11 アルバの決意

「あの、もう帰ってもらえます? わたしにも執務が……」


 しかしモルモはスライディング土下座をする勢いでわたしの足元に滑り込んでくる。

 涙と紙クズにまみれた顔をくしゃくしゃにしながら、おいおいと泣きすがってきた。


「お……俺が悪かった……! このとおり謝るから、俺のところに戻ってきてくれ……! お前の稼ぎがないと、ルモット家は……!」


「そういえばあなたの家の方々は、収入が増えたぶんだけ豪遊していましたね」


「そうなんだ……! その時のことが忘れられなくて、とうとう借金までするように……!」


 貴族というのはお金を派手に使い、まわりに権威を誇示する。

 国内の経済が回るという恩恵もあるので、花嫁修業時代のわたしはルモット家の散財にはなにも言わなかった。

 しかし、借金までするのは愚かとしか言いようがない。


「も……もう首が回らないんだ……! 頼むから、戻ってきてくれぇぇぇぇ……!」


 どうやらモルモは涙と紙クズだけでなく、借金にもまみれているようだ。

 その様は、哀れとしか言いようがない。

 なんにしてもわたしにはこれ以上交わす言葉も無かったので、手短にすませる。


「嫌」


「うっ……うぎゃぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」


 モルモは狂ったように叫びながら、わたしに飛びかかってきた。

 わたしは床に押し倒され、力任せにローブを引きちぎられる。


「な……なにを……?」


「こうなったら、力ずくで俺の女にしてやる!」


「わたしみたいな、まじめが取り柄なだけのつまらない女を抱くなんて、拷問みたいなものだと言っていたのに?」


「うぎゃおぉんっ! お前のその、どんな時でもすました顔をしてるのが気に入らなかったんだよっ!」


 それは顔に出ないだけ。わたしの内心は恐怖でいっぱいだった。


「そのいけすかねぇ顔が崩れるまで、メチャクチャにしてやるっ! そしたらちっとはかわいげのある女になるだろうからな!」


 ルモットはわたしに馬乗りになったまま、背後にいるゴロツキたちに命じる。


「おい野郎ども、ジャマが入らねぇように見張ってろ! 俺が終わったら、まわしてやっからよぉ!」


 下卑た笑いを返すゴロツキたち。わたしのほうに振り返ったルモットは、ハロウィンのカボチャのように笑っていた。


「げへへ……! だいぶいい顔になってきたじゃねぇか!」


「や……やめて……!」


「怖いか、恐ろしいか!? なら、泣け! 喚け! 助けを呼べ! お前みたいなクソ女、誰も助けに来ちゃくれねぇだろうがな!」


 いつからだろう、わたしが助けを求めなくなったのは。

 いじめられても罪を着せられても、ずっと誰からもかばってもらえなくなってから、わたしは助けを求めるのをやめた。


 カミナリを怖がる子供みたいにうずくまって、嵐が過ぎるのを待つのみ。

 頭の中が暗雲で覆われたみたいに思考を止めて、ただじっと……。


 しかし雲間からは、不思議な光が差していた。

 天国に繋がるハシゴのような、光の脚が降りてくる。

 広がっていく青空の向こうには、天使がいた。


『もうひとつの使命は、あなたを守ること。セイラさん、なにかあったら僕を呼んで、僕を頼ってほしい。たとえこの世界の裏側にいても、僕は駆けつけるよ』


 天使の言葉が福音のように頭のなかで鳴り渡った途端、わたしの口からは咆哮がほとばしっていた。


「たすけてっ……!! アルバさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 ……ずばぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!


 まるで返事をするみたいに執務室の扉が蹴破られ、そばに立っていたゴロツキたちが吹っ飛んだ。

「誰だっ!?」と顔をあげるモルモ。


 扉の向こうを見ていた者たちの世界はきっと、スローモーションになっていたに違いない。

 そう、そこに立っていたのは、全身から怒りのオーラを燃え上がらせるイケメン大天使だった。


「下衆に名乗る名などないっ! セイラさんから離れろ!」


 その人が変わったような迫力にモルモは一瞬畏縮したが、多勢に無勢とばかりに強気に出る。


「へ……へっ! 誰かと思えば、宮殿に出入りしてる商人じゃねぇか! たったひとりで乗り込んできてヒーロー気取りかよ! 野郎ども、やっちまえ!」


「に、逃げてください、アルバ様! 逃げて人を……!」


 わたしがそう言い終わるまでに、10人ほどいたゴロツキは5人に減っていた。

 ゴロツキたちは武器を持っていたというのに、アルバ様は素手であっさり叩きのめしてしまう。


つよっ」


 わたしがそう漏らしている間に、残りの5人もサクッと片付ける。

 ゴロツキたちはみなうずくまり、痛みに悶絶していた。


 死屍累々となった中を、ゆっくりと歩いてくるアルバ様。

 モルモの強気はあっさり崩れ、わたしから離れて逃げようとする。

 しかし腰が抜けて立てないのか、ひっくり返った死にかけの虫みたいに、その場で手足をジタバタさせるだけだった。


「ひ……ひぃぃっ!? め、メチャクチャ強ぇ!? なにもんだお前!? ただの商人じゃねぇな!?」


「言ったはずだ。下衆に名乗る名などないと」


 普段は温厚なアルバ様だったが、いまは別人のように恐ろしい。

 倒れているモルモの胸倉を乱暴に掴むと、怒りのパワーを持てあますように片手で高々持ち上げていた。

 吊り下げられ、よりいっそう醜く足をバタつかせるモルモ。


「わっ……わぁぁぁっ!? お、俺を殴るのか!? 商人ごときが上級貴族の俺を殴ったら、どうなるかわかってんだろうな!?」


「わかっているさ」


 そう言って、あっさりモルモを床に下ろすアルバ様。


「よ、よし、なかなか素直じゃねぇか! そういう事なら、こっちも考えてやらんこともないぞ! お前の働いた無礼は、いまなら賠償金だけで許してやろう! そうだなぁ、うちの借金の肩代わりを……!」


 アルバ様は調子に乗るモルモには一瞥すらくれず、わたしをじっと見つめていた。

 いつもの柔らかな微笑みで。


「ありがとう、セイラさん」


「えっ?」と、我ながらマヌケな声が出てしまう。


「僕を頼ってくれて、僕に助けを求めてくれて。以前、あなたが首を吊ったと聞いた時、間に合わなかったことをずっと後悔していたんだ。でもいまあなたを助けられたことで、確信が持てたよ」


「えっ?」


「やっぱり僕は、あなたがどうしようもないくらいに好きだと。そしてあなたのためなら、僕はすべてを捨てても惜しくないと。……たとえ、この命であっても」


「えっ?」


 風が吹いた。

 アルバ様は稲妻のようなパンチを、モルモの顔面に叩き込んでいた。

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