うと、唇を真一文字に結んで、二人の方を見た。
「自分を変えたいって、今なら願えます」
まだ興奮と緊張と恐怖で小刻みに震える身体を抑えようとするわたしを、ぽん、と小さな手が触れる。
「そうですね。確かに市獣をアリスちゃんが食い止めて、その隙に灯理ちゃんが彼女に切符を握らせて切れば良いでしょうし、いざとなれば灯里ちゃんが……」
「そんな無茶なこと言わないで下さい。それでも危険なんですから」
「一人で救助も戦闘もするよりは負担は少ないはずですよ」
千里さんはあまり乗り気でなさそうだったが、茉莉伽さんの圧を感じる表情とわたしを何度も見比べてから「着いてこれる?」とわたしに短く訊ねた。
それにわたしは思い切り頷く。
「灯理ちゃん、手を出して」
茉莉伽さんに言われる通りにわたしは右手を彼女の前に出す。茉莉伽さんはロングスカートのポケットを探って、その中身をわたしの手のひらの上に置く。
以前リングバーンの地下鉄で千里さんがわたしを帰すのに使った、『市内四拾銭』の切符が二枚と、ペンチのような形状の改札鋏。
そして、ペンチ状の鋏より丸く、手にすっぽり収まるような形の、本物の銀の色をしている変わった形の鋏。
「切符と鋏の使い方はわかるでしょう。お友達の手に握らせて、切符を切ればあの街を脱せる。そうすれば彼女の心も身体も現世に戻れます」
わたしはこくりと頷く。
「そうして、その車掌鋏は環状線を制する
「……はい!」
わたしは銀の車掌鋏をぎゅっと握りしめ、茉莉伽さんに力強く返す。
「……本当は後日きちんとした答えを聞いてから渡すつもりでしたが、緊急事態です。今回はあなたのお覚悟を信じて託します」
それだけ言うと茉莉伽さんは引き返していく。わたしも千里さんについて走りだす。
わたしが歩きながら目をつぶると、瞼の裏に違和感が生まれる。またコンタクトがズレたのだろう。
目頭を押さえてそれを直す。
今回ばかりはコンタクトは、すんなりと元の位置に納まってくれた。
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