第10話「潜入」

 夜空に浮かぶ月。それを部屋の窓から見るニコラ。そして、部屋の隅にあるソファーに腰掛けるヤオジ。そんな彼は落ち着きがなく、貧乏ゆすりをしている。

「本当に、大丈夫なんだろうな?」

 ヤオジが不安げな表情で尋ねる。尋ねられたニコラは、ヤオジに鋭い目線を向ける。

「私の実力がそんなに信じられませんか?」

「いや、君じゃなくてだな。彼のことなんだが」

 ヤオジは困り顔で、入口付近へ目を向ける。

 ドア脇に凭れかかっている男。逆立った黒髪に、厳つい顔。全身が分厚い筋肉に覆われ、半袖と半ズボンが窮屈そうにしている。

「いい加減しつこいぜ、先生よ。まあ、死刑囚を信用するのは難しいか。がははは!」

 そう明るく答えるも、ヤオジは不安気なまま。すると、傍で聞いていたニコラがクスリと笑う。

「"絞殺魔のマテオ"。強靭な腕力で10人を締め殺した彼の実績は本物ですよ」

 ニコラがそう言うと、マテオが歯を見せて笑う。そして、力を誇示するために前腕を曲げて、二の腕に力瘤を作る。筋骨隆々とした彼の腕を目の当たりにするも、ヤオジはまた不安げな表情でいる。

「まだ何か不服でも?」

 ニコラが問いかける。数秒の間を置いて、ヤオジは半笑いを浮かべる。

「もしかして、私はもう標的ではないんじゃないのか?」

「はい?」

--何を言ってるの?こいつ。

 予想外の発言に、ニコラは真顔になりながら呆れる。

「事件から1週間以上過ぎてる。それに、実際に女を殺してたのは息子なんだ。私じゃない」

--狙われる恐怖でどうかしちゃってるわね。こんな奴がよく議員になれたものね。

 ニコラは心の中で侮辱する。そして、表情を取り繕って応じる。

「必ず来ますわ。ご子息だけ殺すなんてことはないでしょうからね。それに、そもそもの発端はあなたにありますから」

「何!?私のせいだと言いたいのか!?」

 ヤオジが声を荒げる。しかし、ニコラは冷静に、冷ややかな目で言い放つ。

「あなたが甘やかし続けた結果でしょう?違いますか?」

 平静ながらも、威圧感ある答え。気迫に押されたヤオジは何か言いたげだったが、何も発しなかった。

「子供の責任は、親の責任。本来なら、あなたが制裁を受けなくてはならないのですよ。でも、我々がいるからそうならずに済んでいることをお忘れなく」

 ニコラがそう釘を刺すと、ヤオジは悔しげに顔を顰める。

--戦うコマでしかないのに、調子に乗りおって…。

「おや?誰か来ましたよ」

「な、何!?」

 ヤオジは驚愕し、腰を上げる。

「男1人と女1人ね」

「女がいいな。久しぶりにヤリてえしな」

 マテオは股間を手で押さえながら、舌なめずりをする。

「あら?どちらも知らない顔だわ。…ふふふふふ」

 ニコラが不気味な笑い声を漏らす。そして、心の中でほくそ笑む。

--何て幸運なのかしら。手配書に載ってない2人のどちらか1人でも討伐すれば、私の評価は高まるわ!

「さて、行きましょうか」

「おい!どこに行く気だ!?」

 ヤオジが声を荒げて尋ねる。

「出迎えに行くのですよ。マテオ、護衛よろしくお願いね」

「はいよ、旦那」

 マテオが歯を剥き出した笑顔で答える。彼の返事を受け、ニコラはそのままドアへ向かう。

 部屋を出ると、そこは赤いカーペットの敷かれた廊下。左右に伸びる廊下には、何体かの死体が転がっている。メイドや執事といった男女のどれもが血走った目を見開き、口を大きく開けている。そして、首元には大きな締め跡が残されている。

 ニコラは背後のドアにもたれ掛かる。そして、目をゆっくりと閉じる。

「フェルナンド様。私が強力な手駒であることを証明しますわ」

 そう呟くと、ニコラは死体が転がる廊下を歩き出した。




 作戦会議から1週間後。暗殺決行日であるその日の夜、レオナルトは南部にある街—エインへやってきた。

 街から少し離れた場所に立つ豪華な屋敷。今回の標的である政治家のヤオジ・クセハラの屋敷で、街中にあるアパートメントと同じくらいの大きさである。

 さすが有力議員だけある。レオナルトはそう納得しながら、側に林立する木の影から覗き見る。

「入り口には誰もいないね」

 そう呟いたのは、エルザ。レオナルトの背後に立つ彼女は、訝し気な表情を浮かべている。

 一方のレオナルトは、浮かない顔をしていた。すると、様子が気になったエルザが優しい声で尋ねてくる。

「どうしたの?レオ君。そんな顔して」

「…いや。何でもないよ」

「先週からずっとだよ?もしかして、ゴドナに出くわすのが怖い?」

 エルザの指摘に、レオナルトは少し動揺する。彼女が言った通りであったため、正直に頷く。

「今までの奴らより強いって聞いてから、ちょっと怖くなったんだ」

「大丈夫だよ私がついてるから」

 エルザはそう言うと、レオナルトの頭に手を置いた。

 子供じゃないのに、こんな慰め方をされるなんて。レオナルトは恥ずかしくなるも、少し安心した。しかし、完全に気持ちが切り替わったわけではなかった。

 まだ残っているゴドナへの恐怖。それに加えて、レオナルトにはもう一つあった。

--ここで言ったら、エルザが動揺するかもしれない。

 そう考えたレオナルトは、話さないことに決めた。

「よし。じゃあ、行くよ」

 エルザの掛け声に、レオナルトは頷く。そして、彼らは作戦を開始する。


 林立する木々の合間を進み、レオナルトたちは屋敷の裏に回り込んだ。

 屋敷の裏にも誰もいない。そのことを確認したレオナルトたちは、裏にある一つのドアに近づく。

 レオナルトたちは、ドア脇に立つ。エルザがドアノブを掴むと、レオナルトに目配せをする。彼がゆっくり頷くと、エルザはドアノブを捻って開ける。

 開かれた先は、誰もいない厨房。香ばしい香りはせず、流し台には洗われていない食器や鍋が溜まっている。

「あそこが食堂みたいね」

 エルザが一点を指差す。裏口のドアから見て、正面には大きなテーブルや観葉植物がある広い部屋へ行く通路がある。

「それにしても、変だな。誰もいないなんて」

「そうね。注意深く行きましょう」

 エルザの忠告に、レオナルトは頷く。そして、彼らは真っ直ぐに進む。


 レオナルトたちは食堂を抜け、玄関ホールへとやってきていた。正面には、3人は横並びできそうな幅の折り返し階段がある。

--この先に、一体何がいるんだろうか。

 レオナルトは踊り場を見つめながら、不安に駆られる。

 館内は妙な静かさに包まれている。ここに来るまで、誰の姿を見ることはなかった。照明は点いたままなのに誰もいないという光景は、レオナルトに小さな恐怖を与える。

 何かがいるかもしれない階上。緊張状態にあるレオナルトは、唾を飲み込む。そして、腰に差している剣の柄を強く握る。

「この先に、ヤオジがいるんだよな?」

「うん。3階にね。急ぎましょう」

 エルザが階段を登り始める。レオナルトは一歩遅れて、登り始める。

 一段ずつゆっくりと上がり、中間踊り場へ足を踏み入れる。そして、また階段を上ろうとした時だった。

 上った先の手すりの陰から、人影が飛び込んできた。驚いたレオナルトたちは階段を登る足を止め、様子を見る。

「た、助けて…」

 男の掠れた声。よく見ると、男は額から血を流し、苦しそうに顔を歪めている。そして、その場に膝を突く。

「大丈夫ですか!?」

 レオナルトが駆け寄る。弱った男の身体を抱き寄せ、近くの壁に座らせる。

 男の格好は、黒いタキシード姿。黒の短髪は乱れ、左目から顎までが額から流れる血で赤く染まっている。

 頭を殴られたのだろうか。そんな憶測を立ちながらも、レオナルトは男に尋ねる。

「あなたは一体?」

「わ、私は…、ここの執事です」

 男は息を上げながらも答える。

「一体、何があったんですか」

「ヤ、ヤオジ様の護衛にやられました…」

「護衛?どんな奴ですか?」

「筋骨隆々とした、大男です…。凶暴な人で、何人もの執事たちが…、ひどい暴行を受けました…」

「そうですか…」

 レオナルトは沈痛な表情を浮かべる。すると、エルザが男に近づき、こう尋ねる。

「そいつはどこにいるの」

「さ、3階の一番奥の部屋です。そこに、ヤオジ様もいます…」

「分かった。ありがとう」

 そう返すと、エルザは3階へ続く階段に身体を向ける。

「レオ君。その人を外に連れて行って。ここは危険よ」

「君は?」

「私が先に仕留めてくる」

「無茶だ!単独行動だなんて」

 レオナルトは異を唱える。しかし、エルザは真剣な表情で反論する。

「大丈夫。一人での任務は何回かあったし。それに、私にはがあるからね」

「奥の手?」

「だから、レオ君はその人をお願い。安全な場所まで連れて行ったら、私のところまで来てね。ま、その前に終わらせるつもりだけどね」

 そう言うと、エルザは微笑んだ。そして、一人で階段を上がって行った。

 レオナルトは男の肩に手を回し、ゆっくりと立たせる。

「大丈夫ですか?歩けますか?」

 レオナルトの問いに、男はゆっくりと頷く。

「すみません。こんな私を…」

「とんでもないです。さ、行きましょう」

 レオナルトは笑顔でそう返す。彼が笑顔を浮かべたのは、男を安心させるためであった。

 レオナルトの意図が伝わったのか、男は安心したように小さく微笑んだ。




 エルザは3階に上がり、廊下を突き進んでいた。赤いカーペットが敷かれた廊下は、異様な光景だった。

 廊下の左右に転がる何体かの死体。苦しんで死んだのを表しているように目は血走り、口は大きく開いている。そして、首元には大きな締め跡が残されている。

--首を絞められた跡。一体、誰が。

 エルザがそう疑問を抱いた、その時だった。 

 彼女の先に一人の男が佇んでいる。ヤオジの護衛を任されたマテオだった。

 部屋のドアに凭れたまま、エルザに目を向ける。そして目が合うと、口角を吊り上げて歯を剥き出しにする。

「女だ。ついてるなぁ」

「この人を殺ったのは、あなた?」

 エルザは冷静に問いかける。そして、右太腿のレッグホルスターからナイフを取り出す。

「ああ、俺が殺ったよ」

「どうして?」

「どうして?決まってんだろ。殺すのが大好きだからだよ」

 そう笑顔で答えるマテオに、エルザは目つきを鋭くする。

「たまんねぇんだよ。俺の腕の中で命が消える瞬間がなぁ」

 恍惚な表情で語るマテオに、エルザは歯を食いしばる。そして、右手に持ったナイフをマテオに向ける。

「そう。だったら、ここで死ね」

「やれるもんならやってみな!」

 そう言い放ち、マテオが一気に距離を詰めてくる。

--ここじゃ狭すぎる。場所を変えないと。

 エルザは冷静に辺りを見渡していた。 

--この廊下は、人2人分の幅。真っ直ぐに来られたら、左右に避けるのは無理。となると、踊り場に行くしかないわね。

 そう考えたエルザは後ろに振り返る。そして、そのまま駆け出して行く。

「おいおい!鬼ごっこか!?いいねぇ!」

 マテオは興奮気味に言う。エルザは彼の言葉に耳を貸さず、ただ踊り場へ走って行く。

 廊下を走り、踊り場に着いたエルザ。廊下よりも四方に広いここなら動けやすい。エルザがナイフを構えて待っていると、マテオが追いついてきた。

 正面に立会う両者の間に、緊迫感が張り巡らされる。

「もう鬼ごっこはおしまいか?」

「ええ。今度は鬼退治よ」

「俺が鬼ってか。なら、お前を抱いて殺してやるよ!」

 マテオが左手を伸ばながら、距離を詰める。エルザは身を屈めて避ける。そして、膝のバネを使ってナイフでの反撃する。

 彼女が突き出した右手のナイフが、マテオの左胸へ突き刺さる。

「ぐっ!」

 マテオが苦悶の表情を浮かべ、呻き声を漏らす。しかし、彼は余裕ある笑みを浮かべる。彼の分厚い胸板が、ナイフの先しか通さなかったせいだった。

「どんだけ分厚いのよ。この筋肉ダルマ」

「こんな胸に顔を埋めたいだろう。だから、抱きしめさせろ!」

 マテオの両腕が、エルザを抱きしめようとする。彼女はナイフを引き抜くとすぐさま、身を屈めながら後ろに下がった。

 エルザは、マテオの次の動きに備える。マテオは歯を剥き出しにしながら、じりじりと距離を詰めていく。

「さあ、どうする?お前のナイフじゃ、俺の身体を刺せないぞ」

「それなら、目ん玉とか喉元を切るだけよ」

「がははは!やれるもんならやってみ…、うっ!?」

 マテオの様子が急変する。余裕の笑みは消え失せ、ただ驚愕の表情を浮かべている。

 マテオは身体をガクガクと震わせ、その場に膝を突く。そして、唇を震わせる。

「う、動かねぇ…。何しやがった?」

「よく言うでしょ?美しい花には毒があるって。私のナイフには、毒が塗られているの」

 エルザがそう答えると、マテオは目を見開く。

「ま、待ってくれ。久しぶりの外なんだ。もうちょっとだけ楽しみた…」

「やかましいわ」

 エルザは冷たく言い放つと、ナイフを横に薙いだ。その斬撃はマテオの喉元を掻っ切り、赤い筋を浮かび上がらせる。そして、そこから血が勢いよく吹き出し始める。

 辺りがマテオの血で汚されていく。やがて勢いが弱まってくると、マテオは前のめりに倒れた。

 倒れてから程なくして、マテオは動かなくなった。目を見開きながら、血の海に臥せる彼を見下ろす。

「あんたみたいな乱暴な男は好きじゃないの。他人を思いやれる優しい男じゃないとね」

 エルザはそう呟くと、その場を後にした。


 エルザが部屋のドアを蹴破る。そこは、マテオが佇んでいた部屋。中には、怯えた表情でこちらを見るヤオジの姿があった。

「く、来るなぁぁぁ!!」

 ヤオジが唾を撒き散らしながら叫ぶ。そして、恐怖で尻餅を付くと、そのまま後ずさって行く。

「息子が散々やらかした罪の揉み消し。親のあんたが死んで詫びなさい」

 エルザはそう言い放つと、ヤオジの喉元をナイフで掻っ切った。

 喉元から血を吹き出しながら、倒れるヤオジ。徐々に血の気を失っていく彼は、やがて動かなくなった。

 標的であるヤオジは仕留めた。しかし、エルザは妙な違和感に駆られていた。それは、この屋敷に入った時から抱いているもの。

--たかが議員だからといっても、護衛がたった1人だなんておかしい。財力から考えれば、もっといてもおかしくないはず。

 エルザは頭を働かせる。この違和感は一体何なのか。これまで見てきた光景を思い浮かべる。

--たった一人の護衛。頭に傷を負った執事。絞殺された何体かの死体。…絞殺された死体?まさか…。

 考え抜いた結果、恐ろしい仮説に至った。半ば信じられない気持ちであるものの、エルザは急いで部屋を飛び出した。

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