03 灰色の聖女の使命(ざまぁ回)
わたしが住んでいる屋根裏部屋は、宮殿の渡り廊下の一角にある。
ゲームのシナリオではわたしが首吊り自殺を図った直後、オーツ・ボーネ様は夕方から開催されるパーティに出かけるため、渡り廊下の一階を通り、外で待っている迎えの馬車に乗る予定になっていた。
それと同じ頃、わたしの部屋の真下にある二階の渡り廊下をノッテが通り掛かる。
そう。攻略本にはすべての主要キャラクターのスケジュールが分刻みで書かれていて、わたしはそれを利用したんだ。
オーツ様が通り掛かるタイミングを狙って生ゴミをぶちまければ、オーツ様は生ゴミまみれになり、その騒ぎを聞いたノッテは渡り廊下から顔を出す。
オーツ様は渡り廊下の屋根裏に人が住んでいるなんて知らないから、消去法でノッテが犯人になるというわけだ。
首吊りをする前のわたしは、女神にすがっていた。
わたしの人生がこんなにも辛いことばかりなのは、愛が足りないからなのだと。
でも、死にかけてハッキリとわかった。わたしの前には愛などないことが。
だからもう、まじめに生きるのはやめた。
神様に頼るのもやめだ。頼れるのは、前世の自分が残してくれたこの攻略本だけ。
わたしはこの攻略本を使って、自分の運命を変えてみせる。
アルバ様からのプロポーズを受け入れても、世界が終わらないようにフラグを調整してみせる。
そのためには、いくつかのざまぁイベントを発生させる必要がある。
その火蓋をわたしはすでに切ったから、後戻りはできない。
たとえ愛の気配が、後ろからわたしの肩を叩いたとしても……。
もう、振り向いたりなんかしない……!
いまのわたしはたぶん、決然とした表情をしていただろう。
そしてなぜか、アルバ様も新たな決意に満ちた顔をしていた。
「セイラさん。ざまぁが何のことかはわからなかったけど、セイラさんには重大な使命があることだけはわかったよ」
「それはよかったです」
我ながら、気の効かない素っ気ない返事だなと思った。
でもアルバ様はそれも含めて好きだと言わんばかりの反応だった。
「お礼を言うのは僕のほうです。セイラさんのおかげで、僕にもみっつの大切な使命ができましたから」
「なんですか?」
「ひとつめは、あなたに好きになってもらうこと。僕はこれから、あなたを全力で振り向かせてみせます」
その真摯なる一言に、わたしの心臓は爆発するかと思った。
っていうか、もうじゅぶん過ぎるくらい好きなんですけどね。
前世では、あなたのグッズで祭壇とか作ってたし。
しかしわたしはあまり顔に出ないタイプなのと、コミュニケーション下手なせいでロクでもない返事しかできない。
「ふたつめは、なんですか?」
「それは、あなたを守ること。セイラさん、なにかあったら僕を呼んで、僕を頼ってほしい。たとえこの世界の裏側にいても、僕は駆けつけるよ」
その切なる一言に、わたしの心臓は砕け散る。当たり障りのない返事をするので精一杯だった。
「そ……それで、みっつめは?」
「それは、いまは秘密です」
ここで「ええっ、教えてくださいよぉ~!」とか甘えた声で言えたら、わたしの好感度はうなぎのぼりだろう。
「そうですか、わかりました。では、わたしはこれで」
って、コミュニケーション下手か。
「えっ、どこかに行くんですか?」
「はい。わたしには、次のざまぁがありますので」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしは衣類のシミ抜きの道具一式を揃えると、スカートからふくらはぎを晒すほどの走りで外に出る。
そこには生ゴミまみれになったオーツ様と、半泣きのノッテの姿があった。
そのふたりの間に割って入るわたし。ノッテを押しのけるようにして、オーツ様の身体についた生ゴミを払う。
オーツ様は突然の乱入者に、アイシャドウに彩られた瞳を丸くしていた。
「あ……あなたは?」
「わたしのことはあとで。いまは少しの間、じっとしていてください」
わたしは生ゴミを落としきるとシミ抜きを行なう。ドレスのシミに濡らしたハンカチをあてがい、ポンポンと叩く。
オーツ様はその手際の良さに感心し、目をさらにまん丸にしていた。
「おおっ、なんというあざやかな……! ひどいシミが、どんどん消えていくわ……!?」
「早く処置すればするほどシミは取れやすくなるんです。あとは、仕上げにこれを……」
わたしはオーツ様に向かって香水をひと吹き。それだけで生ゴミの臭いはフローラルな香りに変わった。
「すごい……! こんな香り、初めて……!」
「これは生ゴミの臭いを利用した香水です。元が悪臭なぶん、よりよい香りになるんですよ」
「ええ、私の持っているどの香水よりも、素敵な香りだわ……!」
「女神は言っています。芳香も悪臭も、元はすべて同じもの。使う人によって変わるものなのです」
「女神のお言葉を口にするということは、あなたは聖女なのね?」
「はい、といっても見習いですが。普段はこの宮殿で下働きをしております」
「その、くすんだ色のローブ……まさかあなたがあの『灰色の聖女』……?」
わたしの二つ名がオーツ様の口から出たとたん、ノッテは息を吹き返す。鬼の首を取ったかのような形相でわたしを指さした。
「そ、そうっ! 犯人はこのセイラですわ! この女がオーツ様にお生ゴミをぶちまけたんですの! それを証拠に、誰よりも早くシミ抜きの道具を持って駆けつけてきましたわ! おマッチポンプをして、オーツ様に取り入ろうとしてるんです! くっさいおハーブですわ!」
ノッテがわたしに罪をなすりつけてくる。いや正確にはマッチポンプを見抜いてくる。しかしそれも計算済み。
わたしは大きく息を吸うと、ここぞとばかりに声を大にした。
「……おだまりなさいっ!!!!」
わたしは生まれてこのかた、声を荒げたことなどなかった。そう躾けられてきたから。
だから都合のいい存在として、濡れ衣をさんざんおっ被せられてきたんだと多うけど……。
でもだからこそわたしの大声は効果てきめんで、ノッテは飼い犬に手を噛まれたみたいに驚いていた。
わたしは一気にたたみかける。
「この状況において真っ先にすべきことは、ドレスの処置でしょう!? それなのにあなたは真っ先に罪をなすりつけようとするなんて、恥を知りなさいっ! ドレスにシミが残ったりしたら、オーツ様は着替えのためにパーティに遅れ、大恥をかいていたところなんですよ!?」
「そっ……それは……! そっ……その……!」
ノッテの反論は、もう声にもならなくなっていた。
オーツ様が「まあまあ」と止めに入る。
「セイラさん、あなたのおかげでパーティに遅れずにすみそうだわ。むしろ、この素敵な香水のおかげで注目の的になれるでしょうね。なにもかも、あなたのおかげよ」
「いえ、わたしは自分が最善と思うことをしたまでです」
「あなたは機転が利くだけでなく、心まで純粋なようですね。私の前に現われる若い女性は、ほんの少しの手柄でもアピールしようとするのに。あなたのように聡明で謙虚な人こそ、みなを導く聖女にふさわしいと言えるでしょう」
「もったいないお言葉です」
「そうだ、パーティ会場まで付き添ってもらえるかしら? 馬車の中で、これからのことをゆっくりと話しましょう」
「かしこまりました」
オーツ様はわたしに馬車に乗るように促したあと、ちろりとノッテを見やる。
わたしは馬車に乗り込みながらノッテを横目で見たんだけど、彼女は親とはぐれた迷子のような、いまにも泣きそうな顔をしていた。
「あ……あの……オーツ様……これは誤解で……おハーブが……」
「ノッテさん、あなたは最低の令嬢と言わざるを得ないわね。私を陥れようとするばかりか、その罪を立場の弱いセイラさんになすりつけようとするなんて」
「そ……そんな!? わたくしは……!」
「おだまりなさい。あなたはルモット家の婚約者として目を掛けてあげていましたけど、考え直す必要がありそうね」
オーツ様はすがるノッテを振り払うようにして馬車に乗り込んできた。
馬車の窓から外を見ると、ノッテがすぐ下にいる。
彼女はオーツ様に見放されたことがまだ信じられないのか、親に捨てられたばかりの子供のような顔で馬車にすがっていた。
しかしオーツ様は御者に命じ、無情に馬車を走らせる。
馬車が走り出した拍子にノッテはバランスを崩して倒れ、手を伸ばしながら金切り声で叫んでいた。
「セイラっ……! 捨てられた犬が、元飼い主の手を噛むようなマネをっ……! このわたくしにこれほどの屈辱を与えた以上、ただではすみませんことよっ! おハーブ咲き乱れますわよぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーっ!!」
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