第21話「開始」

 ヴェルナーの屋敷1階にある客間は華やかな雰囲気に包まれ、賑わっている。

 広々とした部屋に、数種類の料理や酒が並んでいる4つの丸テーブル。それぞれテーブルの側で、多くの人が酒を片手に立ち話をしている。

 のりの効いたスーツ姿の男性たちに、華やかなドレス姿の女性たち。ここにいるのは、為政者や貴族といった上流階級に位置する者たちである。

 室内に、参加者たちの談笑する声が溢れる。この場の主役であるヴェルナーは、部屋の片隅にいた。彼の側には、護衛であるフェルナンド・ムルシアがある。

 フェルナンドの右手には、彼の身長とほぼ同じ長さの三叉槍トライデントが握られている。3本刃は天を向き、柄先は地面を突いている。

 フェルナンドの表情は厳つい。目つきが鋭くし、口元を引き締めているその様は、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 側に立つヴェルナーがクスリと笑う。

「顔怖いよ。やっぱり退屈?」

「そうではありません。警戒しているのです」

 フェルナンドは表情を崩さず、淡々と答える。険しい目を左右に動かし続ける彼を見て、ヴェルナーは鼻を鳴らす。

「それならよかった。で、どうだい?怪しい奴はいるかい?」

「いませんね」

「そう。それはよかった」

「ですが、油断はできません」

 安堵するヴェルナーに、フェルナンドは反論する。

「認めたくありませんが、アルバは優秀です。標的はもちろん、護衛まで仕留めてきているのですから」

「君がそこまで言うなんて、よっぽどだね」

「ええ。やり方は気に入らないですが」

「ふーん」

 ヴェルナーは右手に持つグラスを傾ける。中の赤ワインが小さく波打つのを見ながら、呟く。

「いやぁ、心強いね。君はもちろん、他にも護衛がいるからね。まずは、あの3人」

「ブラウン3兄弟のことですね」

 フェルナンドの確認に、ヴェルナーは頷く。

 客間にある3つのドア。部屋の左右に一つずつと、正面に一つ。それぞれのドア横には、黒い軍服姿の男が一人ずつ立っている。

 両手を前に組み、周囲を警戒している3人。彼らの容姿はそっくりである。左寄りの七三分けの黒髪に、目や鼻といった顔のパーツ、そして体格と全てが同じである。

 周囲を見渡しながら、フェルナンドが呟く。

「ブラウン3兄弟。コンビネーションを得意とする三つ子です」

「三つ子というのは面白いね。あそこまで容姿がそっくりだなんてね」

「私には姉がいますが、性格は真反対です」

「君の姉—アレックス君は自由奔放だもんね」

「父上も度々困っています」

 フェルナンドの返事に、ヴェルナーは声を上げて笑う。

「そもそも君たちは双子じゃないだろ?まあ、双子だからといって、必ず似るとは限らない。その点から見ると、あの3兄弟は奇跡だよ」

「彼らによるコンビネーションには、期待できるかと」

「ふーん。そうかそうか」

 ヴェルナーは安堵の笑みを浮かべ、赤ワインを一口含む。

 ワインを飲んだ後、部屋の中央へ目を向ける。そこには、黒い軍服を着た一人の女性が参加者たちの合間を歩いていた。

 その女性の髪は光沢のある金色で、後ろ髪は肩甲骨まで伸びている。左右は顎下までで、前髪は眉毛までの長さに整えられている。

 彼女の目はキリッとしていて鋭く、青い瞳が特徴的である。しかし、右目は黒い眼帯で覆われており、鋭い目つきと相まって、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 会場を巡回している彼女を見て、ヴェルナーは口角を上げる。

「あの子も強いんだよね?」

「ええ。"ゴドナ"の副将を務めるほどの実力者です」

「へぇー。副将なんだなぁ」

 ヴェルナーの呟きに、フェルナンドは静かに頷く。その時、ヴェルナーの脳裏に一つの疑問が浮かび上がる。 

「あれ?君の副将は確か、ニコラ君だったよね?」

「彼女は違う隊の副将です。普段は同じ隊の大将に付くのですが、今回は特別に同行させています」

「そこまでして僕を守ってくれるなんて、嬉しいねぇ。…ニコラ君のことは、残念だったね」

「…お気遣いありがとうございます」

 フェルナンドは間を置いてから、感謝を述べる。部下を殺された怒りで表情が歪みそうになるも、彼は懸命に堪えた。

 ヴェルナーは会場を見渡しながら呟く。

「ねえ。もしかして、このままやってこないんじゃないかな?」

「どういう意味ですか」

 フェルナンドが尋ねる。すると、ヴェルナーはいたずらっぽく笑って答える。

「単なる呟き。マジにならないでよ」

「そうですか」

「君を見て、そう思っただけ。君の怖い顔を見て、逃げちゃったんじゃないかなってね」

「…ご冗談を」

 フェルナンドは表情を変えることなく答える。相変わらず崩れない表情を見て、ヴェルナーは口角を上げる。

--相変わらず、くそ真面目だなぁ。




 黄色い街灯が照らす屋敷前の通り。そこに人の姿はなく、小さな風の音だけが聞こえる。

 ヴェルナーの屋敷前に、カーキ色の軍服を着た4人の男がいる。正門に2人、少し奥に進んだ玄関に2人。彼ら護衛は表情を引き締め、無駄話することなく辺りに警戒の目を向けている。

 あと1時間もしないうちに、日が変わる。そんな遅い時間のためか、通りに人の姿は見られない。しかし、護衛たちは気づいていない。正門の護衛2人の間に、一人の女性が立っていることに。


 エルザは正門に立つ2人の護衛の目の前にいる。2人は彼女に気づくことなく、辺りに警戒の目を向けている。彼ら2人だけでなく、玄関前の2人も全く気づいていない。

 それもそのはず。エルザは自身の異能である"透過"を使い、透明人間になっているからだ。彼女の両眼は黄色から青色へ変わっており、額には雪化粧のような黒い紋様が浮かび上がっている。

 エルザは握り閉めている左手を開く。手の平にあるのは、一枚の硬貨。それを左親指の爪に乗せる。そして、正門の左側に立つ護衛の足元目掛けて、親指で弾き飛ばした。

 硬貨は回転しながら空中を舞い、地面に落ちる。音を立てて数回弾けた後、硬貨の動きは止まった。

 護衛が自分の足元へ目を向ける。彼だけでなく、反対に立つ護衛も反応を示す。

 硬貨にすぐ気づいた2人。その様子を見て、エルザはニヒルな笑みを浮かべる。

--お金は便利ね。人の隙を買えるんだから。

 エルザは正門右に立つ護衛の背後に回る。顎先と頭頂部に手を添え、頭を斜めへ引き上げた。その瞬間、骨が折れるような不気味な音がし、護衛の口から「かっ」と短い声が漏れる。そして、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。

 足元にある硬貨をじっと見つめる護衛。どこから落ちてきたのかと不思議に思っている時だった。

 ドサッと何か重いものが置かれた時のような音が聞こえた。何事かと思い、振り返ろうとする。しかし、彼の動きは途中で止まった。背後から忍び寄ったエルザが、彼の頚椎を折ったためだった。彼もまた、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 正門の護衛2人を始末したエルザは、玄関へ目を向ける。玄関の護衛2人は、前方の2人が死んだことに気づいていない。屋敷を囲う壁の外で、凶行が行われたためであった。

 エルザの行動は早かった。彼女の足はもう、彼ら2人の背後へ近づいていっていた。


 屋敷前に転がる4人の死体。護衛4人の始末が完了したエルザの元に、レオナルトとクラウスがやってくる。

 レオナルトたちは正門を前に、視線を左右に動かし続ける。視線を一点に固定させることなく、囁き声で呼びかける。

「おい。今、どこにいんだ?」

「エルザ?」

 クラウスに続いて、レオナルトが尋ねる。すると、エルザが正解を告げる。

「こーこ」

 レオナルトの耳元に囁かれる声。それと同時に、右肩に手が置かれる感触が伝わる。

 レオナルトは突然のことに驚き、悲鳴が出そうになる。悲鳴を無理矢理飲み込み、見開いた目で背後に振り返る。しかし、そこには誰の姿はなく、クスクスと笑う声が聞こえる。

「レオ君、驚きすぎ」

「しょうがないでしょ。急に背後から声をかけられて、肩を叩かれたんだから」

 見えないエルザに向かって、レオナルトは非難の声をあげる。

 彼の隣にいるクラウスが深いため息を吐く。

「おい。じゃれてる場合じゃねぇだろ」

「緊張を解そうと思ってね。ごめんごめん」

 エルザの軽い謝罪に、クラウスは再びため息を吐いた。

 レオナルトは眉を八の字にしたまま、ふっと笑う。

「まあ、おかげで緊張が少し解れたよ」

「それなら良かった」

--姿が見えないってのは、こんなにも恐ろしいんだな。

 透明人間の怖さを実感し、レオナルトは半笑いを浮かべる。

 3人に流れる和やかな空気。しかし、いつまでも浸っている場合ではない。レオナルトたちは気を取り直し、次の作戦へと移る。

 次の作戦は残りの護衛たちの始末。屋敷の左右に1人ずつと、裏手に2人の計4人。今はまだ、正門の異常に気づいていない様子である。

 エルザは少し口角を上げ、レオナルトたちに発破を掛ける。

「それじゃあ、残りの奴らをよろしくね」

「おう。任せとけ」

「ああ」

 クラウスに続き、レオナルトも前向けな返事をする。そして、彼ら2人は腰に差す剣の柄を握り、行動を開始する。




 エルザがレオナルトとクラウスに合流する前。ボリスはヴェルナーの屋敷正面にある家の屋根に、片膝を突いていた。そして、エルザによる暗殺劇の終始を見ていた。

 屋敷正門と玄関に横たわる4人の死体。頚椎を折られ、息絶えた彼らの表情は平然としたまま。自分の身に何が起きたのか分からずに、死んだためからだ。そう考えたボリスは、姿の見えないエルザに感服する。

「能力といい、動きも素晴らしいな」

 ボリスは口角を上げながら、そう呟いた。

 正門を見ていると、そこにレオナルトとクラウスがやってきた。彼ら2人がやってきたのを確認し、ボリスは気を引き締める。

「よし。俺の出番だな」

 そう意気込んでから、ゆっくり立ち上がる。瞳を閉じて、集中力を高めていく。すると、彼の足元から風が巻き上がってきた。

 ボリスの身体を風が包み始める。その姿はまるで、彼を中心に小さな竜巻が起きているようである。

 ボリスは目をゆっくりと開く。開かれた彼の両眼に変化が起きていた。彼の青い両眼は、鮮やかな緑色に変わっていた。

 ボリスの身体が宙に浮き始める。右足を前に出し、前のめりになる。そして、彼は風と共にヴェルナーの屋敷へ向かった。

 空中を舞うボリスは、あっという間にヴェルナーの屋敷2階の屋根に着いた。それと同時に、

彼を包む風が徐々に消えていった。

 風が全て消えた後、ボリスは緑色に光る目を窓ガラスに向ける。ガラスの向こうである廊下には電気が点いておらず、人の姿も見られない。

 安堵したボリスは、ウェストポーチからナイフを取り出す。彼はこれを使い、三角割で侵入を試みる。

 窓枠の下部とガラスの間に刃先を当て、刃を押し込む。ピキキと小さな音とともに、上へ亀裂が走る。

 今度は、窓枠の左側。ガラスの右側へ亀裂が走ると、下からの亀裂と重なった。ボリスは亀裂の重なった部分を押し込んだ。すると、小さなガラス片が向こうの廊下へするりと落ちて行った。

 ボリスはガラスの穴へ手を入れ、クレセントを上げる。窓ガラスが開くようになったのを確認し、安堵のため息を吐く。そして、中へ足を踏み入れた。

 侵入に成功したボリスは周囲を警戒する。そして、レオナルトたちを屋敷に入れるために、1階へ向かい始める。

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