欠落令嬢 4



 しかし、それは他のアクセサリーと違って、つくりが最近の流行である、花や植物の柄を取り入れたものであり、それだけは、母親の形見ではなく、最近、手に入れたものなのだと簡単に想像できた。


「姉さま。これは?」

「……それは、王太子殿下からの贈り物で……それより、返して大切なものなの!」


 ふと、フィーネが手を伸ばしてくる。咄嗟によけようとしたベティーナは手を滑らせて、小さなガラスケースを落とす。


 重力に従って、落ちていくそれをフィーネは目で追った。このケース自体、母が使っていた大切な思い出の品なのだ。しかし、そんな風に大切に思っていたとしても、物は物。


 角から床に衝突したガラスケースは、ガチャンと鈍い音とともに着地して、小さなヒビが入ってしまう。ヒビ程度で済んだのは、部屋にきっちりと敷き詰められているカーペットのおかげだったが、その小さなヒビですら、泣きたくなってしまうほどにフィーネにとって亡き母親の形見とは大切なものであった。


 フィーネはすぐに、膝をついて、丁寧にケースを持ち上げた。


「私のせいじゃないわ。姉さまが、急に手を伸ばしてくるから悪いのよ。それよりも、私そのバレッタが欲しいわ!」

「……」


 悪びれもせずに、そう言うベティーナに、今までは持たなかった感情がふつふつと湧いてきて、ぎゅっとこぶしを握る。


 と、そこへと、カツカツと神経質な足音を鳴らしながら近づいてくる人物がいた。彼女は、フィーネの部屋の開け放たれた扉をみて、ここに娘がいるのだと理解して、やってきたのだった。


「ベティ!貴方、遅いわよ?待ち合わせに遅れてしまうわ!こんなところで油を売ってないでさっさと支度をなさい!」

「母さま……」


 部屋に入りがてらそう言ったのはベティーナの母親であるビアンカであり、しゃがんでガラスケースを抱えている、フィーネのことなど気にせずそう言い切った。


 そんな彼女を見てフィーネは、さすがに母親の手前だ、わがままも突き通すことはできないだろうと、ベティーナの方を見やる。


 けれども彼女はフィーネに向けるのと同じように、傲慢な表情で、ビアンカに甘えるような駄々っ子の声を出した。


「姉さまが、私にアクセサリーを譲ってくださらないの!!どうせつけないのに!!」


 心底、傷ついているかのように、ベティーナは顔を歪ませて、フィーネを指さす。愛らしい金髪の髪が揺れて、その姿は誰だってわがままを聞いてあげたくなるような、幼い子供のようだった。


 しかし、実際は彼女は来年デビュタントを控えた、もう十五歳になる立派な乙女なのだ、いささか、態度が幼すぎる。たとえ継母だとしても、フィーネに対する横暴を少しは、ビアンカがたしなめてくれるはずだ、とそうフィーネは思ってビアンカに視線を送った。


「まあ、それは……可哀想にベティ……」


 ……可哀想……。


 言いながら、ビアンカはベティーナを抱き寄せて愛おしそうに頭を撫でた。その言動にどうにか、これ以上奪われないように自身の大切なものを守ろうと、咄嗟に立ち上がって、フィーネは彼女たちから一歩距離を置いた。


「ねえ、フィーネ?貴方は恵まれた子なのだから、ベティーナに優しくしてあげなきゃだめよ、ね?わかるでしょう?」

「……でも、ベティーナが欲しがってるのは……お母さまの形見で……」

「ベティーナは貴方と違って、貴族じゃないの、貴方に譲ってもらうしかないのよ?可哀想だと思うでしょう?貴方の大切な妹なのよ」


 ……大切、そうよ。大切な妹、私の家族。可哀想な……私の妹……。


 心の中で復唱してみても、なんだかしっくりこない、けれども、それらは事実のはずで、なんら可笑しなことではない。


 ビアンカは、妾だ。本妻はフィーネの母親であるエルザ、しかしエルザは病気がちで、フィーネが幼いころに亡くなっている。ビアンカはそんな病気がちな、本妻であったエルザをなにかと助けて、そして、母の死後もこうして、フィーネの育ての親として、面倒を見てくれている。


 そんな、彼女の実の娘であるベティーナはどれほど、この屋敷に住んでいて、どれほどフィーネと一緒に育った同じ歳の女の子だとしても、フィーネの大切な妹なのだとしても、彼女は貴族として婚姻することもできなければ、この屋敷で、爵位継承者になることだってできない。


 ……だから、ベティーナは可哀想で、私は恵まれている。


「それに、そんな些細なものに執着しては駄目よ、フィーネ。貴方は、もっとたくさんのものを愛する、国母になるのですから」

「……」

「さあ、渡してあげて、ベティも大切に使うのよ?良かったわね、立派な姉さまがいて」


 そんな風におぜん立てされて、拒絶できるほどに、フィーネは確信的な気持ちを持ち合わせてはおらず、事実、その通りであるからして、ふつふつと湧いていたベティーナへの気持ちは、水で洗い流すしかない。


 未だにむくれている、仕方のない妹にガラスケースを開いて、どれでも好きなのを持って行っていいと差し出した。


「……ベティーナ、本当に大切にしてね」

「……」


 最後の最後に、押し流せなかった気持ちから、ふと口をついて、言葉が出る。そんなフィーネにベティーナは母の胸元から離れて、ガラスケースに入っているすべてのアクセサリーを力任せに、鷲掴みにした。


「っ!」

「全部ちょうだい。全部私にちょうだい姉さま、姉さまはそうやって、お部屋に引きこもっているだけで、将来の不安なんてないんでしょうけど、私は、違うのよ!」

「……」

「こうやって人脈を広げて、いろんなパイプを作ってるの!ただ遊びに行くんじゃないのよ!それなのに偉そうにしてっ、うっ」


 美しいローズクオーツの瞳に涙がにじむ。


 その瞳を見ているとフィーネは、身分差に嘆いて、苦しいのは彼女の方であったはずなのに……と自分を情けなく思うしかなくなってきて「ごめんね……」と呟いて、今にも泣きだしてしまいそうなベティーナの頭を撫でる。


 彼女にどんな辛さがあるのかフィーネにはわからない、フィーネの心には、好きで引きこもってるわけではないだとか、だからと言って、こんなのは横暴ではないか、という気持ちが渦を巻いていたが、それらの感情はあってはならない。


 そうでなければ、こうして、フィーネの大切なものを今まさに壊さんばかりに鷲掴みにして、むくれている彼女を許してあげられなくなってしまう。


 だから、きっとベティーナの気持ちの方が正解で、フィーネの気持ちの方が、自己中心的で不誠実な考え方なのだ。


「ひっ、ううっ」

「私が悪かったわ。ごめんね、ベティ」


 同じ身長、同じ歳、しかし、私と彼女は違う。ただ母親が違うというだけで、なにもかもが違う。


 ……すべてが同じだったら、私は、どうしていた?


 そんなありもしないたらればを考えたって意味はない。



 ベティーナは泣きやむまでに暫くかかって、それからビアンカが彼女を連れて去っていった。建国祭に行くのだと言っていたので、少しうらやましく思いつつも、フィーネはフィーネで明日には、旧知の仲である婚約者のハンスが訪ねてくる予定なのだ。


 彼のほかには、誰とも交友を深める間もなく、国政の勉学に励むフィーネにはそれが唯一の楽しみだった。



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