第6話「目標」

 エルザと買い物に行った日の夜。レオナルトは彼女と共に食堂へ向かっていた。

 2人は階段を上り、裏にある食堂のドア前に立つ。レオナルトはドアを開けることなく、その場でじっとする。

--どんな反応されるかな。

 気持ちが落ち着かず、髪を触り続ける。

 エルザに整えてもらったばかりの髪型。左側だけ目が隠れる長さであった不均等な前髪は、右側と同じように眉毛までの長さになった。そして、伸びっぱなしだった後ろ髪と左右の髪も程よい長さにまで整えられている。

--いい反応してもらえるといいな。

 団員たちへ期待を寄せる。そこへ、一人の団員がやってくる。

「よう」

 レオナルトたちの背に声をかけたのはクラウス。

「おー、クラウス」

 振り返ったエルザが明るい調子で答える。レオナルトも返事しようとした時、クラウスが両眉を吊り上げた

「レオナルト。お前、髪切ったのか」

「ああ。さっき、エルザにね」

「どう?いけてるでしょ?」

 エルザが誇らしげな表情を浮かべる。

「いいじゃねぇか」

「本当?」

 レオナルトは半信半疑ながらも問う。そんな彼にクラウスは頷いてみせる。

「髪伸びっぱなしで、左右不均等な前髪より全然いいじゃねぇか。良かったな」

 クラウスが微笑する。彼の笑顔と感想に嬉しくなったレオナルトは頭を掻く。

「おら。さっさと入れよ」

「う、うん」

--本当に嬉しいみたいね。レオ君。

 エルザが口角を上げる。隣で明るい表情を浮かべるレオナルトを見て、彼女は髪を切って良かったと心から思えた。

「ささ、レオ君。中に入るよー」

 エルザがドアを引く。ドアが開かれた瞬間、食欲を刺激する香ばしい香りが鼻腔を刺した。

「うーん、美味しそうな匂い。今日は何だろ」

「エルザ。クラウス」

 2人を呼ぶ声。声の主は、すでに席に着いていたテオドール。彼は、入り口から見て横向きに置かれたテーブルの左短辺に座っている。彼の前には、赤ワインの注がれたグラスが置かれている。

「もうすぐ出来上がるそうだ。席に着きなさい」

「はい」

「はーい」

 真面目な返事をするクラウスに、間伸びした返事をするエルザ。一方のレオナルトは、名前を呼ばれなかったことに困惑していた。

 なぜ呼ばれなかった。そんな疑問が頭の中に浮かび上がった、その時だった。

「レオナルト」

「は、はい」

「かっこよくなったじゃないか」

「あ…、ありがとうございます」

 急な褒め言葉に、レオナルトは恥ずかしくなる。しかし、同時に感じる嬉しさもあった。

「そろそろ出来上がるから、席につきなさい」

「はい!」

--良かった。団長にも褒めてもらえた。

 大きな喜びを心のうちに秘め、辺りを見渡す。そんな時、正面から鋭い視線を感じた。

 視線の正体は、赤いベルテッドワンピースを着た少女。彼女は奥側の長辺にある5席のうち、真ん中に座っている。

 二重でパッチリとした目。しかし、眉根が少し寄っている彼女の目は、レオナルトに恐れを抱かせる。

--やっぱり、嫌われてるのかな。

 レオナルトは眉を八の字にし、少女から目を逸らす。

 少女の名前はナタリー・バシュラール。背中まで伸びた赤紫色の長髪に、パッチリ二重の茶色い瞳。彼女の右耳には、緑色の宝石が嵌め込まれたイヤリングが付いている。

 彼女の服装といい、髪色から赤色が好きなのかと思わせるような風貌である。

 ナタリーの視線が注がれるレオナルト。恐れを抱いている彼に、エルザが耳元で囁いてくる。

「さっき言ったこと、覚えてる?」

「ああ」

 レオナルトは思い出す。髪を切った後に、エルザが突然出した指示を。


『団員全員と交友を深めること!』


「あの子は難しそうだよ」

「何言ってるのー。まずは挨拶から、ね?」

「うう…」

 レオナルトに躊躇いの気持ちが生じる。しかし、エルザの真っ直ぐに見つめてくる視線には逆らえなかった。

 レオナルトは緊張しながらも、ナタリーの正面の席へ座る。そして、勇気を振り絞って声をかける。

「ナタリー…、さん。こんばんわ」

「…」

 目を合わせず、無視するナタリー。レオナルトは心が折れそうになる。

「いやー、お腹空いたね。僕、今日は街を歩き回ってたから、お腹ぺこぺこなんだ。ナタリーさんは、今日何してたの?」

「ねぇ」

「うん?」

「そこ座んないでくれる?」

「えっ?」

「あんたの席、あっちでしょ?」

 ナタリーが左端の席を指す。そこは、彼女の2つ左隣の席で、後ろのすぐそばに厨房がある。

「それとさ、なんでタメ口なのよ。なめてるの?」

「いや、そういうわけじゃ…」

「だったら、敬語で接しなさい。下っ端のくせに」

「はい。すみません…」

--怖っ。やっぱり仲良くなんて…。

 レオナルトは落胆し、腰を上げる。そして、指定の席へ向かおうとした時だった。彼の側にいたエルザがテーブルに両手をつく。

「ちょっと、ナタリー。それはないんじゃない?」

「何よ。馴れ馴れしく話しかけてくるのが悪いんでしょ。髪型褒められたくらいで浮かれちゃって」

 あしらうように鼻で笑うナタリー。そんな彼女に、エルザが眉根を寄せる。

「レオ君は大切な仲間なんだよ。仲良くしなさい」

「大変ね。いい女でい続けなきゃいけないのも」

「なんですって〜?この性悪女!」

「私はそんなんじゃないわよ!」

 ナタリーは立ち上がり、テーブルに両手を突く。眉根をさらに寄せて、口をへの字に曲げる。

--大変だ。僕のせいで、こんな…。

 レオナルトは事態の深刻さに困惑する。このまま取っ組み合いの喧嘩になってしまうのでは。レオナルトがそう危惧した時だった。

「あなたたち」

 背筋を凍らせるような冷たい一言。その一声に、エルザとナタリーの表情が固まる。

 声の正体は、ナタリーの背後に立つユリコだった。目を閉じ、口角を上げている仏のような笑顔。しかし、彼女は自身の顔の前に包丁を持ち上げている。

「食事の場に土俵はありません。喧嘩なら外でやってください」

「う、うん。分かったから、包丁しまってくれない?」

 声を震わせるエルザに、ユリコがクスリと笑う。

「これは失礼。トマトスープが血のスープでしたなんて、笑えないですもんね」

「そ、そうね…」

 ナタリーは顔を引き攣らせ、乾いた笑い声を漏らす。エルザも彼女と同じ反応を見せるばかりだった。

「ご理解いただいて助かります」

 ユリコはそう言うと、包丁を下ろした。

「あら?レオナルトさん。素敵な髪型ですね」

「あ、ありがとう…」

 レオナルトが礼を言うと、ユリコは厨房へ戻って行った。

--ダメだ。あの人は絶対怒らせちゃいけない人だ。

 レオナルトは冷や汗をかきながら、指定の席へ向かっていく。

 嵐が過ぎ去り、その場に静寂が訪れる。ナタリーはそのまま腰を下ろし、エルザは彼女の左隣の席に着いた。

 女同士の喧嘩を見ていたテオドールとクラウス。2人の男は平然な表情でいるものの、内心では心底ホッとしていた。

--良かった。ユリコが怒り狂わなくて。

 2人の思ったことは、全く同じであった。




 その日の夕食は、牛肉の煮込みとスープにパン。付け合わせのホースラディッシュと食べる牛肉は美味だった。じっくりと煮込まれた牛肉のほろほろとした柔らかい食感。そして、牛肉の旨みがホースラディッシュの辛味と合っている。

 サイドディッシュには、ほうれん草のソテーと揚げた細切りのじゃがいも。そして、牛肉を煮込んだスープのどれもが美味しく、レオナルトは食事を楽しく感じる。

 一人で黙々と食事をするレオナルト。彼の斜め右に座るクラウスは、正面に座るエルザと談笑しながら食事をしている。

 ナタリーもまた、右隣に座るユリコと談笑しながら食事をしている。

 一方のテオドールは、赤ワインが入ったグラスを片手にしながら皆の様子を見ている。

「レオナルト」

「はい?」

 テオドールの目がレオナルトに向けられる。

「まだ話していないことがあったな」

「何ですか?」

「我々の目的は何か、についてだ」

 そう話を切り出した途端、場が静まり返る。雰囲気の急な変化に戸惑いながらも、レオナルトは答える。

「それって、今の帝国を打倒することですよね?」

「そうだ。では、誰を倒せばいいのだ?」

「うーん、民を困らせている人?」

「うむ。では、それは誰だ」

「…軍人です」

「軍人…。確かにそうだな。君の友人が死んだのは、軍人関係だったからな」

「ええ」

 レオナルトの表情が曇る。4人の軍人に嬲られる友人の姿が頭の中で再生され、暗い感情に染まっていく。

「その原因は、国の上層部にある」

「上層部?」

 レオナルトが問い返す。

「為政者や貴族、王族なんかがそうだ。奴らは権力を自らの欲望を満たすために使う。汗水垂らして得た民からの税金を私的に利用したり、階級の低い者を奴隷のように扱ったりと、様々だ」

 淡々と語るテオドール。しかし、レオナルトには彼の言葉に怒りが込められているように聞こえる。

「人間は自分勝手な生き物だ。高い地位の人間ほど、その性質は強く出る。"権力"という盾にも、矛にもなるものを持っているからな」

「盾にも剣にもなる権力、ですか」

「そうだ。それを笠に悪さをする人間はいくらでもいる。そんな奴らの中で、仕留めなくてはならない人物が2人いる」

「2人?」

「1人は、現皇帝のルドルフ・エスターライヒ」

「皇帝ルドルフ。15年前、当時の皇帝だった両親を落石事故で亡くした皇子ですよね?」

「よく知ってるな。君がまだ5歳にも満たない年だったろうに」

「…たまたまですよ。5年前に20歳を迎えて正式な皇帝になったじゃないですか。その時にふと知ったんですよ」

「なるほど。…話が逸れたな。こいつは民を手駒だと考え、民のために何かすることを考えていない自分勝手な奴だ」

「自分を中心に世界が回っているという考えが強いんでしょうね」

 レオナルトの発言に、テオドールが頷く。

「そしてもう一人は、大臣であるアルフレッド」

「アルフレッド?どんな人物なんですか?」

「ルドルフが最も信頼を寄せる人物だ。さっき話に出た、両親を事故で亡くした幼いルドルフの側にいて、今日まで支え続けたからだ」

「王のお気に入りというわけですか」

「そうなるな。そんな奴は側近であると同時に、アドラ帝国軍の総司令でもある」

「総司令?」

 意外な単語に、レオナルトは少し驚く。

「軍のトップに君臨するのが奴だ。そして、軍に逆らえば重い罰が下る法律を作った」

「なんでそんな法律が?」

「軍人は敬意を払われる存在だと、アルフレッドは考えているからだ。なぜそんな考えに至ったのかは分からんが、それによってこの国の軍人たちは腐っていった」

 テオドールの説明に、レオナルトは一つの疑問をぶつける。

「それが、民に暴力を振るっても許されるということにつながるんですか」

「その通りだ。暴行、強姦、殺人と表に出てないことがたくさんある。上層部に揉み消されるからな」

「そんなんだから、ダミアンたちみたいなのが…」

 レオナルトは拳を強く握る。静かな怒りを抑え込むように、握りしめ続ける。

「我々の目標は長い道のりで、ずっと険しい。それでも君は、力を貸してくれるか?」

 テオドールの覚悟を問うような視線。その視線を真っ向に受けるレオナルトは、口角を上げて答える。

「最初に言ったじゃないですか。どんな道だろうと、僕はやり遂げますよ」

「それは、心強いな」

 テオドールが安心したように微笑する。彼だけでなく、クラウスとエルザ、そしてユリコも同じ反応を示した。しかし、ナタリーは小馬鹿にするように鼻で笑うだけだった。

「それなら良かった。さて、そんな君に任務に行ってもらおうか」

「えっ?任務?」

 急な展開に、レオナルトは目を瞬かせる。

「1週間後、とある親子の暗殺に向かってもらう。ナタリー、君もだ」

「はあ!?ちょっと待ってよ!」

 そう声を荒げたのはナタリー。そして、テオドールに抗議の目を向ける。

「なんで、こいつなの?こんな頼りない人と一緒なんて嫌よ!」

「た、頼りない…」

 悪口の不意打ちにレオナルトはショックを受ける。

「こら!またレオ君の悪口言った!」

 エルザが即座に庇う。

「あんたは黙ってて!」

 ナタリーがすぐさまエルザに反論する。

「ナタリー。彼には団員全員と任務に行ってもらいたい。仲間として絆を深めるために」

「そうは言っても…」

 ナタリーが不満げな表情を浮かべる。そんな時だった。

 食堂のドアが開き、1人の大男が入ってきた。

「ただいま」

 男の野太い声。白の長髪に黒いローブ。身長が2m近くある大男に、室内全員の視線が注がれる。最初に声をかけたのは、テオドールだった。

「おかえり、アルフォンス。ノアはどうした?」

「部屋で寝とる。疲れた言うもんだから、おぶっちゃった。ほんなら、わしの背中で涎垂らして寝くさった」

「はぁ。相変わらずだな」

 テオドールが呆れたようなため息を吐く。

--この人が、アルフォンス…。

 レオナルトは好奇の目を向けていた。手配書に載っていた仲間の一人に、会うことができたと。

「どないした?えらい静かとちゃうか」

 アルフォンスが首を傾げる。すると、ナタリーがテオドールに告げる。

「そうよ!アルルが一緒ならいいわ」

「おい、ナタリー!そんなわがまま通るわけないだろ」

 クラウスが反論する。しかし、ナタリーは耳を傾けることなく、そっぽを向いている。

「ナタリー。…はぁ」

 テオドールは額に手を当て、ため息を吐く。彼の困り顔を見て、レオナルトは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 一方のアルフォンスは、状況が掴めずにいた。

「一体、何の話をしよるんや?」

 アルフォンスは首を傾けたまま、誰かの答えを待ち続ける。

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