第11話「切り裂き魔」

 エルザとマテオが対峙する十数分前。

 レオナルトは頭に怪我を負った執事と共に屋敷の外へ出ていた。そして、近くに林立する木の根元に座らせる。

「大丈夫ですか?」

 レオナルトが様子を伺う。執事は少し遅れながらも、反応を見せる。

「ええ。大丈夫です」

「それはよかった」

 レオナルトは安堵のため息を吐く。

 レオナルトが白シャツの右袖を引きちぎる。そして、執事の顔を拭こうとする。

「痛かったらごめんなさい」

 そう前置きし、執事の顔を拭いていく。額から流れる血が拭われ、血色のいい肌が見えてくる。そんな時、レオナルトはあることに気が付き、手を止めた。

--左目尻にハートのタトゥー?執事でもタトゥー彫っていいもんなんだ。

「どうかしましたか?」

「いえ、何でも」

 レオナルトは訂正し、作業を再開させる。

 執事の顔を抜き終わり、血だらけになった袖を地面に置く。

「これで綺麗になったと思います」

「ここまでしていただき、ありがとうございます」

「いえ。とんでもないです」

 レオナルトは笑みを浮かべながら答える。彼の笑みを見て、執事は微笑みを浮かべた。

 レオナルトは背後の屋敷に振り返る。

 中では今頃、何が起きているのか。エルザは無事なのか。次々に浮かび上がる不安が、彼の心を締め付けていく。

--頼む。無事でいてくれ。

「あ、あの」

「はい?」

 執事の呼びかけに、レオナルトは振り返って応じる。

「どうかしましたか」

「あなたのお名前を教えていただけませんか」

「レオナルトです」

「レオナルトさんですね。では、あなたと一緒にいた女性は?」

「エルザです」

「エルザさんに、レオナルトさんですね」

 執事は名前を繰り返すと、何度か小さく頷く。

「ところで、あなたたちはなぜここに?」

「えっ?あー、そうですね…」

--「ヤオジを暗殺しに来たんです」、なんて言えないな。何て言えばいいんだろうか…。

「あの…」

 執事が困り顔を浮かべる。早く答えなくては、と焦るレオナルトは、頭の中でまとまっていない適当な話をすることにする。

「お、お掃除に来たんですよ!屋敷のお掃除に!」

「…掃除ですか?」

「はい!庭の掃除をするようにと、ヤオジ様に依頼されて来たんですよ!ある程度終わったので、出来栄えを見てもらうかなって、屋敷に入ったらあなたに会ったわけでして…」

「…そうですか」

 執事が訝しげな目で見つめてくる。

--何を言ってるんだ、僕は!?もうちょっとまともな嘘があっただろうに!

 レオナルトは恥ずかしさのあまり、顔を紅くする。

 下手な嘘のせいで、かえって怪しまれる。そう覚悟していたレオナルトだったが、執事は微笑みを浮かべた。

「そうだったんですね」

「えっ?」

--あれ?通じた?

「あなたたちが来てくれなければ、私はどうなっていたことか」

「いえ!滅相もありません」

 執事の反応にレオナルトは、苦笑いを浮かべるしかなかった。

「あなたはここで安静にしていてください。僕は屋敷に戻ります」

「分かりました」

 執事の返事を受け、レオナルトは屋敷に向かっていく。

 執事は離れていく男の後ろ姿を見つめる。

「レオナルト君、ね」

 そう呟くと、口角を吊り上げた。そして、両手の白い手袋を外していく。

 両手には、光沢を放つ青色の手甲。そこから3枚の刃が出てくる。二の腕ほどの長い刃たちを下に向けながら、ゆっくりと立ち上がる。

「レオナルト君。フェルナンド様のために、死んでちょーだい」

 執事はそう呟くと、一気に駆け出していく。そして、鉤爪の間合いまで来たところで左手の突きを後頭部に目掛けて放つ。

 屋敷に向かっているレオナルトは悪寒に襲われ、足を止める。

--殺気?一体誰が…。

 そう感じたレオナルトは、周囲を見渡していく。そして、背後を振り向いた時だった。

「ひょょょょ!!」

 雄叫びと共に、3枚の刃が目の前まで迫ってくる。

「なっ!?」

 レオナルトは驚きながらも、瞬時に身体を捻って躱す。しかし、彼の右頬に2つの赤筋が浮かび上がり、血が飛び散る。

 レオナルトは半歩引いて、正面にいる何者かに注目する。そして、彼は驚愕する。

「執事さん、どうして!?」

「いい反応じゃない。完璧な不意打ちだと思ってたのに」

 執事の口調が変わる。そして、黒髪を掴んで手前に引くと、するりと離れていった。そこで露わになったのは、坊主頭だった。

「蒸れて気持ち悪いわ」

 執事はウィッグを地面に放り投げる。そして、上着のタキシードと白シャツを脱ぎ、後ろに放り投げる。そこで露わになったのは、筋骨隆々の身体を浮き彫りにさせる黒のノースリーブシャツであった。

 様子も外見も一変した執事。それに驚いたレオナルトは、警戒しながら尋ねる。

「お前、何者だ?」

「初めまして。私はニコラ・アルドル。アドラ帝国軍最高戦力である"ゴドナ"の一人よ」

「ゴドナ…?」

 その単語を聞き、首筋に冷たいものが走る。

 鍛え上げられた身体に、3枚刃の手甲鉤。左目尻にピンクのハートのタトゥー。女性言葉を使い、余裕ある笑みを浮かべる不気味な男を前にして、レオナルトの鼓動が高まっていく。

--今の僕に、こいつを倒せるのか?

 そんな恐怖が心を支配し、身体の震えをもたらす。

 恐怖で心も身体も蝕まれるレオナルト。そんな彼の脳裏に、団員たちの姿が浮かび上がってくる。

--そうだ。みんなはこうやって、今まで戦ってきたんだ。僕だけ怖気付いていてもしょうがないんだ。

 そう気持ちを奮い立たせ、レオナルトは腰に差した剣を引き抜く。そして、両手に握りしめた剣先と共に、鋭い目つきを相手に向ける。

「いい眼をしてるわ。私を前にしても怯えないなんて。実はね、あなたのことはすでに知ってたのよ」

「どういうことだ?」

「先週のコスム殺害事件。現場に行っていた少女がね、私に話してくれたのよ。金髪の男と赤髪の女が殺したってね」

「何?」

姿。情報を得た私は、父親のヤオジの護衛を引き受けた。間違いなく殺しに来ると読んでね。そして、私の読み通りにあなたが来た」

 ニコラはそう話すと、左の鉤爪をレオナルトに向ける。刃を向けられたレオナルトは怯むことなく、ニコラに向き合う。

「ところで、あなたはアルバの一員?」

「さあな」

「まあ、いいわ。私が無理矢理にでも吐かせてあげるから」

 ニコラが両手を広げ、戦闘態勢に入る。レオナルトは剣を握る両手に力を込め、出方を見る。

「それじゃあ、行くわよ!!」

 ニコラがそう言い放つと、一気に距離を詰めてくる。

--早い!だが、奴の攻撃を冷静に見るんだ。

「しゃあああ!!」

 ニコラは声を張り上げながら、右の鉤爪で袈裟斬りを放ってくる。レオナルトは半歩引いて躱す。そして、反撃の横薙ぎに出ようとする。

 しかし、ニコラはそれを許さなかった。振り下ろした右手を素早く斜め右に振り上げた。

「くっ!」

 レオナルトは呻き声を上げる。3枚の鉤爪が浅くも、彼の胸を切り裂いたからだ。

 胸を裂かれる痛みに顔を顰める。しかし、すぐさま攻撃に出る。

「うおおお!」

 レオナルトは雄叫びを上げながら、逆袈裟斬りを放つ。しかし、ニコラは余裕の笑みを浮かべながら、半身引いて避ける。そして、そのまま距離を取る。

「まだまだね、あなた」

「うるさい…」

 レオナルトは息を上げながら答える。

--俺の攻撃はあっさり避けられる。それに、相手は小回りが利く武器。どうすればいい…。

 レオナルトは頭を巡らせる。そんな時、彼の脳裏にアルフォンスとの会話が浮かび上がってくる。


『ええか?レオナルト。戦いに慣れとらん奴は、武器に便りがちだ。慣れとる奴は、武器以外のあらゆる攻撃を持っとるのさ』

『武器以外?それは何ですか』

『手や足やで。攻撃のあいさに拳や蹴りを入れたら、相手の意表を突け、隙を作れる』

『なるほど』

『後は、周りの状況をよう見んかい。活路を見出すなんかがあるかもわからんからな。とにかく、頭を使わんかい。ええな?』

『はい!』


 会話の再生が終わると、レオナルトは考え直し始める。

--そうだ。俺には手と足がある。だったら…。

 レオナルトは剣を握りしめ、両足に力を入れる。そして、一気に駆け出していく。

 斬撃の間合いに達し、レオナルトは剣を頭上に上げる。

「はああ!!」

 掛け声と共に、頭上から垂直に振り下ろす。

「そんな直線的な攻撃なんて当たらないわよ」

 ニコラは鼻で笑い、身体を右に捻って躱す。そして、右の鉤爪を斜め右上から振り下ろしにかかる。

「喰らいなさい。…ぐっ!?」

 ニコラは呻き声を上げ、攻撃が止まる。レオナルトが左足の蹴りを腹に浴びせていたためであった。

--今だ!

 好機と見た彼は、剣を斜め左上へとから振り上げる。しかし、反撃を受けたニコラはすぐさま反応する。

「ちぃ!」

 大きく舌打ちをし、後ろに大きく跳ぶ。

--急に攻撃パターンが変わった。厄介ね。

 ニコラに動揺が走る。一方のレオナルトは、次の攻撃に出ようとしていた。

--地面に足がまだ着いていない。今がチャンスだ。

 好機と見たレオナルトは、剣から左手を離し左腰の鞘を掴む。そして、右手に持った剣で突きを放とうとする。

「はああ!」

 掛け声と共に、ニコラの喉元へ剣先が向かっていく。迫り来る刃を前に、ニコラの目が見開かれる。

「させないわよ!」

 ニコラが左手を振り上げる。左の鉤爪がレオナルトの剣を上に弾き、攻撃が止まった。

 レオナルトの目が見開かれる。彼の表情を見たニコラは口角を上げ、胸目掛けて右手の突きを放つ。

「これでおしまいよ!」

 勝ちを宣言するニコラ。しかし、彼の視界が突然、顎への強い衝撃と共に真上を向く。

「なっ…」

 ニコラは訳が分からず、ただ困惑する。グラグラと揺れる視界で、彼は正面に向き直る。そこには、鞘を逆手に左腕を上げたままのレオナルトの姿があった。

--鞘で、私の顎を打ちつけたのね…。

「うおおお!!」

 雄叫びと共に、レオナルトは右手の剣で袈裟斬りを放つ。彼の斬撃はニコラの胸から脇腹にかけて深く切り裂き、大量の血が出ていく。

「がっ…」

 ニコラは苦悶の表情を浮かべ、その場に片膝を突く。そして、両手をだらりと下げ、俯く。

「終わりだ!」

 レオナルトは声を張り投げながら、剣を真下に振り下ろす。しかし、彼の刃はニコラの頭上で止まった。頭上に構えた両手の鉤爪が、レオナルトの刃を止めたためだった。

「…っふふふふふ」

 ニコラは俯きながら、不気味な笑い声を発する。

「普通なら死んでたわね。でもね、私は特別なの」

「ぐっ…」

 レオナルトの剣が押されていく。それと同時に、ニコラの身体が徐々に起き上がっていく。

--何て力だ…。

 刃に伝わってくるニコラの膂力に驚愕する。すると、レオナルトの高さまで上がってきたニコラの目と目が合う。

 上目遣いでこちらを見る双眸。レオナルトは怖気がし、後ろへ大きく下がった。

--何だ、今の強烈な殺気は。それに…。

「ふふふ。いい判断ね」

 ニコラは俯きながら呟く。レオナルトは彼の上半身を見て驚愕する。大きく斬り裂かれた傷がすでに塞がっていたためだった。

「私と当たったのが運の尽き。ここからが、私の本気よ」

 ニコラが顔をゆっくりと上げる。そんな彼の顔には一つの変化があった。右眼だけが黄色から赤に変わり、黄色と赤のオッドアイへと変わっていた。

 凄まじい再生能力と眼の色の変化。それらを目の当たりにしたレオナルトは驚き、緊張感が高まっていく。

--再生能力に片眼の変化。これが、ダヴィドさんの話していたやつか。

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