07 灰色の聖女の決意(ざまぁ回)

 バラの一夜が明けても、わたしの頬はバラのように染まったままだった。

 気を取り直して聖堂で朝のおつとめをしようとしていたわたしに、部下の聖女たちが新聞を見せてくる。

 そこには、一面にこんな見出しが躍っていた。


『大聖女セイラ様、あろうことかカニを食べ尽くす!』


『灰色の聖女、吠える! カニは下賤の食べ物ではないと!』


『カニは女神が創りし食べ物! これは、神気か狂気か!?』


 どうやら、カニ騒動のあったレストランには新聞記者も招かれていたらしい。

 部下の聖女たちは「やらかしましたねぇ」みたいな顔でわたしを取り囲んでいた。


「セイラ様、カニなんて食べたんですかぁ?」


「うわぁ、カニって罪人が食べるものですよねぇ?」


「あんな気持ち悪いものを食べるなんて信じられませぇん!」


「げげっ、幻滅しましたぁ! きっと聖女神会の上層部もお怒りだと思いますよぉ?」


「あ~あ、セイラ様もこれで終わりですねぇ!」


 新聞記者が面白おかしく書き立てているせいか、周囲の反応はおおむね批判的だった。

 しかしその風向きはすぐに変わる。


 あのレストランにはミギアムの有力者たちが大勢いて、その人たちがこぞってカニを食べるようになった。

 有力者が食べると、その下にいる者たちも食べるようになるのは必然。じょじょにカニの美味しさが広まっていき、ついにダリアムには一大カニブームが巻き起こる。


 飲食店はどこもカニを扱うようになり、ダリアムから大量のカニが輸入された。

 わたしはカニの消費拡大に貢献した人物として、ダリアム王国の漁業組合から表彰され、聖女神会にも多額の寄付がなされる。


 さらにダリアム王国からも正式に感謝の意を表され、わたしはダリアムでも有名人となった。

 その功績が聖女神会に認められ、わたしは大聖女から大聖教女に昇格という2階級特進を果たす。


 大聖教女というのは国内の聖堂を取り仕切る役割で、つまりはミギアムの聖女のトップとなったわけだ。

 住まいも宮殿の小聖堂から、宮殿の中央にある大聖堂にランクアップ。多くの聖女を従える身となる。


 まさにトントン拍子の出世で、それを妬む者たちは陰でわたしのことを『カニ聖女』と呼んでいた。

 でもわたしはまったく気にならない。だってカニは大好物で、なんならローブに刺繍してもいいくらいだと思っていたから。


 そしてわたしがカニを食べたことを不祥事のように叩いていた聖女たちは、一斉にスライディング土下座をしてきた。


「せっ……セイラ様! セイラ大聖教女様っ!」


「こ、これまでの無礼を、どうかお許しください!」


「わ、私たちは嫌だったんです! でも先輩聖女に脅されて、仕方なく……!」


「あんた、なに言ってるの!? あんたがいちばん喜んでやってたでしょう!? こ、これは誤解です! 私は聖教子女様に言われて……!」


 這いつくばったまま、わぁわぁきゃあきゃあ醜く罪をなすりつけあい、掴み合いのケンカを始める聖女たち。

 まるでデジャヴのような光景を見下ろしたまま、わたしは慈母じみた笑顔を作る。


「女神は言っています。復讐は新たな復讐しか産まないと」


 するとケンカはパタッと止み、彼女たちは潤んだ瞳でわたしを見上げた。


「せ……セイラ大聖教女さまっ……!」


「したがって復讐をするのなら、相手が復讐できないほどにやるべきなのです」


 続けて告げられたわたしの言葉に、「ひいっ!?」と身を寄せあう聖女たち。


「それこそ徹底的に、末代まで根絶やしにするほどに」


 もう一族を皆殺しにされてしまったかのように、彼女たちはすっかり震えあがっていた。


 『ネクロマンス』はルートによって、登場人物の性質が大きく変わる。

 光ルートの場合は他人を思いやる善人ばかりのやさしい世界で、闇ルートの場合は他人を貶めるクズばかりの修羅の世界となるんだ。


 かくいうわたしも、この世界にどっぷり浸かってしまった。

 もう後戻りはできないから、進むしかない。


 出口は前にしかないんだ……!


 そしてわたしが結婚するためのフラグ調整も、いよいよ佳境に入った。

 わたしは今日、本当の悪鬼羅刹となる。


「出かけますから馬車の手配をお願いします」


 部下の聖女たちに命じると、彼女たちは失点を取り戻したいがために大いに奮起する。

 債務者のデスゲームのごとくお互いをジャマしあい、ズタボロになりながら馬車を用意してくれた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 大聖教女ともなれば、王族クラスの馬車に乗れる。

 必要とあれば護衛も付けられるんだけど、今回は断った。


 なにせ出かけるといって外にではなくて、宮殿内部の移動。

 ミギアム王国の宮殿は王族だけでなく貴族の住まいや仕事場も兼ねているので、全体がひとつの街くらいの規模がある。

 聖堂が大小あわせて9つもあることからも、とんでもない広さのほどがわかるだろう。


 そんななかを歩いて移動するのは大変なので、貴族たちは宮殿内でも馬車を使うんだ。

 宮殿の廊下はどこも広くて、大通りとなっているメインの廊下は馬車が6台並んで走れるほどの幅がある。


 そして宮殿内の馬車は街中以上に上下関係に敏感。

 どの馬車も誰が乗っているのかひと目で分かるようにエンブレムを掲げていて、対向に目上の馬車を見つけたら端に寄せて道を譲る。

 同じランクの馬車どうしが廊下の真ん中で鉢合わせた日には、どちらが道を譲るかでちょっとしたバトルが勃発することもある。


 いまのわたしの馬車に立ち塞がれるのは王族か、王族に近い最上級の貴族くらいのものだ。

 おかげでスムーズに目的地まで着くことができた。


 着いた先は下級貴族たちが住まうエリア。下級といっても庶民の大金持ちに比べるとずっと裕福なので、建ち並ぶ屋敷はどれも大きい。

 その中でもひときわ贅を尽くした建物の前で停まり、馬車の扉が静かに開いた。扉を開けてくれた御者がわたしにうやうやしく言う。


「着きました、セイラ様。ソワール家の邸宅です」


 そう、わたしが乗り込んだのはノッテの家。

 先日、レストランでおもてなしをしてくれたお礼をしに伺ったというわけだ。


 といっても、用があるのはノッテではない。

 通されたノッテ家の応接間は、ハーブの鉢植えとヒトデの置物がたくさんあった。


「あらあら、大聖教女様ともあろう方がわざわざおいでになるなんて」


 わたしがアポを取っていたのは、ノッテの母親であるニュイ・ソワール。

 ソワール家はノッテだけでなく、家を挙げてわたしを嫌っている。例のカニ騒動の時は誰よりも批判的で、わたしの昇格を最後まで反対していた。

 その筆頭であるニュイは、のっけから挑戦的だった。


「あなたは陰でなんて呼ばれているかご存じ? 『カニ聖女』よ。私だったらそんなことを言われたら、恥ずかしくて外を歩けないでしょうねぇ。ここに来る途中に言われたでしょぉ? 『どうして横に歩かないのか』って。おほほ、そんな恥をさらしてまでここに来るなんて、よっぽどの御用がおありなんでしょうねぇ」


 わたしは口撃をもとのもせずに答える。


「大聖教女になりましたので、上院議会の方々にご挨拶にと思いまして」


 上院議会というのは上級貴族だけで構成された議会のことで、その下に下院議会と市民議会がある。

 しかし下院議会と市民議会はたいした権力はなく、国政を国王に提案するのは上院議会の役割であった。

 わたしが慇懃に頭を下げると、ニュイはフンと鼻を鳴らす。


「大聖教女になって最初の仕事が皮肉とは、ずいぶんとお忙しいようですわねぇ」


 そう、ソワール家は下院議会。でも上院議会のルモット家、つまりわたしの前婚約者とノッテが婚約したことで、上院議会入りは確実とされていた。


「はい、ソワール家はもう上院議会といっても差し支えないと思いましたので。それに、ソワールは『ヒトデ』という意味でしょう? カニとヒトデ、同じ海に生きる者どうし仲良くできるかと思いまして」


「はぁ、たしかに我が家の名にはヒトデという意味もあるけれど……。本当は『夜空から海に落ちた星』という由来があるのよ」


 ニュイは応接のテーブルに飾ってあったヒトデの置物を手に取る。

 それはダイヤモンドでデコレーションされており、星のような輝きを放っていた。


「ぽっと出の聖女が、歴史と伝統のある我がソワール家と対等になったつもりでいるなんて……。あまり、調子に乗りすぎないことねぇ。あなたは、私と同じ海に出られて浮かれているのでしょうけれど……。でも、そもそも生まれが大きく違うの。生まれたのがドブ川と天の川では、まさに天と地ほどの差があるのよ」


 ニュイは娘を彷彿とさせるドヤ顔を浮かべる。

 わたしは娘にしたように、その顔めがけてカウンターパンチを放つ。


「なるほど。フェイカー家のご令嬢は、同じ天の川の生まれだったわけですね。それなら納得がいきます」


 その一言だけで、ニュイの顔は海のように蒼白になった。

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