銀色の女性
スミレは真っ暗な世界に、ただひとりだった。
シーンとしていてどんなに歩いても壁すら見つからない。
(夢なのに、妙に意識がハッキリしている。現実との区別がつかなくなってしまいそう)
それから、しばらくスミレは歩き回っていたのだが変化はないままである。
そんな時、突然何か大きな壁に激突する。
「いたぁ!?」
顔を思い切りぶつけ、床に尻餅をつくすみれ。
目を挙げると、そこには木製の扉があった。
「な、なにこれ……」
ノッカーで扉を3回叩いてみる。
数秒待って、やはり返事はないかと落胆していると、中から声が聞こえてきた。
「はーい。どうぞ」
気の抜けた女の声が聞こえてくる。
スミレは驚きながらも、扉を開けて一歩足を踏み出して家の中に入る。するとその中に広がっていた景色は、穏やかで明るい色の木製のカウンターにチェア、それから少し別のスペースにはソファのボックス席が一つ存在していた。
そしてカウンターの中には調理器具が置いてあるわけでもなく、そこには本がびっしりと隙間なく並べられていた。
その本たちの前に、銀色の長い髪をおさげにしている、1人の女性がカウンターに肘をついて寄りかかっていた。何で綺麗な人なんだろう。とスミレは心を奪われ、足を動かすことも忘れただ呆然と彼女を見つめていた。
そしてもう一つ驚いたのは、内装がはなまる喫茶ことん堂に驚くほどよく似ていたからだ。机や椅子の配置は違うが、明らかにことん堂だ。
「こんにちは〜。座って座って」
「あっ……すみません。お邪魔します」
彼女に促されたことによって、スミレはハッとして扉を閉めてカウンター席に座る。
「私、
「……睡蓮、です」
風は目をパチクリとさせながら、やがてふふふと笑い出しながら言った。
「よくわかったねぇ。ここでは本名を名乗ってはいけないって」
ここ、というのはこの世界。夢の世界のことだろう。櫻王国では、夢の中で本名を聞かれても答えてはいけないという掟がある。本名を伝えると、夢の中に囚われて、もう外に出る事はできなくなるからだ。そう考えると、この人は櫻王国の文化を知っているのだろうか。
それにしても、さっきの暗闇と比べて居心地がよい。今すぐにでも微睡んでしまいそうな、そんな場所だった。
「ここね、私の友人の夢の中なの。暫くは私がここにいることになってるんだ。貴女がここに辿り着けてよかった。怖い思いをさせちゃったね」
「い、いえ。今はほっとしていますから」
謎が多すぎて混乱しているが、ものすごく感じのいい女性だとスミレは思った。どこが抜けていそうな、それでいて飄々としている。そんな人だと捉えられたのだ。
「ふふ。実は私ね、しばらくあの暗闇の中にいてね」
「しばらく?」
「そう。もう途中から、どのくらい経ったのかすらわからなくなっちゃって。……気が遠くなるくらい。この暗闇の中、ここに来るまで彷徨ってた」
スミレは目を見開いた。この暗闇の中を何年も彷徨い続けていたというのかと、なんて返事をすればいいのかわからなくなってスミレの、雰囲気を感じ取ったのか、Leeは「ちょっとまっててね」と言って裏へ消えていった。
「はい。どうぞ」
しばらくして戻ってきたかと思えば、茶色い炭酸ドリンクの上に、飴のような物でコーティングされているアイスクリームが乗っかっている物をスミレに差し出してきた。
「ハナマル喫茶こっとん堂の一推しドリンク。コーラフロートブリュレ」
「……ハナマル喫茶?ここ、ハナマル喫茶というんですか?」
「まぁまぁ。そう慌てずにさ。まずは食べてみて」
「いただきます」と一言口にしてから、マドラーでアイスを掬い取る。ぱりぱりとしていて、なんだか不思議なアイスだった。
「……美味しいです!」
「ありがとう〜。説明してなかったね。そう、ここはハナマル喫茶こっとん堂。……もしかして、ことん堂にいったことがあるんじゃない?」
「はい、そうです。以前ことん堂に行ったことがあって」
「そっか〜。そこはメロンソーダが美味しいんだよね。ちなみに私は、チョコレートアイスが好き。……このこっとん堂はね、私の記憶にあるこっとん堂だから、貴女の時代のとは、少し違うかも」
なるほど、だからハナマル喫茶は同じなのかとスミレは納得する。
「ねぇ、そのことん堂?今はどんな感じ?」
「えっと、上に書庫が繋がっていました」
「おぉ!てことは私の頃と一緒だぁ。書庫には自己肯定感馬鹿強おじさんがいたでしょう?」
スミレの話を遮って突然大声を上げた風に、驚きながらも返答をする。
「ナルキス・スーリール・フェリシアンという方が、今は代理だと」
「ナルキス……」
その名前を聞いた途端、風は身を乗り出して何かを喋り出そうとしたが、その瞬間に世界がぐにゃりと歪みだす。
「……あっ、まさか夢が!?」
「嘘ぉ!?いいところなのに……。また明日の晩に会いましょう。……貴女に、良い星屑が降り注ぎますように」
そう言って、風はスミレの額に手を当てたのが、最後の記憶だった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「……本当に夢だった」
朝起きて、布団を片付けながら昨晩の夢を追想する。
最初は真っ暗な空間がただ続くだけで、でもそこは……
「なんだか暖かい夢だったなぁ」
しばらく布団の中で見ていた夢に思いを馳せ、なんだか懐かしい気持ちになるのだった。
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