第5話「魅惑の女」

 目が覚めると、そこは内装の整った一室。レオナルトは身体を起こし、大きな欠伸をする。

 ベッドは白いシーツに覆われ、温かい羽毛布団がかけられている。そして、カバーに覆われた枕もあり、彼にとって寝心地が良かった。

--こんなベッドに毎日寝られるなんて、最高だな。

 レオナルトは嬉しさで微笑する。

 彼がいる部屋は2階の角部屋。部屋の構造は、入り口の正面にカーテンが敷かれた四角い窓。右側にはベッド、左側には机と本棚が置かれている。本棚は3段あり、どの段にも分厚い本がほぼ隙間なく並んでいる。

 部屋を一通り見渡していると、腹の音が鳴った。

「お腹空いた」

 そう呟くと、ベッドから立ち上がる。両腕を頭上に上げ、背筋と共に伸ばす。そして、息をゆっくり吐いてから部屋のドアを開ける。

 ドアを開けた先は、白いタイルの廊下。左側は行き止まりで、右側には2つの部屋が並んでいる。2つの部屋の先には、屋敷の階段。階段の後ろに食堂があることを思い出しながら進んでいく。

 食堂の前に着いたレオナルトは、ドアノブを掴む。重厚感ある茶色の木製ドアを引くと、視界に広々とした部屋が映り込む。

 正面奥には3枚のアーチ窓。外から朝日が差し込み、床の白いタイルを反射し輝やかせている。

 入り口の目の前には、横向きに置かれた大きなテーブル。赤いテーブルクロスが敷かれ、2つの花瓶が間隔を空けて置かれている。

 テーブルの長辺には5席ずつ、そして入り口から見て左側の短辺には1席の計11席。レオナルトは手前の右端にある席に向かう。

「あら、早いですね」

 突如聞こえた女の声。レオナルトは驚き、斜め右に視線を向ける。

 視線の先は、部屋の右壁にある厨房。仕切りカーテンから一人の女性が顔を覗かせている。そして、レオナルトと目が合うと、優しい笑顔を浮かべた。

「おはようございます。レオナルトさん」

「おはようございます。ユリコさん」

「そんな改まった話し方じゃなくて大丈夫ですよ。昨夜言ったじゃないですか」

「すみませ…。いや、すまん。そういえば、そうだったな」

「ふふふ。朝食お待ちしますね」

 ユリコは顔を引っ込め、厨房に姿を消す。

 丁寧な言葉遣いと優しい笑顔で接する女性。そんな彼女の名前は、ユリコ・オニジマ。

 彼女はアドラ帝国出身ではない。はるか遠くにある"ニホン"という国の出身者である。そんな彼女の目は、目頭と目尻が尖っている茶色の奥二重。アドラ帝国の国民にはあまり見られない特徴である。

 彼女の髪は艶のある黒髪。前髪は眉毛までの長さで、横髪は耳たぶまでの長さ。後ろ髪は肩甲骨までの長さで、髪留めで留められている。彼女のうなじにあるその髪留めは、金色の蝶の形をしている。

 ユリコの格好は、"ドウギ"という白い服に、"ハカマ"という黒い紐付きのスカートのような衣類。そして、"タビ"という親指とそれ以外の2つに別れた白い靴下。さらに、"ゾウリ"という靴底が薄く、"タビ"に赤い紐を通している履き物といった姿。

 彼女曰く、それらの格好は普段身につけるものではないらしい。剣術や弓を引いたりする際の衣類なのだが、普段着として愛用するぐらい好きなのだという。そんな彼女の"ドウギ"には、3本の白いユリの刺繍が施されており、レオナルトが綺麗と思うほどの出来栄えである。

 席に着いたレオナルトは、朝食が運ばれてくるの待つ。そして、ユリコが皿の乗ったお盆を両手にやってくる。

「お待たせしました」

 ユリコがテーブルに並べていく。パンの乗った皿にコーヒーカップ。パンにはきゅうりにハム、チーズが挟まれている。そして、きゅうりとハムの間にはマヨネーズが塗られている。

「さあ、召し上がれ」

「いただきます」

 ユリコの掛け声で、レオナルトはパンを手に取る。歯を立てるとパンの柔らかい食感と共に、具の食感が伝わってくる。そして、全ての味が口の中に広がり、目を大きくする。

「美味っ」

「それは良かった。新鮮な野菜と特製のマヨネーズを使ってるんです。おかわりありますから、遠慮なく言ってください」

「うん」

--朝から誰かのご飯が食べられるなんて、幸せだな。

 レオナルトは小さな幸せをパンと共に噛み締める。

 パンを頬張り、コーヒーを堪能する。甘味が一切ないコーヒーの苦味と風味が、彼にはちょうどよかった。

「そうだ、レオナルトさん」

「ん?」

「エルザと一緒にお使い行ってきてもらえませんか?」

「エルザと?」

 急な依頼に、レオナルトは目を瞬かせる。

「この近くに"インネル"という大きな街がありましてね。エルザはそこによく通ってて、お使いに行ってもらってるんです」

「ああ、なるほど」

「本当は私が行きたいのですが、

「それってどういう…」

「おはよー」

 背後からの声。レオナルトが振り返った先には、眠たそうに目を細めるエルザがいた。大きな欠伸をする彼女に、ユリコが声をかける。

「おはよう、エルザ。珍しいですね」

「ほんとだよ。こんな目に早く起きたの久しぶりだなー。あっ、レオ君、おはよう」

「おはよう」

 レオナルトが挨拶を返すと、エルザは彼の正面の席に着いた。

「朝食お持ちしますね。あっ、そうだ」

「んー?」

「この後、レオナルトさんと一緒にお使いに行ってきてもらえませんか?」

「レオ君と?」

「はい。食材が切れそうなんです。それに、交友を深めるにはいいかなと思いまして」

「いい考えだね。うん、了解した!」

「ありがとうございます」

 エルザの溌剌な返事を受け、ユリコが笑顔を浮かべる。

「というわけでレオ君。お姉さんとデートに行くよ」

「デ、デート…」

 レオナルトは恥ずかしくなり、エルザから目を逸らす。そんな彼の反応を見たエルザは、小悪魔ような笑みを浮かべる。




 快晴の空の下、レオナルトはエルザと共に"インネル"という街に来ていた。そこは、アジトがある山を下ってから、少し離れたところにある街で、アドラ帝国の北部に位置する。

 街中に建ち並ぶ商店や家屋。子供と手を繋ぐ両親、笑顔を浮かべるカップル、そして杖を突いて歩く老人と様々な人々の姿。店の種類と通りの形、人々の格好等は違えど、人々の活気に溢れているその光景は、アドラ帝国南部の街"エイン"に似ている。

 レオナルトの前をエルザが進む。彼はエルザの後に付いて行くも、気になることがあった。

「なあ、どこに向かってるんだ?」

「パンケーキ屋さんだよー」

「パンケーキ?さっきご飯食べたばっかりだろ?」

「それは別腹」

 エルザは振り返り、笑顔を向ける。彼女の自由奔放な性格に、レオナルトは困ったようにため息を吐く。しかし、それと同時にそんな彼女が可愛らしいと思っている自分もいて、複雑な気持ちになる。

「あっ、あそこだよー」

 エルザが左前方を指差す。彼らが歩く通りの先は広場となっており、様々な屋台が営業している。

 広場に出ると、彼らは黄色い看板の屋台へ向かう。看板には可愛らしい字体と様々な色で"ヴォルケ"と書かれている。そして、屋台の周りには5つのテーブルが配置されていて、そのうちの3つが埋まっている。

 レオナルトたちは屋台の前に立つ。すると、屋台の内側から一人の男性が声をかけてくる。

「おお!エルザちゃん、いらっしゃい!」

「おっすー。おじちゃん、いつものちょーだい」

「あいよ!」

 男性店員と親しげに話すエルザ。2人のやり取りを見ていたレオナルトに、店員の目が向けられる。

「そちらの兄ちゃんは彼氏かい?」

「か、彼氏!?」

 レオナルトは驚きと恥ずかしさで顔を紅くする。すると、エルザが面白可笑しそうに声を上げて笑い出す。

「あはは!違うよ。最近知り合った男の子で、最近ここにやってきたの」

「へえ、そうかい」

「だから私がガイドしてるわけ」

「いいねー。俺にもガイドしてくれよ」

「何十年もいるおじさんには必要ないでしょ。それに、奥さんにしばかれちゃうよ」

「がっははは!そうだな、それは勘弁だ」

「というわけで、いつもの2つねー」

「あいよ!適当な席で待っててくれや」

 店員はそう言うと、調理に取り掛かる。

 空いている席に着いてからしばらく経った頃。2人の席に注文のパンケーキがやってきた。2枚重ねのパンケーキにはメープルシロップがたくさんかけられており、下が水溜りのようになっている。さらに、皿の端にはホイップクリームまで添えられている。

 パンケーキを前にして目を輝かせるエルザ。一方のレオナルトは、苦笑いを浮かべている。

--さっき食べたばかりだから、あまりお腹が空いてないんだよな。

「いっただきまーす!」

 エルザがフォークとナイフを手に取る。右手のナイフで一口大に切ると、左手のフォークで刺す。そして、メープルシロップとホイップクリームをたくさんつけてから口に運ぶ。

「んー!やっぱりこれだわ〜」

 エルザが目を閉じ、歓喜の声を上げる。パンケーキを食べて喜ぶ彼女は子どもらしくて可愛いらしいレオナルトはそう思った。

「ほら!レオ君も食べて!」

「う、うん」

 レオナルトは渋々、ナイフとフォークを手に取る。左手のナイフで一口大に切り、右手のフォークで刺す。そして、メープルシロップを少しだけ付けて口に運ぶ。パンケーキのうま味とメープルシロップの甘味が混ざり合い、美味に感じる。

「美味しいでしょー?私ね、任務の後にいつも来るんだ」

「そうなんだ。うん、美味しいよ」

 そう言ったものの、レオナルトは次の一口に進めなかった。

--お腹空いてたら、もっと美味いんだろうな。

「ささ、どんどん食べて」 

「う、うん。あ、そういえば」

「ん?」

 エルザが首を傾げる。

「ユリコが言ってたことが気になってて」

「なに、それ?」

「僕にお使いを頼んだ時、「街へ気軽に行ける立場ではない」って言ってたんだけど、どういう意味なんだろ」

「あー、そのことね。これのせいだよ」

 エルザがテーブルに置かれていた新聞を広げる。最後のページを開くと、下の方を指差した。

「これは帝国軍が出している手配書。新聞の最後のページにいつも載ってるの」

「手配書…」

 レオナルトは示された箇所に注目する。最近の出来事を綴った記事の下に、白と黒で描かれた5人の似顔絵が横に並んでいる。正面を向く似顔絵の上と下には、不吉な単語と名前が書かれている。


「WANTED

Dead or Alive

革命軍アルバ

"テオドール・サン=テグジュペリ "」


「WANTED

Only Alive

革命軍アルバ

"アデリーナ・パヴロフ"」


「WANTED

Dead or Alive

革命軍アルバ

"ダヴィド・ベルナール"」


「WANTED

Dead or Alive

革命軍アルバ

"アルフォンス・ルルー"」


「WANTED

Dead or Alive

革命軍アルバ

"ユリコ・オニジマ"」


「アデリーナ・パヴロフ?」

「どうしたの?」

 エルザが様子を伺う。しかし、レオナルトは彼女に反応することなく、一人の似顔絵を見つめ続ける。彼の頭の中で、何か引っかかっているのだ。

--アデリーナ。どこかで聞いたような。それに、この顔…。

 レオナルトは必死に思い出そうとする。

 右側に寄った七三分けのショートヘアーに鋭い目つきの女性。手配書に描かれているその人物をまじまじと見るも、思い出すに至らない。

「ねぇ、レオ君」

「えっ?」

 レオナルトは我に返る。正面のエルザが困ったように眉を八の字にしている。

「急にどうしたの?呼びかけにも応じないし」

「…いや、なんでもないよ」

 レオナルトは嘘をついた。そして、誤魔化すように先刻の話を掘り返す。

「さっきの話だけど、こういうことだったんだな」

「そ。ユリコはお尋ね者になってるの」

 エルザがユリコの手配書を見ながら答える。

「他に4人もいるのか。テオドールさんは会ったけど、他はまだだ。アルフォンスにダヴィド、

「この3人は任務に行ってるから、今はアジトにいないよ。まあ、直に会えるよ」

「そういえば、団員って全員で何人いるんだ?」

 レオナルトの問いに、エルザは上を見上げる。

「えっとねー。レオ君を合わせると、11人だね」

「11人。会ってるのはクラウス、エルザ、ユリコ、テオドールさん。あとは…、あー、あの赤いワンピースの女の子だ。ナタリーだったよね?」

「そう。よく覚えてるね」

「まだろくに話せていないけど」

「あははは。あの子、結構キツいからね」

 レオナルトは困惑の表情を浮かべる。

 団員として迎えられた日の夜。食堂で夕食を共にしていたが、彼女から一切声をかけられず、鋭い目つきを向けられていたことをレオナルトは思い出す。

「新人の僕が気に入らないのかな」

「大丈夫、大丈夫!いずれ仲良くなれるよ」

「そうかなぁ」

 エルザが励すも、レオナルトの困った表情は変わらない。

--あの感じ、嫌っているみたいで怖いんだよな。

「あとは、ノアとボリスか」

「ノアとボリス?手配書に載ってない人か」

「そう。2人ともいい人だから、すぐ仲良くなれるよ」

「それはよかった」

 レオナルトは一安心する。すると、エルザが俯き始める。

「みんなそれぞれ任務があって、揃うことはあまりないんだよね」

「そうなんだ」

「うん。だからこそね」

 エルザがゆっくりと顔を上げる。そして、優しい笑顔を浮かべる。

「だからこそ、こうやって仲間と過ごす時間が大切なんだよ」

 エルザの言葉に、レオナルトは感銘を受ける。

--そうか。僕は彼女にとって、大切な存在なんだ。

「ねぇ、エルザ」

「ん?」

「これ食べ終わったら、色々な場所に案内してよ」

「うん!もちろん!」

 エルザが元気な声で応じる。彼女の陽気な姿に、レオナルトは微笑する。そして、食事を再開させる。


 食事を終えたレオナルトは、エルザの案内で街を歩き回った。彼女の行きつけだという店やおすすめの観光地、あらゆる場所に行った。

 彼女はどんな場所でも誰かと楽しげに話し、笑っていた。人生を明るく、楽しく生きている姿はレオナルトには眩しく見えた。そんな彼女との思い出は、彼にとって一生忘れることのないものへとなった。




 空がオレンジ色に染まり出した夕暮れ時。買い物を終え、屋敷に戻ったレオナルトとエルザは屋敷裏の庭にいた。

 ジョキ、ジョキ。何かを切るハサミの音。それは、エルザが椅子に座るレオナルトの金髪を切っているためであった。

 エルザが長さを整える。毛先のほんの数cmまでハサミで切って整えていく。前、後ろ、左右両方の調整を終えると、ため息を吐いた。

「できた!どう?上手くいったでしょ?」

 エルザが手鏡を差し出す。レオナルトは手鏡を受け取り、自分の顔を映す。

「おお!いい!」

 レオナルトは鏡に映る自分の姿に歓喜する。

 彼の前髪は眉毛までの長さになり、左右均等に整えられた。そして後ろは耳たぶまで、左右は耳にかからない程度の長さまでとなった。

「悪いな。髪まで切ってもらって」

「いいってもんよ!」

 エルザが胸を張って答える。まんざらでもないといった顔でいる彼女に、レオナルトは一つの疑問を尋ねる。

「どうしてこんなに上手いんだ?もしかして、美容師目指してたのか?」

「ううん。違うよ」

 そう答えるエルザは落ち着いた様子だった。

「友達の髪をね、よく切ってたの。それで慣れてるだけよ」

「そう、なんだ」

 レオナルトは少し困惑しながら応じる。エルザが浮かべている笑みは寂しそうで、別人のように見えたからだった。

「ねえ。レオ君。忘れないでね」

「えっ?」

「私の名前、顔、声、性格とか。それと、一緒に過ごした日々をね」

「どうしたんだよ、急に」

 レオナルトは理解できず、問い返す。しかし、エルザはただ寂しげな笑みを向けるだけだった。

--何か嫌なことでも思い出せちゃったかな。

「さて、レオ君!君に任務を与える!」

「えっ、任務?」

 エルザの様子が急に変わり、レオナルトは困惑する。

「団員全員と交友を深めること!以上!」

「は、はぁ…」

--何だよ、それ。

 急な話にレオナルトはさらに困惑し、ため息を吐く。しかし、エルザの顔にはいつもの明るい笑顔が戻っていた。彼はそれに安堵し、微笑した。

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