第13話「強敵」
時は経ち、1週間後の夜。レオナルトは、ゴドナの一人であるニコラ・アルドルと死闘を繰り広げていた。
ニコラの不気味な瞳。左は元々の黄色、右は赤といったオッドアイが妖しく光る。
「さあ、ここからが本番よ」
ニコラは肘を90度に曲げ、拳を前に突き出す姿勢を取る。そして、少し前屈みになる。
--奴の右眼が赤くなった。ということは、弱点は心臓…!
ダヴィドから聞いた話を思い出し、レオナルトは闘気を練り上げる。
両者の睨み合いが続く。ほんの少しでも油断すれば死ぬかもしれない緊張感。レオナルトは剣を前に構えながら、唾を飲み込む。
「行くわよぉ!」
先手に打ったのは、ニコラ。声を張り上げたと同時に、一気に前へ駆け出す。そして、あっという間に鉤爪の間合いへ詰めてくる。
--っ!速い!
「鈍いわね!ほら!」
ニコラが右手の突きを放たれる。顔を目掛けて向かう一直線の突きを、レオナルトは身体を右にずらして間一髪躱す。しかし、右頬を3本の鉤爪が切り裂き、血が空に舞っていく。
--さっきよりも速くなってる!これが、
レオナルトは顔を顰めながら、相手の力に戦慄する。
--徐々に肉が削がれる恐怖を味合わせてあげる。
邪悪な考えのニコラは舌なめずりをし、次の攻撃へ移る。
「まだまだよ!」
ニコラは声を張り上げ、今度は左の突きを放つ。胸に目掛けて放たれる一撃を、レオナルトは左に捻って躱す。
--ダメだ。反撃の隙がない、…っ!
目の前に迫ってくる凶刃に慄く。しかし、そんな彼を嘲笑うかのように、ニコラの追撃が繰り出されていく。
「そらそらそらそらそら!!!」
凄まじい速さで手、左と二方向から鉤爪が襲いかかってくる。レオナルトにとって目で追うのがやっとで、後ろに下がりながら身体を左右に捻って躱すことしかできないでいる。
レオナルトの防戦一方な状況が続く。辛うじて串刺しや深い斬撃を避けられているものの、攻撃の度に身体に小さな切り傷が増え、血が少しずつ流れ出ていく。
身体が徐々に削られていく恐怖。そして、なんとかしなくてはという焦りが、レオナルトの心を蝕んでいく。
--このままじゃまずい!何か手は…。
「どうしたの!?反撃してごらんなさい!」
ニコラが嬉々とした表情で告げる。相手が傷だらけになっていく様を見て、彼は快感を覚える。
傷を受けながら下がり続けるレオナルト。すると、彼の踵が小石に当たり、大きく体勢を崩した。
「しまっ…」
言葉が途切れる。背中から地面に倒れ、後頭部を激しくぶつけた。
背中と頭への強い衝撃。その衝撃による痛みに、ニコラへの注意が一瞬逸れる。早く起き上がらなくては。そう思ったレオナルトだったが、すでに遅かった。
「うふふふ。あなた、とことん運がないわね」
ニコラが笑みを浮かべながら見下ろす。そして、右の鉤爪でレオナルトの右腕を突き刺した。3本ある鉤爪は、二の腕を貫通した。そして、それから間も無くして、レオナルトが悲鳴を上げる。
「うあああ!!」
「ああ。いい声だわぁ」
ニコラは頬を赤くしながら呟く。
自分の腕に刺さる3本の鉤爪。それらが皮膚を突き破って肉を抉る筆舌しがたい痛みに、レオナルトは悲鳴を上げ続ける。そして、剣が彼の^右手から離れ、地面に落ちる。
--これが、
「お楽しみはこ・れ・か・ら、よ?」
ニコラは嬉々とした声で告げると、右手を挙げた。身体から鋭利な物が抜かれる時の鋭い痛みに、レオナルトは呻く。
ニコラは苦しむレオナルトの左腕に、左足を乗せる。身動きが取れなくなったことで、レオナルトを蝕む恐怖がさらに大きくなる。
「それじゃ、右腕とバイバイしましょうね」
そう告げると、レオナルトの右腕に鉤爪を刺した。
「あああ!!」
「いい声で鳴くわね、あなた。ほら、もう一回」
ニコラは恍惚な表情で鉤爪を抜く。そして、また突き刺す。
「ぐあああああ!!」
「ほら。ほらほらほらほらほらほらほら」
「あああああ!!」
ニコラは合いの手のように、何度も突き刺していった。その度に、レオナルトの絶叫が響き渡った。
--僕は、このまま死ぬのか…。
レオナルトは涙を浮かべながら、死を実感する。何度もの刺し傷によって、右の肘からは血の海が広がり、二の腕は分断されていた。
心と体に大きな傷を負い、呆然とするレオナルト。焦点が合っていない目を見つめながら、ニコラが告げる。
「はあ、はあ。いいわぁ…。今度は左腕行きましょうか」
ニコラの吊り上がった口角の端からは、涎が垂れている。
「まだ死なないでね。これからが面白くなるんだから」
左の鉤爪がレオナルトの左腕に当たる。金属の冷たい感触が伝わってきた時、彼の頭の中で一つの思いが大きくなっていく。
--このまま嬲られて死ぬのか。…嫌だ。俺は!こんなところで死にたくない!
その瞬間、彼の両眼に光が戻る。生への希望により正気に戻った彼は、眼を見開く。そして、見下ろすニコラを睨みつける。
「何その目は…、っ!?」
ニコラの顔に動揺が走る。そして、後ろに大きく下がった。
「あんた!その眼は!?」
ニコラが声を荒げる。レオナルトは息を荒くしながら、左手で剣を握る。そして、ゆっくりと立ち上がる。
レオナルトの身体に刻まれた多数の切り傷のいくつかは、すでに塞がっていた。そして、切断された右腕の断面からの出血も収まっていた。
変化はそれだけではなかった。彼の両眼は茶色から黄色に変わり、額には雪化粧のような紋様が浮かび上がっていた。
--まさか、
ニコラの額に嫌な汗が流れる。敵を弄ぶ余裕なんてもう無い。警戒心を最大限に引き上げ、再び戦闘態勢に入る。
レオナルトは辺りを見渡す。何か逆転につながるものはないか。そう考えながら見渡していると、ある物が目に入った。
--奴の後ろにある林。あれだ。いちかばちか、賭けるしかない。
考えをまとめたレオナルトは、左手の剣を前に構える。そして、前へ一歩大きく踏み出した。
剣の間合いまで詰め、片腕一本の袈裟斬りを放つ。ニコラが後ろに半歩引いて躱す。しかし、レオナルトは素早く剣を振り上げる。
--さっきよりも速くなってるわ。でも…。
「振り終わりがお留守よ!」
ニコラが右手を斜め左下に振り下ろそうとする。
後ろに下がって躱すはず。これまでの敵の行動を見てきた上で、そう予測していた。そして、そこから攻めの姿勢に移るつもりでいた。しかし、そうはならなかった。
レオナルトは下がることなく、前へ進んだ。ニコラは意表を突かれ、身体が硬直する。
前に進んだレオナルトは、頭を少し後ろに反らす。そして、反動を込めてニコラの顔に頭突きを食らわせる。ニコラの鼻から血が流れ、意識が一瞬途切れる。
「かっ…」
--今だ!
敵が怯んだ隙を見て、ニコラの腹に潜り込む。そして、そのまま後ろに押し始める。
「うおおお!!」
レオナルトの怒号が響き渡る。ありったけの力で押し出しされるニコラは、後ろへ大きく下がっていく。そして、後ろにある樹に向かっていく。
樹まであと少し。レオナルトはそう期待をしていたが、ニコラの身体がびくともしなくなった。まるで、岩石を相手にしているかのように感じる。
「…なめないでちょうだい」
ニコラが低い声で告げる。レオナルトのズボンの腰部分を両手で掴み、力を込め始める。彼の両腕の筋肉が隆起し、血管を浮かび上がっていく。
「
ニコラは声を張り上げ、レオナルトの身体を左へ投げた。レオナルトは地面に背中から叩きつけられ、呻き声を発する。
「ぐぅ!」
「お終いよ」
ニコラは息を荒くしながら、見下ろす。右の鉤爪をレオナルトに向ける。
目玉に向けられた刃を前にし、レオナルトはすぐさま前に飛び出す。側にある樹の根元へ転がり込み、背中を預けたままゆっくりと立ち上がる。
「往生際が悪いわね。これでお終いよ!」
ニコラが右の突きを放つ。レオナルトは顔面に迫り来る3つの刃を冷静に見る。そして、目の前まで迫ったところで、次の行動を起こす。
--今だ!
そう思うと同時に、瞬時にしゃがんだ。3つの鉤爪は空を切り、バキャッと大きな音を発して樹に深く刺さった。
「ぐっ!?抜けない!」
ニコラに焦りが生じる。刃の根元まで深々と刺さったせいで、引き抜くことができないからだ。
レオナルトはこの時を待っていた。そして、しゃがんだ状態のまま、左手の剣をニコラの胸元目掛けて突き放つ。それを見たニコラは、ハッとする。
--こいつ!私の心臓を狙って!
「うおおお!!」
レオナルトの怒号が響き渡る。突き放った剣先から、肉を穿つ感触が伝わってくる。
辺りが静まり返る。確かな感触に、レオナルトは安堵する。しかし、それは束の間の安堵だった。
レオナルトの剣は、ニコラの胸元には達していなかった。胸元に至る前に、ニコラが咄嗟に左手を差し込んだせいだった。二の腕を貫通した剣先から滴る血が、驚愕するレオナルトの頰へ一滴ずつ垂れていく。
「嘘だろ…」
「はあ、はあ…」
ニコラの荒々しい息遣い。痛みに顔を顰めながら、レオナルトを睨みつける。
「いい作戦だったけど…、残念だったわね」
「くそ…」
レオナルトは絶望し、剣を握る力が緩まる。
右手の鉤爪が樹から抜ける。レオナルトの両眼に向け、突き刺そうとする。
レオナルトは観念し、瞳を閉じる。そして、心の中でアルバの仲間たちへ謝罪する。
--みんな、ごめん。俺じゃ、太刀打ちできなかった。
「死になさい」
ニコラの冷たい一言。これで死ぬ。レオナルトがそう覚悟を決めた時だった。
「ぐっ!?」
ニコラが呻き声を上げる。何事かと思ったレオナルトは目を開ける。
ニコラは驚愕の表情を浮かべたまま、硬直していた。そして、背中の一点から伝わってくる激痛に顔を顰める。
--…背中を刺された?でも、気配なんて全く無かった…。
「これ以上はさせないよ」
動揺するニコラに掛けられた女の声。レオナルトはその声に聞き馴染みがあり、名前を呟く。
「…エルザ?」
「誰よ!?さっさと出てきなさいよぉ!!」
ニコラは怒号を上げ、四方を見渡す。彼の背中には、刃物で突き刺された跡があった。
レオナルトも四方を見渡す。しかし、どこにもエルザの姿は見えない。すると、またもや彼女の声が聞こえてきた。
「おーにさん、こっちら」
「キイェェェ!!」
ニコラは奇声を上げながら、後ろへ薙いだ。しかし、それは虚しく空を切るだけだった。
「残念」
「うっ!?」
エルザが一言発した後、ニコラは呻き声を上げる。彼の胸に、数cmほどの赤い傷が浮かび上がっている。その傷口は縦方向に浮かんでおり、血が流れ出ていっている。
心臓を刺された。そう自覚したニコラの身体から力が抜けていく。脱力した身体が後ろ向きに倒れ始める。しかし、彼の心はまだ死んでいなかった。
足に力を入れて踏ん張る。そして、空に向かって雄叫びを上げる。
「あああああ!!このまま死ぬわけにはいかないのよぉぉぉ!!」
ニコラが両手を四方に振り回し始める。レオナルトは危機を悟り、弱りながらも後ろに下がる。
狂ったように両手をぶん回し続けるニコラ。見えない敵への必死の抵抗なのだろう。そう考えたレオナルトは、目の前の男に慄然とする。
--この男の執念は、どこから来てるんだ…。
「あああああ!!フェルナンド様ぁ!!この私が必ず!!…がっ!?」
ニコラに異変が起きる。急に動きが止まると、全身を震わせ始めた。そして、目を大きく見開きながら後ろ向けに倒れた。
全身が痺れ、動かすことができない。心臓の鼓動が異常に速まり、息苦しさを感じる。そして、混濁していく意識。数々の異常に蝕まれるニコラの脳裏に、一つの光景が甦る。
「あんな化け物と仲良くしたい奴なんていないだろ」
笑いながら、自分を蔑む男。
「全くだぜ。男のくせに女みてぇな喋り方してよ。気持ち悪りぃ」
同意を示すもう一人の男。ニコラは物陰から自分の陰口を盗み聞きしていた。そして、辛さを分散させるように拳を握りしめる。
「それにしても、あんなのを配下に置くフェルナンド様はどうかしてるな」
--っ!
ニコラが目を見開く。
「名家のご子息なら、もっと出来のいい人がいるだろうに。自分の評価を落としかねないのに、一体何を考えているんだか」
上司への侮辱に、ニコラは歯を食いしばる。2人への殺意に駆られるも、彼は必死に堪える。そして、自分に言い聞かせる。
--ダメよ。あいつらを殺したら、フェルナンド様の評価に傷が入るわ。私が功績を上げて黙らせてやるのよ!
そう決意が固まると、怒りが鎮まっていく。そして、足音を立てないように静かに去って行った。
過去の場面再生が終わる。ニコラの両目から一粒の涙が流れていく。そして、空に向かって小さな声で呟く。
「フェル…ナンド様…。役に立たなくて…申し訳ございません…」
それを最後に、彼は動かなくなった。そして、小さく開かれた両目のうち、右眼が赤から黄色へと戻っていった。
強敵—ニコラ・アルドルは死んだ。レオナルトがそれに安堵していると、突然肩を掴まれた。
「…エルザなのか?」
「うん。そうだよ」
エルザの返事に、レオナルトは小さく微笑む。すると、彼の目の前で不思議な現象が起こり始める。
レオナルトの肩から、肌色が浮かび上がって行く。そして、肩を掴む左手を浮かび上がらせると、肩まで広がって行った。
今度は赤色が浮かび上がっていき、彼女のワンピースが現れる。そこから右手両足、頭が浮かび上がり、エルザが露わになった。しかし、一箇所違う点があり、レオナルトはそこに注目する。
「君の両眼は、確か黄色だったよな?けど、青くなって…」
「そう。私も
レオナルトは驚きながらも、納得した。すると、エルザは眉を八の字にして、彼の右腕を見つめる。
「ごめんね、レオ君。私がもっと早く駆けつけていれば…」
「いや。…それよりありがとう。助けてくれて…」
そこまで言った途端、彼の視界が暗くなり始める。そして、あっという間に真っ暗になった。
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