第1章 Ⅲ:「関門」

第9話「忍び寄る影」

 アドラ帝国南部にある街—エイン。アドラ帝国軍の軍人であるニコラ・アルドルは、その街にある2階建ての白い家屋を尋ねていた。

 時刻は、辺りがすでに暗くなった夜。ニコラは家屋の2階にある一室に座っている。そして、対面に座る少女に向かって微笑む。頬にガーゼを当てる少女の目は、仇を目の前にしているように鋭いものである。

「有力議員のご子息であるコスム様が殺されてから3日。その時に殺された2人の軍人のためにも、私は解決したいの。だから、お願い。そこに誰かが来たはずよ」

 ニコラが猫撫で声で頼む。そんな彼に対し、少女は顔を顰める。

「だから、私とコスム、あとは2人の軍人しかいなかったって言ってるでしょ。コスムに暴行されてから気を失ってて、そこからは覚えてないの」

 少女は両腕で自分を抱きしめながら、冷たく答える。怒りの態度を示しているものの、少女の両腕は小さく震えている。

 少女の言ったことは、軍の協力に逆らえば、何をされるか分からない。しかし、自分を助けてくれた2人の男女を売りたくないという気持ちがあったのだ。例え、真夜中に暗殺をする危険集団の一味だとしても。

「今回亡くなった3人の死傷はどれも素人とは思えない。特別な訓練を受けた者たちによる犯行だわ。そこでこう考えたの。最近暗躍している革命軍—アルバではないかって」

「だから見てないって言ってるでしょ!もう帰ってよ!パパがそろそろ帰ってくるの」

 少女は声を荒げる。ニコラの度重なる質問に、我慢の限界が訪れたためだった。

「お願いよ。私は国を守る者として、民を守りたいの」

「しつこいのよ!このオカマ!」

 少女の罵りに、ニコラの片眉がぴくりと動く。そして、すぐさま無表情へと変わった。

「…困ったわねぇ」

「は?」

 ニコラの低くなった声に、少女は身体を震わせる。

「素直に話さないと、大変なことになるわよ?」

 ニコラはそう前置きすると、口角を吊り上げた。

「実はね、軍では犯人はあなただと声が多いの」

「…は?」

 唐突な展開に、少女は唖然とする。

「あの現場に行ってて、唯一の生存者。しかも、病院にいるまで覚えていなかったというのは嘘なんじゃないかって」

「そんな!私じゃない!」

 少女は興奮し、机に両手を突く。

「あなたがそう言っても、大半は嘘だと思ってる。そして、あなたを処刑する」

 ニコラは親指を立て、自身の首に向ける。そして、真横に引いて見せると、少女は動揺し始める。

「そんなのは嫌でしょ?私だって、若い女の子が処刑されるところなんて見たくないわ。だけど、議員のヤオジ様はご立腹でね、早く解決をしなくちゃいけないとまずいのよ。だから、ね?」

「…卑怯よ。大人って、どうしてそんなに…」

「お嬢ちゃん。大人は卑怯で醜いものでしょ。でも、ずる賢くて強い。子供の声なんて、簡単に捻り潰せるほどにね」

「…っ!」

「私としては、あなたに死んでほしくないの。だから、本当の犯人を教えてちょうだい」

 そう語りかけるニコラは、口角を吊り上げる。そして、ガタガタと震える少女の答えを待つ。




 コスム討伐から3日。曇天の日中、レオナルトは屋敷の一階にある客間にいた。

 部屋の中央にある長テーブル。そこに8人の団員が座っている。

 入り口から見て左側の長辺は、奥からユリコ、ナタリー、エルザ、レオナルトの順。

 右側は、奥からアルフォンス、クラウス、ノアの順となっている。アルフォンスの前には1つの空席。そして、クラウスとの間にも1つの空席がある。

 左に女性、右に男性が集中している。その間にある短辺にはテオドールが座り、真剣な表情を浮かべている。

「今回の標的はこいつだ」

 テオドールが胸ポケットから一枚の顔写真を取り出す。その場にいる全員が一斉に注目する。

 写真の人物の顔は、余分な脂肪が付いて丸々とした顔。閉じているのではと思うぐらい腫れぼったい目に濃い眉毛。血色の良いたらこ唇に加え、頭頂部の毛が禿げかかっているといった様々な特徴を持つ男である。

「有力議員のヤオジ・クセハラ。先週、レオナルトが暗殺したコスムの父親だ」

「いかにも悪人面って感じね」

 ナタリーは鼻を鳴らし、辛辣な言葉を吐く。

「決行は1週間後。場所は、南部の街—エインにあるヤオジの屋敷だ」

「エイン。あそこか」

 レオナルトは浮かない表情をする。すると、正面に座るノアが様子を伺う。

「どうしたんだよ、レオ。そんな浮かない顔して」

「ちょっと、嫌な思い出があってね」

「嫌な思い出?」

 ノアが首を傾げる。一方のクラウスとエルザは何のことかを察し、表情を固める。

 レオナルトが思い出したのは、エインでの軍人による凶行だった。

 小さな男の子を連れた父親への過度な暴力。無抵抗に殴られ続ける父親を悲痛な表情で見る民衆。そして、父親の傍で泣きながら助けを求める男の子の姿は、心を痛めるものであった。

--あの親子、一体どうなったんだろう。

 レオナルトは一抹の不安を覚える。あのまま死んでしまったのだろうか。赤の他人ではあるが、凄惨な光景を目の当たりにしたのだから、気になってしょうがなかった。

 沈痛な面持ちのままでいるレオナルト。そこへ、テオドールが尋ねてくる。

「レオナルト。大丈夫か?」

「ええ、大丈夫です。すみません」

 レオナルトは詫びを入れる。そして、頭を切り替えて話に集中する。

「そうか。では、続きに入ろう。こいつは裏金を私利私欲に使い、好き勝手やってきた。そして、権力を使って息子の悪事を揉み消し続けたバカ親だ。生かしちゃおけん」

 テオドールの力強い一言。彼のその一言に、皆が静かに頷く。

「今回は有力議員の暗殺。そこで、ゴドナと対峙する可能性が高いと思われる」

 テオドールがそう言った途端、場の空気が緊張感に包まれ始める。

 皆が張り詰めたような表情を浮かべる。しかし、レオナルトは何のことか分からず、キョトンとする。そして、テオドールに尋ねる。

「ゴドナ?何ですか、それは」

「アドラ帝国軍の最高戦力のことだ」

「最高戦力?」

「そうだ。我らにとって、最も強大な壁だ」

 テオドールの言葉に、レオナルトは衝撃を覚える。

「強大な壁…。一体、どんな奴らなんですか?」

「人智を超えた能力だよ」

「人智を超えた能力?」

「常人離れした身体能力に、傷の再生能力の高さが挙げられる。もう一つあるのだが、これが非常に厄介だ。魔法を扱えるということさ」

「魔法?」

 レオナルトは目を瞬かせる。「魔法」という現実離れした単語が出てくるとは思わなかったからだ。

「風や植物といった自然を操る者。自身の力を高める強化など、人によって異なる。そんな奴らが13人もいる」

「そんなにですか…」

 レオナルトは絶句し、口を半開きにする。

 ゴドナに属する者たちがどんな風貌をしているのかは知らない。しかし、想像を超える能力を持っていると聞いただけで、悪魔のような姿をしているのではないかと想像してしまう。

「一体、どうやって倒すんですか」

「それはだな…」

「たっだいまー!」

 軽快な声が響き渡る。入り口のドアが勢いよく開いたと同時に、一人の男が挨拶してきたのだ。

 皆が一斉に入り口へ目を向ける。そこには、和やかな笑顔を浮かべる男の姿があった。

 男の服装は、白シャツの上に緑のロングコート。下は黒のズボンに、黒の軍靴。

 髪色は白く、短めに整えられている。目は切れ長で、真紅のような赤い瞳が特徴的である。

 男が中にいる者たちと目を合わせる。そして、場の空気から何があったのかを察する。

「もしかして、会議中だった?」

「ダヴィド。あんたどこ行ってたのよ」

「おお、ナタリー。久しぶりだなー」

 ナタリーが立ち上がって声をかける。ダヴィドという男は手を振って、明るく応じる。

 レオナルトが傍で聞いている最中、男の名前に引っ掛かりを覚える。

--ダヴィド…。そうだ。手配書に載ってた人だ。

 思い出したレオナルトは、ダヴィドをまじまじと見つめる。

「酒が切れたもんでな、インネルに買いに行ってたんだ。そこで、たまたま入った酒屋の店主と仲良くなってよ。夜まで飲み明かしたりしてたんだ。あっははは」

「ダヴィっちらしいや。うける」

 エルザが笑みを浮かべる。しかし、クラウスは不満気な表情で鼻を鳴らす。

「全く、何が面白いんだ。1週間以上もアジトから離れやがって」

「相変わらずクールですな、クラウスちゃん」

 ダヴィドの揶揄うような口調に、クラウスは舌打ちをする。

「いやー、そいつ釣りが趣味でよ。釣れたら超レアっていう魚の話聞いてさ、面白そうだから俺も行ったんだよ。それが全然釣れねぇ。だから、釣れるまでにこんな時間かかっちまったわけよ」

「ダヴィドさん。全く、あなたという人は」

 そう呆れた様子を見せるのは、テオドール。彼は目尻を少し下げ、深いため息を吐く。

「あなたは自分がどういう立場か分かってますか?知らぬ間にどっか行って、気付かぬ間に帰ってくる猫じゃないんですから」

「へー、へー」

 ダヴィドは適当な返事をする。そんな返事を聞いたテオドールは目を閉じて、再びため息を吐いた。

「全く、こんなのが副団長とはな」

--えっ?この人、副団長なの?

 クラウスは呆れ、鼻を鳴らす。その一方で、レオナルトは少し驚いていた。こんなお茶らけた人物が革命軍の副団長だなんて、と。

「まあ、個性的な副団長でいいじゃないですか。ね?アルフォンス」

「そうやな」

 笑みを浮かべるユリコに、アルフォンスは平然な顔で応じる。

「ところで、そこの金髪の兄ちゃんは誰だ?」

 ダヴィドがレオナルトを指差す。

「入団したばかりのレオナルトですよ」

 テオドールが答える。呼ばれたレオナルトは立ち上がり、挨拶をする。

「あ、あの。レオナルトです。よろしくお願いいたします」 

「レオナルト?…そうか、お前さんが」

「えっ?」

 レオナルトはダヴィドの反応に疑問を抱く。何かに驚いたように、目を少し見開いているからだ。しかし、ダヴィドの表情はすぐさま、いつものものへ戻る。

「いや、何でもない。俺はダヴィド。ダヴィド・ベルナールだ。一応、副団長をさせてもらっている。レオナルトは長いから、レオって呼ぶぜ。よろしくな」

「よ、よろしくお願いいたします」

 レオナルトは反応に困りながらも、返事をする。

「よしっ、レオナルト!この後2人で飲むぞ!」

「はい?」

「交流だよ!交流。お前のこと知りたいからよ」

「えー!私も混ぜてよ」

 エルザが名乗りを上げる。しかし、ダヴィドは両手で"×"を作って見せる。

「今回はレオとだ。また今度な」

「はーい」

 エルザは渋々了承する。

「よし。じゃあ、俺も作戦会議に加わろうっと」

 そう意気込み、ダヴィドはアルフォンスの隣の席に着く。彼から見て右斜めに座るテオドールは、呆れた目で見つめている。そして、彼と同じ目をしている者がもう1人。2つ隣のクラウスは、心の中で侮蔑する。

--副団長なら最初から来いよ。アル中野郎が。

「ダヴィドさんも加わったところで、作戦の続きだ」

 テオドールは気持ちを切り替え、話を再開させる。


 それからの作戦会議は、澱みなく終了した。その作戦に行くことになったのは、レオナルトとエルザ。 

 任命されたレオナルトは、不安であった。今回の任務で"ゴドナ"という強敵と対峙するかもしれないことに対してだった。

 無事に達成することはできるか。心を蝕んでいく不安と戦うレオナルト。しかし、彼はまだ予想だにしていなかった。そんな彼をさらに動揺させる出来事が、この後のダヴィドとの交流で起きるなんてことを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る