第2話 ある朝の風景-2
三階の真ん中に、わたしと香織の属する二年一組の教室はあり、わたしは窓際の自分の席に、香織はそのすぐ前の自分の席に座る。
座面にお尻を預けて机の上に手を組むと、また一日が始まったんだと改めて再認識させられる。
途端に、目に痛みと異なる違和感がやって来た。
コンタクトレンズがうまく嵌まってないんだ。
「……んー、んー」
わたしは目を強くつぶってから、ぱしぱしと瞬きする。
それでも眼球の違和感は残り続けたまま。
徐々に意固地になったわたしは変なうなり声を上げながら無駄な抵抗を続けた。
「どうしたのさ、灯理」
香織は上体を器用に反らせて、頭が逆さまの状態でわたしの顔を覗き込んでくる。
少しお尻を捻れば後ろを向けるのに、香織はなぜかいつも絶対にゾンビ映画みたいなのぞき込み方で話しかけてくる。
「いや、コンタクト。コンタクトがなんか変で」
「また?」
呆れ声の香織。逆さまになった目が細まる。
「灯理ほんとにコンタクト向いてないんじゃないの?」
ぱしぱしは止まらない。痛みとも痒みとも違う、無い物があるような眼の違和感も。
「そんなに嫌ならメガネでいいのに。灯里もしたくてしてるんじゃないんでしょ?」
それは無理だよ。わたしは言いかけた言葉を飲み込む。
眼鏡に替えるのは簡単だし、わたしだってそうしたい。
でも、その決断が叶うわけないのは、わたしはもうわかっている。
「……うん、考えてみる」
わたしはまだ違和感と戦いながら、香織に嘘をつく。
「えー? 百瀬さんコンタクトやめちゃうの?」
突如わたしの脇から会話に割り込んでくる声。
振り向くと、
それに
自慢の軽くブリーチのかかった髪をなびかせ、宮原さんがわたしの席の隣に入ってくる。
「百瀬さん、絶対メガネかけるよりコンタクトが似合うのに」
「あ、うん。考えてるだけ」
「でも百瀬さんがメガネなんてダサいし、今より野暮ったくなるよー?」
「そうだよね、目が見えてる方がまだ可愛いもんね」
酷い言われ様だが、言い返すに言い返せなかった。
わたしが言い返しても、クラスの女子のファッションリーダー的な立ち位置の宮原さんには太刀打ちできるとは思えない。
結局宮原さんはそれだけ言うと、わたしに興味を無くしたように立ち去っていった。
「やっぱり宮原さんって、ちょっと苦手だなぁ……」
わたしは彼女とも仲の良い香織に聞こえないほどの声で、小さく呟く。
コンタクトレンズとの孤独な格闘の末にやっと違和感が消え始めて、ホームルーム五分前のチャイムが鳴り響く。
その頃になると、歯抜けの櫛みたいだった座席にも制服姿の生徒達が着座している。
けれど教壇の前に並ぶ机の中に、一つだけ空いてる席が目に入る。
ホームルームを告げるチャイムの後に教室に入ってきた、三十歳前後の男性――担任の
形だけの連絡を全て終えて、そこでやっと須藤先生はクラスの異変に気がついて、面白くなさそうに眉間に皺を寄せた。
「なんだ、千里は今日も遅刻か」
吐き捨てるように言うと、須藤先生は扉を閉めて教室を出て行く。
一旦引いた波が戻ってくるように、教室の中がまたざわめきに包まれる。わたしはざわめきをBGMにして顔を机に向かって伏せた。
再び教室の扉が開く。
一限目の現代文の先生かなと視線を上げると、違った。
扉を開けて入ってきたのは、制服姿の頭一つ背の高い、目を引く女の子だった。
周りの子よりサイズ二つ分(わたしと比較すれば多分2.5個分)は大きな胸なのに、体型が崩れてるようには思わせない、スラリとした体と一際高い身長。
キツめだけどきりっとした端正な顔立ちは、それだけでもとても綺麗だ。
だけど異質なのは、運動部の男の子みたいに、ザクザクのジャギジャギに短く切られた髪。
極めつけにブレザーの上に羽織った蓬色のミリタリージャケットが、彼女の見た目をアンバランスに、そして近寄りがたく思わせているのだ。
少女は何事も無いかのようにあの空席の椅子を引き、腰掛ける。
孤立しているが故に周囲に遠慮しない、孤高の女の子だ。
学校に現れる時は殆ど遅刻、そして誰も気づかないうちに煙のように下校する。
クラスの中ではどこかの繁華街を夜中に歩いてたとか、そういうグループの一員だとか言う噂すら立っていて、先生も要注意生徒として
彼女が振り返り、わたしと視線が合う。
慌てて視線を窓外に
千里さんに少し遅れて、現代文の先生は教室に入ってきた。
眼の中のしっくりこなさと憂鬱を載せて、またわたしの今日が本格的に始まった。
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