本の中の世界

「今日は楽しかった。マチ、ありがとう」

「僕もだよ」


 スミレはいつも暖かな幸せに満たされていた。彼女はどうしても學校帰りに友達と寄り道をしたりできる身体ではないし、學校が終わると普段は真っ直ぐに帰宅することが多い。

 運動をして勝ち負けを悔しがったり喜ぶことも、幼い頃はできたけれど、今ではできない。

 だから、こうしてマチと喫茶店に行ったり、本屋さんに行ったり、やってみたかったことを2人で目一杯笑って楽しんで満喫することができて、心はうきうきとわくわくで満たされてとても楽しくて、非日常にいるような気分だったのだ。


「幸せに、スパイスをかけた気持ち」


「……それは良いことかい?」


「もちろん。刺激も時には大切って言うでしょう?」

 

 そんな事を言いながら夕暮れを歩く夜道は、光の満ちた空間のように輝いて見えた。


「ね。今日の夕飯は何にする?」

「朝はスミレお手製のオムライスでしたからね。夕飯は僕が作るよ」

「今日は私も体調がいいし、作るよ。……いつも貴方には迷惑ばっかりかけてるし。こういう時くらいは……」


 そうスミレが言いかけた時、マチは足を早めて彼女の前に回り込む。

 その時、マチはスミレの両肩に手を置き、目を合わせる。


「スミレ。僕は全くもって迷惑をかけられているなんて事は思ってないよ」

「スミレに質問です。僕たちの状況が逆と仮定して、あなたは僕を迷惑だと思いますか?」


「……思わない」


「そうでしょう?それと同じです。でも、スミレの夕飯は是非ともいただきたいので、明日の夕飯当番はスミレです。お願いしてもいいかな?」


「はーい。任せて」

 

 そう言ってスミレの手を握って、2人で下駄の音をからからと鳴らしながら帰る2人だった。


 この日見た夕日は、きっと心の記憶に刻まれたことであろう。


 ✴︎ ✴︎ ✴︎


「先お風呂いただきました。おや、それは……」


「今日、ナルキスさんからいただいた本。見て」


 その日の夜、マチは風呂上がり。居間でスミレが本を開いていた。

 その本の中には、文字や記号は一切ない。その代わりに見開きいっぱい似てる描かれている。


「この本は、この女性が主役の本なのか。夢幻の書庫にある本という割には、やけに現実味を帯びているねぇ」


「そうね。まるで生涯を描いているみたいなの。もう少し読み進めてみないと」


 この本の初めの1ページ目には、まだ幼い銅色の髪の少女が、金・銀色の髪の友人達と學校らしき所で授業を受けている光景がはじまる。徐に本の中の少女がこちらを見ると、笑顔でこちらへ手を振っている。


「ふふ。お友達が居眠りしているよ」


 そう声をかけると、銅色の頭は、慌てた様に頭をカクカクと揺らしている銀色の頭の肩を思い切り揺らして叩き起こす。起きた銀色の頭は、ぼんやりとしている様だ。


「この學校、リベルテ学級王国に似てますね」


「あぁ、隣の国の?」


 そう、この大陸は櫻王国の他に2つの王国から成り立っている。そのうちの1つであるリベール王国にある、リベルテ学級王国という、古くから伝わる學校が存在するのだ。

 リベール王国の特徴として、白い建物や白い家具といった物が挙げられ、解放的な雰囲気なのである。

 大理石の長い机に、白い木像の長い椅子。その一角を3人の少女達は使っていた。

 

「でも、恐らく時代はかなり前だね。制服が今とは違うから」


「へぇ。そっか、マチ一週間後からリベルテ学級王国にいくのよね」


 そう、マチは一週間後から、魔法文化が特に発達しているリベール王国に留学することになっている。マチの通っている櫻王国の學校でも、魔法の授業は基礎程度ならあるが、この王国に人々はあまり魔法に積極的ではない。だが、この大陸の櫻王国以外の2つの王国は真逆で、魔法は生活の一部となっているのだ。


「また新しいおまじないを学べるといいね」


「あぁ。精一杯学んでくるよ」


「ほら、それよりスミレ。お風呂、温め直しますから入ってきては?」

「そうね。そうする」


 すっかり冷めてしまった湯船を前に、マチは人差し指と中指を立て、湯船にすいっと指を動かす。そうすれば、淡い暖色の光の粒が湯船の周りをほわほわと舞い、光が湯船に吸い込まれる。もうすっかりお湯は温まったようだ。


「ありがとう。……貴方の魔法ってやっぱり凄いね」

「いえ、そんな事は決してないですよ。ささ、冷めないうちに」


 マチはそう言いながら、手を指し、お風呂へ入るように促す。こういう時のスミレは、自分が病弱で体調が万全の時にしか魔法を使えない事を落ち込んでいるのだ。僕からすれば、貴女の存在が奇跡のようなものなのに。


「うん。じゃあはいってくる。お風呂ありがとう」

「……」

「……」


 その場から動かないマチと、それを見るスミレ。


「……なにしてるの?」

「このまま僕もご一緒しようかと思っているのだけれど……」

「……」

「なーんて、冗談です」


 スミレはふぅとため息をつき、人差し指を立ててひゅんと斜め下にふる。すると、マチの身体全体が風で浴室から追い出される。


「じゃあ、お風呂入ってくる」


 なんて、涼しげな顔で浴室の外に出たマチに声をかける。

 今日が体調万全でよかった。と、改めて思う。

 久々に使う魔法は、やはり気持ちがいいものだ。


「こんな日が毎日続けばいいのに」


 浴槽に身体を沈めながら、今日の出来事に想いを馳せる。

 スミレは生まれた時、いたって健康な普通の女の子だったが、2年前から突然原因不明の体調不良に襲われ続けている。

 現在16歳の彼女は、体調が良かった頃はとても優秀な光の使い手だった。それこそ、櫻国……否、一部ではこの大陸で指折りに入りるほどの。

 ある時は壊れそうなくらいに心臓が強い痛みに襲われ、またある時は酷い頭痛に襲われる。昨日までは1週間ほど熱に襲われ続けていた。かくして、今日みたいに万全の日以外は、微熱が続き、目眩や立ちくらみが起こるために運動も魔法を使うこともままならない。

 それでもよかった。


 ✴︎ ✴︎ ✴︎


「あがりましたよ」

「随分と長風呂でしたねぇ。のぼせていませんか?」

「大丈夫。布団敷いてくれてありがとう」


 お風呂上がりのスミレが居間に戻ると、綺麗に整頓されたがらんとした部屋に戻っていて、つい先ほどまで一緒にいた彼がいなくなっていた。だが、近くのスミレの部屋から物音がしたためそこに向かうと、押し入れから敷布団を出して敷いているマチの姿があった。


 「さ、ここに座ってください」


 敷いたばかりの敷布団に胡坐をかくマチは、自分の目の前にスミレを座らせる。ちょこんと正座するスミレに、マチはスミレの方にかかっているタオルをとり、まだ濡れているスミレの髪に残っている水分を優しくふき取っていく。ある程度水分がなくなったら、髪に椿油をなじませ、仕上げに風をふかせ、髪を乾かし、最後にばれないように彼女の髪に接吻をした。


 「乾きましたよ」

 「ん、ありがとう」


 今日一日、外で忙しなく歩きまわっていたからか、眠そうに舟をこぎだすスミレ。だが彼女はまだ眠りたくないからなのか、寝転がることはせずに、ただぼんやりとしている。そんな彼女をマチは、自分が寝転がるのと同時に、彼女も巻き込んで布団に寝転がり、布団をかけて、指を一鳴らしして灯りを消す。


 「マチ、もう寝るの?」

 「さあ?ただ、ねころがって夜更かしするのもたまにはいいではありませんか」


✴︎ ✴︎ ✴︎



 その後マチが眠った後、スミレは今日あった幸せに思いを馳せながら、縁側に座り、毎日の日課のある事をするのだ。

 人差し指で空中に文字を書く。すると、指でなぞった場所に光の文字が浮かび上がってくる。


『明日、朝7時に甘味屋の前で』 


 これはスミレの使える光の魔法のうちの一つ。空に書いたものを、届けたい人に届けられる魔法である。明日學校に行く時に、今日の出来事を噂を話してくれた友人に伝えようと張り切っていた。

 そんなことをしている間に、そろそろ寝ないと明日に障る時間になってきたので、スミレは布団に潜り込み、眠りにつくのだった。

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