第14話「弱音」

 灰色の空の下に広がる荒野。そこに立つレオナルトは、目の前で繰り広げられている戦いを見ている。

 正面からやってくる赤の軍服を着た兵士たち。機関銃を構えながら迫ってくる彼らに対抗するのは、カーキ色の軍服を着た兵士たち。

 けたたましい銃撃音。彼らの間を銃弾が飛び交い、赤の兵士とカーキ色の兵士らの身体へ直撃し、倒れさせていく。

 銃撃音の他に、爆発音が轟く。赤の兵士が投げた手榴弾が、何人かのカーキ色の兵士を吹き飛ばした。その爆撃によって大半は即死し、他は呻き声を上げながら苦しんでいる。

 それから程なくして、次の爆発音が轟いた。今度の爆発は、カーキ色の兵士による手榴弾で、何人かの赤の兵士を吹き飛ばした。

 両者による激しい攻撃が繰り広げられる。絶えず放たれる機関銃と手榴弾によって、骸が増えて行く。

 レオナルトは左腕を上げる。カーキ色の裾が視界に入ると、拳を強く握りしめる。

--この力で、戦争を終わらせるんだ。

 そう意気込むと、前へ踏み出した。

 身体の底から力が湧いてくるのを感じる。そして、左手に熱気のようなものが込められていく。その時、後ろから誰かの呼ぶ声が聞こえ、足を止めた。

「誰だ?」

 レオナルトが振り返る。振り返った途端、目の前の光景は一変した。


 視界全体に映るのは、茶色い天井。呆然と見ていると、額に温かい感触が伝わってくる。まるで人の体温のような温かさで、心地よさを感じる。

 頭を左に捻る。すると、眉を八の字にし、心配気に見つめるエルザの姿を捉える。彼女は仰向けに眠るレオナルトの左側に腰掛け、彼の額に左手を当てていた。

「レオ君?」

 エルザはハッとした表情で尋ねる。そして、彼の額からゆっくりと左手を離した。

「…エルザ?」

 レオナルトは小さな声で応じる。すると、エルザの顔は徐々に緩み、笑顔が浮かんだ。

「良かったー。目覚ましたんだね」

「…変な夢だったな」

「ん?夢?」

「いや、なんでもない。それより、ここは?」

「エインにある宿屋だよ。前にも来たことがあるでしょ?」

「ああ。あの時の宿屋か」

レオナルトはゆっくりと上体を起こす。しかし、慌てた様子のエルザに制される。

「まだ寝てた方がいいよ」

「ごめん。ありがとう」

 レオナルトは感謝を告げ、頭を枕に付ける。

 それから数秒経った頃。レオナルトの頭に一つの疑問が浮かび上がった。そして、そのまま口に出す。

「僕はどれくらい寝てた?」

「半日だよ」

「半日!?ってことはまだ…」

 レオナルトは正面奥にある窓ガラスへ視線を向ける。窓ガラスは外の陽射しを通し、床を明るく照らしている。

「そうか。何だか、長い間眠っていたような気がしたんだけど…」

「気のせいだよ。普通はもっと眠っているはず。だけど、

「それってどういう意味?」

「自分の身体、見てみなよ」

「身体?…っ!」

 レオナルトははっとし、がばっと上体を起こす。そして、毛布から右腕を出した。

 彼の右腕は、指先までしっかりと揃っていた。昨夜の戦いで二の腕から先を切断されたはずだが、戦う前と同じ傷一つない状態に戻っていた。

 シャツの首元の襟を引っ張る。顎を引き、自身の上半身を覗き見るも、一つの傷もなかった。

 傷だらけで、欠損していた身体が元に戻っている。レオナルトはそれに安心すると同時に、恐ろしさを感じていた。

「…やっぱり、僕は普通の人間じゃないんだな」

「ダヴィっちから全部聞いたんでしょ?"ミーミル"の話」

 エルザの問いに、レオナルトは頷いた。

「思い当たる節はあった。他の人より傷の治りが早かったり、急に力が湧き上がる感覚があったりと。でも、今回ので確信したよ。君もそうなんだろ?」

「うん。そうだよ」

 エルザはあっさりと認めた。しかし、レオナルトは特に驚くことなく、話を続ける。

「君の両眼は青くなっていた。それに、うっすらとしか覚えてないけど、額に雪結晶みたいな変な紋様が浮かんでた」

「その紋様は、レオ君にもあったよ」

「僕にも?そうなんだ…」

 レオナルトは俯き、口を閉ざす。

 2人の間に沈黙が訪れる。エルザはレオナルトのベッドに腰掛けたまま、正面を向いている。

 一方のレオナルトは、頭に浮かんでいる質問を口に出そうか迷っていた。しかし、このまま黙ったままでは居心地が悪い。そう考え直した彼は、エルザに呼びかける。

「なあ、エルザ」

「うん?」

 エルザは首を左に捻り、レオナルトと目を合わせる。陽気な彼女からはあまり見られない真剣な眼差し。そんな彼女と目を合わせたまま、レオナルトは話を切り出す。

「君がアルバで戦う理由は何?」

「…どうしたの?急に」

 エルザが優しい微笑を浮かべて尋ねる。レオナルトは目を逸らし、俯き始める。

「…正直に言うと、とても怖かったんだ」

 レオナルトの小さな一言に、エルザは引っかかる。しかし、理由を尋ねることなく、そのまま耳を傾けることにする。

「…肉を切らせて骨を断つ。そんな覚悟で戦い続けた。でも、倒せなかった。最後の一撃が通じなかった時は、とても恐ろしかった」

 レオナルトは両手で布団を掴む。そして、その時の恐怖に抗うように、強く握りしめる。

「傷だらけの身体に、無惨に切り離された右腕。もう終わりなんだ、そう覚悟が決まったけど、恐ろしくてしょうがなかった。だけど、そんな時に君が来て、すごくホッとしたんだ」

 レオナルトは目を細めながら、口角を上げる。

「情けないなぁ…。団長にあんなこと言ったくせに…」

 そう呟いた途端、涙腺が緩まっていくのを感じる。レオナルトは誤魔化すように布団を持ち上げ、顔を覆い隠した。すると、黙って聞いていたエルザが口を開いた。

「私が戦う理由はね、誰かを励ますためだよ」

「えっ?」

 レオナルトは顔を埋めながら問い返す。

「アルバに入る前の私はね、いつも暗い顔をしてたの」

「君が?考えられないな」

「そうだよね。今は、ちょーポジティブ思考だもん」

「そうなったきっかけは?」

「…ずっと一緒だった女の子が死んじゃったからだよ」

「死んじゃったら普通、暗くなるもんでしょ」

「普通はね。だけど、私はそうはならなかった。その子さ、私と違っていつも前向きだったの。どんな辛いことがあっても、理不尽な目にあっても、笑顔を絶やさない強い子だった。『希望を捨てちゃったら、私に取り柄がなくなっちゃう』って、言ってたのをよく覚えてる」

 そう語るエルザは、優しい笑顔を浮かべている。

「私は弱気で暗かった。泣いてばかりでどうしようもなかったけど、彼女はそんな私を抱きしめ、優しく励ましてくれた。忘れられないよ、その時の救われようは」

 エルザはそう言うと、自分の身体を抱きしめた。彼女の脳裏に一人の女性が浮かぶと、抱きしめられた時の感触が蘇った。

「彼女が死んだと知ってからね、決めたの。彼女のように強く、誰かを励ませられる存在になるってね。今がその時だよ」

「えっ?」

 レオナルトは顔を上げ、問い返す。しかし、エルザは答えることなく、彼に近づいていく。そして、目の前まで来たところで彼を抱きしめた。

 彼女の体温が直に伝わってくる。急に抱きしめられ、動揺するレオナルト。心臓の鼓動が速まり、身体が熱っていくのを感じる。そんな彼の頭にエルザは手を置き、優しい声をかける。

「大丈夫。誰だって弱い自分はいる」

 その一言で、レオナルトの動揺が鎮んでいく。異性に抱きしめられる照れと緊張感が吹き飛ぶと、涙腺が一気に緩んでいく。そして、彼女の身体に顔を埋める。

「…汚しちゃうけど、ごめん」

「ううん、大丈夫。弱い自分になった時は、こうやって誰かの胸を借りればいいの」

「…ごめん。…ありがとう」

 レオナルトは声を震わせながら応じる。その直後、彼の両目から涙が溢れ出ていき、エルザのワンピースを濡らしていく。

「今度は、誰かに胸を貸せるぐらいに強くならないとね」

「…うん。…うん」

 レオナルトは小さな頷きながら、か細い声で応じる。そして、彼女の胸元で嗚咽を漏らし始めた。

 エルザは口角を吊り上げ、優しい眼差しを向ける。そして、子供をあやすように、彼の頭を撫で続けた。






 ニコラ・アルドルが討たれた翌日。陽は落ち、辺りはすでに真っ暗になった頃。

 アドラ帝国中部に位置する帝都—グルト。帝都の中心に聳え立つ城の一室にて、異様な空気が流れていた。

 四方の隅にある柱に取り付けられたランプ。そこから発せられる黄色い灯りが薄暗い部屋を照らし、中央にある丸テーブルを照らしている。そして、そこに座る3人の男女と、入口付近に立っている1人の男が浮かび上がらせている。

 テーブルの前に立つ男の名前は、フェルナンド・ムルシア。彼は正面奥に座る3人の男女と向かい合っていた。

「フェルナンド坊ちゃんよ。災難だったな」

 声をかけたのは、柄の悪い男。フェルナンドから見て、1時の方向に座っており、両足を机に乗せている。

「何か言えよ。つれねぇなぁ」

「…」

「辛いもんだなぁ。ただでさえ弱くて、使えない部下が面倒事起こすってのは。しかも、責任を取らずにくたばりやがるから、余計タチ悪いな!ゲハハハ!」

 男の下卑た笑い声が部屋に響き渡る。

 自分の部下であったニコラ・アルドルへの侮辱。フェルナンドは怒りを抱いているものの、表情を崩す事なく黙っていた。しかし、両足の横で強く握られている両手からは、血が滲み出ていた。

「静かにしろ」

 場を制したのは、12時の方向に座る女。静かに告げられた一言であったものの、場を静かにさせるには十分な抑制力があった。

「セラフィーノ。口を慎め」

 女は左を向き、セラフィーノという名の男を睨みつける。睨みつけられた彼は、歯を剥き出しにして笑う。

「おー、こっわ。さすが、ライサさん。相変わらずそそるなぁ」

「…下らん」

 ライサという女は鼻を鳴らしてあしらう。そして、正面へ視線を向き直す。

「フェルナンドよ」

「はい」

「貴様の部下、ニコラ・アルドルは独断でヤオジの護衛を引き受けた。これだけでも許されない行為だ。あろうことか、諸共殺される始末だときた」

「申し訳ございません」

「責任を取るべき本人はもういない。なら、上司である貴様が収拾をつけるべきだと思うが、違うか?」

 ライサの厳かな物言いが、フェルナンドの心に重くのしかかる。そして、冷たくて威圧感ある目線が相まって、彼の精神をすり減らしていく。

 しばし口を噤むフェルナンド。3人が静かに反応を伺っている中、彼は重たい口を開く。

「まずは、私の部下であるニコラがご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」

 フェルナンドは頭を深々と下げる。そして、そのままの姿勢で話し続ける。

「ニコラに変わって、この私がアルバを討ち取ります」

「はっ!オメェにできんのかよ!?」

 セラフィーノが野次を飛ばす。そんな声に反応したのは、11時の方向に座る男であった。

「セラフィーノさん。先ほど言われたばかりでしょう?ここは静かに聞きましょう」

「はいはい、ゲオルギーさんよ。静かにすりゃーいいんだろ?」

「"はい"は一回で十分ですよ。猿じゃないんですから」

 ゲオルギーという男は優しく微笑む。セラフィーノは舌打ちをし、そっぽを向いた。

「フェルナンドさん。話の続きをお願いします」

「…来月、大臣のヴェルナー氏の誕生日会が開かれるのはご存知かと思います」

「もちろんですとも。もしかして、アルバが来ると見ているのですか?」

「はい」

 フェルナンドは返事をすると、ゆっくりと頭を上げた。そして、目に力を込めて告げる。

「アルバの手から護衛対象を守り、首を取ることをお約束いたします。それができなければ、この私の心臓を捧げます。」

 フェルナンドは左手で胸元を掴む。そして、硬い決意であることを証明するように、強く握りしめていく。

 決意を表明したフェルナンド。そんな彼を見たライサは、ふっと口角を上げた。

「その眼だ。逃げることもできず、失敗すれば死ぬという危機迫った状況の中で浮かぶ、その眼が好きだ」

「ということは、決まりですね?」

「ああ」

 ゲオルギーの確認に、ライサは首を縦に振った。

「フェルナンドよ」

「はい」

「兵士なら戦場で死ね。そこ以外で死ぬのは許さん」

「ありがとうございます」

 フェルナンドは深々と頭を下げた。

 ライサは腰を上げ、入り口に向かって歩き出して行く。ゲオルギーとセラフィーノも彼女に続いていく。

 その場に立ち尽くすフェルナンドの横を、ライサたちが通って行く。すると、セラフィーノがフェルナンドに近づき、耳元で囁く。

「この1ヶ月がてめぇの寿命にならないことを祈ってるぜぇ。げははは」

 そう言い残し、ライサたちと共に部屋を出ていった。

 1人残されたフェルナンド。彼は頭を上げ、空に向かって呟く。

「この愚か者が。貴様がしでかしたことは大きいぞ。だが、ニコラよ。貴様の仇は、この私が取ってやる」

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