第11話 君が変わること・百瀬灯里-2

「もういい?」


「はい」


 わたしは平静を取り繕って、水筒のキャップを閉める。

 千里さんはふう、と息を一つ吐いて、口を開いた。


「まず君が知りたいのは、アレが何なのかとか、だよね」

 千里さんがあの空間の話を切り出すと、わたしのドキドキと頬の熱さも急速に治まってきた。代わりにさっきまでの緊張が戻ってくる。


「昨日君が遭遇したアレは環状線都市リングバーンって呼ばれるモノで、あの火炎放射器を持った男や黒い獣は市獣しじゅうって言うあの街の眷属」


 千里さんはわたしの眼を覗き込みながら、続ける。


「ずっと昔に東京の街の裏側に棲み着いた、普通の人には見えない、意志を持った環状線と街の形の化け物。心に傷がある人や、心が負の感情でいっぱいになった人を捉えて、際限なく『心』を食べて、大きくなることを目的にしている。

 リングバーンは食べるに相応しい心を見つけたら、その人を『表』から誘い、環状線の電車に乗せて、食べてしまう。市獣は得物を追い込むための街の放った猟犬みたいなもの」


 千里さんの言葉に、よくわからないままにもうんうんと頷くわたし。


「昨日君が乗ってしまったのも『表』からリングバーンの内側に向かう電車で、あのまま乗ってたら君もあの街に心を食われてたし、もう奴に色を付けられている」


 突然千里さんの口から聞かされたのは、突拍子もない話だった。


 わたしの動揺を千里さんも見抜いたのか、「まあ、聞いただけなら信じられないよね」と口にする。


「……なんか夜中の魔法少女アニメの話みたいで、びっくりして」


 本当に拓がやってるゲームとか、わたしと拓とがリビングのBDレコーダーに溜めてお母さんのいない間にこっそり見てる、夜中の魔法少女モノのアニメに出てくるような話だ。

 どうもわたしの命がかかっているというのに、まず出てきた感想はそれだった。


 その言葉に千里さんは険しい様子が嘘のように、おかしそうにふふっ、と笑い始める。


「……やっぱり、変なこと言いましたよね」

 自分でも呆れ気味に口にする。

「わたしの命がかかってるのに、魔法少女とか突然言い出して……」


「いや、確かにその通りだからさ……魔法少女か、ふふっ」


 魔法少女というワードがよほどツボにはまったのか、千里さんは面白そうにくすくす笑い続けている。自分で言ったとはいうものの、そんなに笑わないでほしかった。


「ぼくがあそこで戦えるのも、あの街そのものも魔法絡みというのは全然間違っていないから。魔法少女っていうのもそういう意味ではあってるかな……」


 千里さんは口元に手を持って行ってようやっと笑いを抑え、わたしの方に向き直った。

 ちんちくりんのわたしと背の高い千里さんでは見下ろすような構図になっていて、わたしは千里さんの顔を見上げる。


「ぼくがそうしてもらった相手から教えてもらった『魔法少女』の名前は『輪上の乙女シャフレーン』、市獣と戦える存在だよ」


 そして千里さんは水筒を持つわたしの手に触れる。

 細くてちょっと冷たい千里さんの指がわたしの指に絡んだと思うと、わたしの目線のところに千里さんの端正な顔がやって来る。


「君は確かにあの街に印を付けられているけど、あの電車の中で自分の意思で目覚めて動けたってことは、あの街や市獣に抗える力自体はある。自衛も含めて戦う意志を決めれば、君の言う『魔法少女』になれる。決めなければ、多分君はあの街か市獣に早晩食われる」


 千里さんは猫みたいに目を細め、唇を動かす。


「君はどうする? 変わるか、変わらないか」


 誘う唇と裏腹に、千里さんの目はわたしを見据えて、動向を見計らっていた。

 千里さんも出来れば私を救いたいのだろうけど、わたしには今すぐ変われるかと言われて「はい」と軽々しく答えられることではないだろう。


 だからこそ、わたしは千里さんに自分の、至極自分らしい答えで答えるしかない。

 きゅっと水筒を握る手に力を込めて、声を絞り出す。


「今は、やっぱり答えられません」


 わたしだってあの不気味な地下鉄の乗客や火焔放射器男の仲間に混じることなんて絶対に嫌だと思う。

 変わりたいって気持ちだってある。

 でも嫌悪するだけで、千里さんみたいにあれと戦う覚悟を決めるのは全く違う。


 わたしは今すぐにでも戦えるほどの強い感情も、躊躇ためらいを振り切れる覚悟も無い。

 拓の見てたアニメじゃないが、きっとリングバーンと戦って負けてしまえばその時は酷い目に遭うかもしれない。

 特にわたしみたいな鈍くさいのは、千里さんみたいに立ち回れずに酷い目に遭って、どっちにしても死んでしまう運命になりそうだ。

 そう考え始めると言い切る気にはなれなかった。

 変わりたいと思うのに、覚悟を躊躇い続ける。自分の優柔不断さが嫌になった。


 千里さんはしかし、失望の表情ではなく『当然』とでも言いたげな、いつもの千里さんのポーカーフェイスを浮かべていた。


「……呆れてたりとかしてません? 自分のことなのに答えられないって」


「してない」


 千里さんのドライな答えが返ってくる。


「話してて、なんとなく君はそう言うと思ったから……自分の命がかかっても悪い意味で現実主義って言うか、諦めてる節があるって」


「……はい」


 きっと最初から、わたしは失望されていたらしい。

 千里さんはビニール袋からサンドイッチを出して、包装を開ける。


「君も早く食べたら。昼休み終わるよ」


 千里さんに促され、わたしもお弁当の包みを解いて、お弁当を摘む。

 自分の命がかかってて、それをなんとかする千里さんの問いに答えられなくても、お弁当を食べる手は不思議といつも通りに進む。

 白いお弁当箱に入ったおかずとおにぎりのお弁当は、いつも通りの色合いのはずなのに、殺風景で静かな階段ではいつもより色褪せているようにも見えた。


 わたしはおにぎりを口にしながら千里さんに目を向ける。もう千里さんは一きれ目のサンドイッチを全部口に押し込んでいて、二個目にも手を出していた。

 手に持ったビニール袋にはもう一つサンドイッチがあるようだが、それきりだ。

「あの……千里さん」

 わたしはおずおずと声を上げる。

 千里さんが振り向くと、プラスチックのピンに刺さったベーコン巻きアスパラを二つ差し出した。

 わたしの好きな、お母さん特製のバターのよく効いたベーコンアスパラ。


「良ければこれ、食べます?」


 少しの沈黙の後、千里さんは「うん」と頷いて、ピンを手に取る。


「ありがとう」


 千里さんはそう言うと、ベーコン巻きのアスパラを口に含む。


「……美味しい」


 ちょっとだけ、千里さんが険しい顔になる。

 美味しいものに巡り会えた時の顔だった。

 オーバーだとは思ったけど、どうやら気に入ってもらえたようだった。

 結局わたしがまだ弁当箱の中身とおにぎりを食べ終えた間に千里さんは全て食べ、ビニール袋を持って「それじゃ、アスパラありがとう」と階段を降り始める。


 姿が見えなくなる前に千里さんは一度足を止め、思い出したように「ああ」と口を開く。


「何かあったときのために電話番号教えてくれるかな」


 そう言って千里さんはジャケットからメモ帳とペンを取り出して、破いたページとペンを持つとわたしに向けて伸ばす。


「あ……はい」


 わたしはそれを受け取って、手のひらを机代わりに細いペン先で自分の携帯の番号をこまごまと書いて、千里さんに渡した。

 千里さんはそれを受け取ると、服の中にしまう。


「それと今できるリングバーンへの最低限の自衛だけど。電車に乗る時に自分を責めたり、自分への怒りや哀しみに繋がる考え事はしないで。特に山手線と、その乗換駅では」


 千里さんは手短にそう告げると、わたしが一言かける間もなく立ち去ってしまった。

 わたしももくもくとお弁当を咀嚼しながら、さっきの千里さんの言葉を思い出し、ご飯やおかずと一緒に噛み締める。


「リングバーン、『輪上の乙女シャフレーン』、魔法少女……」


 あまりに自分の理解を超えた説明。そして千里さんが何度も繰り返したた言葉と、去り際にかけた言葉。


「自分を変えたいと願う……じゃないと心が食べられる」


 千里さんの言うことは、わたしにはちょっと難しすぎた。わたしが死ぬとしても。


 十分程かかって、やっとお弁当を完食すると、さっき来た道を一人で戻ってわたしは教室にまた入ってくる。

 自分の席に着くと、香織が「おかえりー」と声をかけてきた。


「千里とどんな話してたん?」


「うん、色々……」


 わたしはお弁当をバッグにしまう。昼休みが終わるまで、もうあと十分程しかない。


「しかし千里と灯理が一緒にご飯食べるくらいの仲だとは。どこで仲良くなったわけさ?」


 香織は椅子の背もたれに腕を乗せ、興味津々そうな顔だ。

 これは答えないといけない奴だ。


「昨日学校の外で色々助けてもらって、それでその時のこと、色々説明してもらってさ」


「へえ、あのアンタッチャブルの千里アリスがねぇ」


 わたしの説明にいぶかしい顔をする香織。

 わたしの説明は色々端折ってはいるし、あれこれごまかしてもいる。

 特別仲の良い香織に嘘をつくようで申し訳ないけど、邪悪な街と魔法少女の話をするわけにも行かない。

 話をしたら香織もあの邪悪な街に引きずり込んでしまいそうだし、運良くそうならなくても、ちょっとわたしと千里さんの名誉に関わりそうだから。


「千里って意外に優しいとこあるんだね」


 うん。とわたしは答える。


「香織のことも、わたし最初この人苦手だなって思ってたから。ひょっとしたら話してみたら友達になれるかも」


「灯理が人見知りすぎんだよー。隣の席の女の子に話しかけたらめっちゃビクビクされたこっちの気にもなれってー」


「香織は間合い考えないでグイグイ来るもん」


「言いやがったなー、灯理のくせにー」


「くせにってなにさ、くせにって」


 年頃の普通の女の子らしく、わたし達はじゃれあう。

 邪悪な街の手で自分の命が危ないかもしれないというのに、わたしはそんなことを頭の片隅に追いやってじゃれ合ってる。

 授業が始まるまでのあと数分、わたしはこうしていたかった。

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