第8話「祝い」

 暗殺任務の翌日。空は青く澄み渡り、輝く太陽が大地を照らす。

 晴れ渡った空の下にある白い屋敷。そこは革命軍"アルバ"の屋敷で、屋上には2人の男が立っている。

「ナタリーがそう言ってたんだな」

 そう呟いたのは、テオドール。彼は鉄柵に背を預けながら、タバコを吸っている。

「ああ。脇腹を撃たれたけど、すぐに血ぃ止まったとな」

 そう答えたのは、アルフォンス。テオドールの右横にいる彼は、神妙な面持ちでいる。

「治りの早さ。クラウスとエルザも話していた」

「ここに入る前の話やな。やっぱ、奴もわしらとおんなじってことやな」

「ああ。そして、アデリーナが探し求めている人物だろう」

 テオドールは煙を吸い上げる。そして、紫煙をゆっくりと吐き出していく。

 アルフォンスが後ろに振り返る。そして、柵の手すりに両手を置いて、真下を見る。

「すごい偶然やな。アデリーナが会うたらどないなるんやか」

「…さあな」

 自信なさげに答えると、アルフォンス同様に振り返って真下を見る。

 彼らの視線の先は、色とりどりの花が咲く庭園。そこには、庭園を眺めるレオナルトの姿があった。




 レオナルトは庭園に佇み、陽の光を浴びていた。任務がない日は特にすることがなく、暇を持て余していた。そんな時に思いついたのが、庭園の散歩だった。

 レオナルトは屋敷の玄関前から真っ直ぐに伸びる道を進む。すると、円型の花壇に差し掛かる。

 朱色のレンガで造られたその花壇には、薄紫色の花が植えられている。その花は"ブローディア"という名前の花だと、ナタリーが教えてくれたのを思い出す。

 円形の花壇は、十字に分かれた道の中にある。そこを起点として上下左右に道が分かれている。そして、4つの道の間には、それぞれ違う色の花が咲いている。

 屋敷を背後にして、花壇の前に立つ。斜め左下は水色の勿忘草わすれなぐさ。斜め左上は白いチューリップで、斜め右上はピンクのガーベラ。そして、斜め右下は紫のフリージアとなっている。

 庭園の手入れはナタリーが主にしていると本人から聞いていた。そして、お気に入りの花は円型の花壇に咲く薄紫のブローディアだということも。

「いつ見ても和むなぁ」

 レオナルトがそう呟く。その時だった。

「おーい!」

 誰かの大きな呼び声。レオナルトは声が聞こえた方向である左を向く。すると、遠くからこちらに走ってくる青年を視認する。

「レオー!助けてくれー!」

「…ノア?」

 レオナルトはその青年の名前を呟く。

 青年の名前は、ノア・フィリップス。格好は、緑のシャツの上に青色のコート。白のズボンに茶色のブーツといったもの。

 髪はオレンジ色で、前髪を左右に掻き上げている。もみあげは顎先までで、後ろ髪はうなじまでの長さに整えられている。

 キリッとした青色の目に、形のいい鼻と唇。右耳には赤い宝石のピアスと、一見すれば爽やかな好青年のように見える。しかし、レオナルトの中でそんな印象はすでに消え去っていた。

 ノアがレオナルトの前に着く。息を荒くしながら、膝に手を置き休む。

「どうしたの、ノア」

「ナタリーちゃんが酷いことしようとしてくるんだ!」

 ノアが突然、レオナルトの両肩を掴む。今にも泣きそうな目を向ける彼に、レオナルトは戸惑う。

「一体、何があったのさ」

「ノア!!」

 遠くから聞こえる怒鳴り声。声の主は、ノアの後ろから向かってくるナタリーだった。

「レオナルト!!そいつ押さえて!!」

「えっ?あ、ああ」

 レオナルトは戸惑いながらも、ノアの右腕を掴む。そして、彼の背後に回して拘束する。

「痛い!痛い!ちょっと、レオ!?」

「ナタリーさんにそうしろって言われたから」

「何で!?」

 ノアは絶望する。そして、正面からやってくるナタリーに戦慄する。

 ノアの前にやってきたナタリー。彼女の目つきは鋭くなっていて、レオナルトは身震いをする。

「何があったんだ?そんな怖い顔をして」

「私が温泉に入ろうとしたら、覗いてたのよ!」

「温泉…。屋敷の近くにあるやつか」

「そうよ!これで何回目よ!お仕置きしなきゃ、気が済まないわ!」

 そう言ってナタリーは、後ろに回してた右手を前に出す。彼女の右手には、1匹の芋虫が這っている。

「そいつの服の中に入れてやるのよ!」

「ひぃぃぃ!ほんの出来心なんだよ!許してよぉ!」

 ノアが涙目になりながら、頭を横に振り続ける。

「レオ!男なら分かるだろ!?性なんだよ!」

「…」

 レオナルトは何も答えない。そして、冷たい目でノアを見つめる。

--やっぱり、この人はどうしようもない人だ。

「そんな目で見ないで!!汚物を見るような目、止めてください!」

「ノア。潔く覚悟を決めるのも、男の性だよ」

「レオナルトさんっ!?」

 ノアは唖然とし、身体を固まらせる。

 芋虫を手に、近づいてくるナタリー。そんな彼女から逃げ出そうとするノアだが、レオナルトの拘束から逃れられずにいる。そこへ、一人の人物がやってくる。

「何してんのー?あたしも混ぜてよ」

「エルザ」

 レオナルトが反応する。屋敷方面からやってきたエルザは、子供のように目を輝かせている。

「何してるの?すごい盛り上がってるけど」

「エルザちゃん!助けて!」

「んー?どしたの」

 エルザが首を傾げる。拘束されているノアに、怒りを露わにするナタリーを見た彼女は、察しが付いた。

「あー、なるほどね。ノアっち、ナタリーの入浴姿でも覗こうとしたんでしょ?」

「うっ…」

 図星を突かれたノアは、エルザから目を逸らす。

「それで、ナタリーがお仕置きしようとしてるわけね。それじゃあ、ノアっちが逃げ切るか、ナタリーが捕まえるかのギャンブルを開催しまーす!」

 エルザの突然の提案に、3人は唖然とする。しかし、エルザは構うことなくレオナルトの右手を掴み、拘束を解いた。拘束を解かれたノアは、突然のことに困惑したままでいる。

「ノアっち。何呆然としてるの?」

「へ?」

「それにナタリー。早くしないと逃げられちゃうよー」

「ふふふ。そうね」

 ナタリーが不敵な笑みを浮かべる。そして、ジリジリとノアへ距離を詰めていく。

 徐々に近づいてくるナタリーを前にして、ノアは駆け出していく。

「ひぃぃぃ!」

「覚悟なさい!」

 ナタリーが声を張り上げる。そして、悲鳴を上げながら逃げるノアの背中を追っていく。

 2人が遠くへ去っていく。エルザは、その光景を笑いながら見ている。

「にゃははは。楽しくなってきた」

「急なギャンブルなんて、とんでもないな。君は」

「そっちの方が面白そうでしょ?」

「面白そうって…」

 レオナルトは困惑し、ため息を吐いた。

「私はナタリーが捕まるに賭ける。レオ君は?」

「うーん…、ノアが逃げ切る方で」

「オッケー。じゃあ、あたしが勝ったら酒を奢るってことで」

「また酒か。で、僕が勝ったら?」

「頼み事を一つ、何でも聞いてあげるよ」

 そう話すエルザの目は妖しく光り、不敵な笑みを浮かべている。レオナルトには彼女の姿が魅惑的に見え、思わず目を逸らす。そして、話題を切り変える。

「そ、そういえば。なんでナタリーが怒った理由が分かったの?」

「そりゃー、付き合いが長いからだよ。ああいう場面を何度も見てきたからだよ」

「何度もやってるんだ…」

「生粋の女好きだもん、あいつ。団員たちのこと、大体知ってるよ。好きな食べ物、嫌いな食べ物、誰と特に仲が良いかとかね」

「誰とでも打ち解ける君がすごいよ」

「そんなことないよ。ただ、

 そう語るエルザは寂しげな笑みを浮かべていた。レオナルトは横目で見ながら、疑問を抱く。

--僕の髪を切った時と同じ笑顔。どうして、そんな顔をするんだろうか。 

「そういえば、今晩楽しみだね」

「ああ。でも、僕のためにそこまでしてくれるなんて悪い気が」

「何言ってるの。初任務達成したのはすごいことなんだよ。自信持って!」

 そう励ますエルザは、いつも見る明るい笑顔であった。




 夜を迎え、屋敷2階の食堂は和やかな雰囲気に包まれていた。

「レオ君、初任務達成おめでとうー!」

 エルザが白ワインの入ったグラスを掲げる。そして、中身を一気に飲み干す。

 彼女の左に座るレオナルトは、照れ笑いを浮かべる。

「ありがとう。でも、これが初任務ってことでいいのかな?」

「そんなの気にしない!気にしない!ダミアンの件は、クラウスと私の独断でやらせたものだから」

 エルザはそう言うと、グラスに白ワインを注ぐ。そして、すぐさま飲み進めていく。

「かあー!人の金で飲む酒は美味いねー!」

--僕の入団試験の時の賭け事か。クラウス、エルザに酒奢ったんだな。

 エルザの飲みっぷりを横目に、レオナルトは苦笑いを浮かべる。

「そういえば、クラウスは?」

「厨房だよ」

 そう返したのは、ノア。レオナルトの正面に座る彼は、オレンジジュースを飲んでいる。

「ユリコちゃんのお手伝いをしてるのさ」

「へえー。手伝いするなんて意外だな」

「違うよ。ユリコちゃんにゾッコンなのさ」 

「そうなのか?」

 レオナルトが驚いていると、ノアは何度も頷いてみせた。

「屋敷にいる時は、いつもユリコちゃんの手伝いをしているからね。それって好きですって言ったようなものでしょ?」

「そうなのかな?ただ単に優しいだけなんじゃ」

「いーや!僕がもし女の子だったら、あんなぶっきらぼうでゴリゴリの奴は選ばないさ」

「そんな奴で悪かったな」

 ノアの顔が強張る。そして、ぎこちない動きで振り返ると、額に冷や汗が出始める。

「随分と楽しそうだな。今のは気にしちゃいない。俺が女だったら、お前みたいなチキン野郎は眼中にねぇからよ」

「何!?」

 ノアが立ち上がり、クラウスと向き合う。

「チキン野郎なんて酷いじゃないか!僕は勇敢な戦士なのさ」

「はっ。いざとなったら怯えて逃げるくせによく言うぜ」

「ぐぬぬぬ…」

「そういえば、聞いたぜ。日中、泣きながら芋虫持ったナタリーから逃げたらしいな。逃げ切れたのは大したもんだが、虫にそんなびびるもんかね?」

「うるさーい!ダメなものはダメなの!」

「ふん」

 クラウスが鼻で笑う。侮蔑の態度を見せるクラウスに、ノアは頬を膨らませる。

 二人の間に火花が散る。レオナルトは、両者の睨み合いをはらはらしながら見つめる。そこへ、一人の人物がやってくる。

「盛り上がってますね、二人とも」

 声をかけたのは、ユリコ。彼女はクラウスとノアの間に立ち、笑顔を浮かべている。そんな彼女からは怒りのオーラが出ており、ノアとクラウスは顔を引き攣らせている。

「クラウス。冷蔵庫からワインを取ってきてください」

「お、おう…」

「それとノア」

「は、はい!」

「あなたは大人しく座っていてください、ね?」

「わ、分かったよ…」

 弱々しい返事をすると、席に腰を下ろした。

 大人しく従ったのを見たユリコは、クラウスと共に厨房へ戻って行った。

「あっははは!ノアっち、固まっちゃってるしー」

「ふん。そんなにびびっちゃって。ほんと逃げ足だけね」

 笑うエルザに対し、呆れた様子でいるナタリー。エルザの右隣に座る彼女は赤ワインを飲んでいる。

「ははは。賑やかにしてくれるな、ノア」

 愉快に笑うのは、テオドール。レオナルトの右側奥にある短辺に座る彼は、シャンパンを飲んでいる。

「レオナルト。楽しんでるか?」

「はい!とっても!」

「どんどん飲めや。こんな機会はそうそうにあらへんからな」

 そう優しく話すのは、アルフォンス。彼はレオナルトの向かい側の右端に座り、ビールジャッキを持っている。

「アルフォンスの言う通りだ。だから全力で楽しめ。この暗い時代の中で輝く思い出になるようにな」

「もちろんです!」

 レオナルトは元気よく答えると、ビールを呷る。一気に飲み干したのを見たエルザが歓声を上げる。

「レオ君、いいねー!みんなもこのまま飲んでいこー!」

「あんたは飲みすぎよ」

「はーい、気をつけまーす」

 ナタリーの指摘に、エルザは自身の頭を小突く。下を出し、ウインクをする彼女の仕草に、皆が声を上げて笑った。




_____

 男の啜り泣く声。その声の主は、有力議員のヤオジ・クセハラ。彼は自宅の一室にて、悲観に暮れていた。

「たった一人の息子だったんだ。それなのに…、うう…」

 ヤオジは嗚咽を漏らし、言葉を詰まらせる。そんな彼に同情する者がいた。

 正面に座る坊主頭の男。黒い軍服を身に纏っており、腕や胸といった身体を覆う厚い筋肉が浮き彫りになっている。

 目はパッチリとした二重瞼に、黄色い瞳。そして左の目尻には、ピンクのハートの刺青が彫られている。

 男は沈痛な表情を浮かべながら告げる。

「お悔やみ申し上げます。私も心が痛みますわ」

 男がヤオジの右手を両手で包む。すると、ヤオジは男の手に左手を乗せ、鳴き声を大きくする。

「ご子息のコスム様を殺した犯人はおそらく、革命軍"アルバ"の可能性が高いと見ています」

「…革命軍?」

 嗚咽混じりにヤオジが聞き返す。

「近頃、帝都を騒がせている者たちです。自分たちの理想の国を築くために弊害となる人物を真夜中に殺害する、危険集団です」

「なぜだ!なぜ息子が殺されなければならないんだ!?」

 ヤオジの口調が強まる。悲しみで弱々しい彼の口調は、怒りに震える者の口調へと変わっていた。

「コスム様のお遊びが過ぎてしまったのではないかと」

「…っ!」

 男の返事に、ヤオジは言葉を詰まらせる。

 何も言い返せず、歯を食いしばるヤオジ。そんな彼に、男は侮蔑の眼を向ける。

--女の子を大勢殺せば、嫌でも狙われるのは分かるでしょうに。バカ親父。

 沈痛な表情を顔に張り付かせながら、心の中で侮辱する。

「ヤオジ様。この一件、私にお任せいただけませんか?」

「何?」

 男の提案に、ヤオジは眼を瞬かせる。

「コスム様を殺害した犯人の首を、この私が持ってきて参りましょう」

「本当か!?」

 ヤオジが目を大きく見開く。期待の眼差しを向けられる男は、微笑んで返す。

「もちろんですわ。帝国最高戦力である"ゴドナ"に属する私、ニコラ・アルドルがね」

 そう話すニコラの目が妖しく光る。

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