第2話 「非日常」との邂逅



「な、な、な……?!」


 空を砕いて現れた、おおよそ常識の埒外にある存在を認識して、陽斗は思わず腰を抜かす。


 闇色を纏った異形の存在は、よくよく見てみれば、大雑把に「四足の獣」のような姿をしているのが見て取れる。

 しかし、眼孔が位置するであろう場所にずらりと並んだ赤黒い光点たちや、茹だったように全身から噴き上がるドス黒いモヤ。そして大型トラックすら凌駕しそうなほどの巨躯が、ただの生物とは決定的に異なる存在であることを、これでもかと言わんばかりに主張していた。


「うわ、〈イーター〉かぁ……楽な部類っちゃ楽な部類なんだろうけど、よりによって今とは……タイミング悪すぎやしないかなぁホント」


 そんな化け物を目の前に尻餅をつく陽斗とは対照的に、白銀色の髪の女性はこともなげにそう口走る。

 思わず女性の顔を見上げるが、陽斗の目に映る女性は、どこか緊張感に欠けた佇まいを崩そうとはしなかった。


「な、なんでそんな落ち着いて?!」

「んまぁ、アイツのにはからね。……それよりキミ、さっきも言った通り、向こうのほうに隠れといてね?」


 陽斗に向けてぱちんと軽くウィンクした女性は、その場で一歩進み出る。


「ちょっと――アイツを『退治』してくるからさ」


 そう言った女性が、まっすぐに伸ばした手を、静かに自身の目元の高さまで掲げると。




 ヴォンッ!! という耳慣れない音と共に、掲げられた女性の掌の先で、1メートルを超えるほどの長さの、金属製と思しき棒状の物体が、どこからともなくその姿を表した。



「は……?!」


 驚きで二の句を紡げなくなった陽斗をよそに、出現した金属棒はパシッ、という小気味いい音を立てて、女性の掌中に収まる。


 女性が手に取った金属棒は、よくよく見ればただの棒ではないらしい。

 上端部分には歪曲した装飾が施されており、その中央には、つるりとした光沢を放つ真円状の物体が嵌め込まれている。金属質で、さらにところどころに機械的な造型がうかがえたものの、それを除けば、金属の棒はまるで「御伽話の魔法使いが振るう長杖」のような外観をしていた。


 そんな機械的な長杖を手に取った女性は、口元に微かな笑みを浮かべる。

 どこか好戦的な色を宿した笑みのまま、女性は掌中の杖を異形の獣めがけて突き付けて――


「さっさと片付けようか――〈タラニス・レグスピューラ〉!!」


 まるで演劇の役を演じるかのように、女性が高らかにそう叫んだ。






 瞬間。眩いばかりの閃光が、陽斗の視界を焼く。


 一泊遅れて、腹の底を揺るがすような轟音。ついで吹き荒れた衝撃波が、陽斗を暴力のままに平伏させ――そこでようやく、「落雷が発生した」ということを理解するに至った。


「ッ、な……!?」


 地に伏せる陽斗は、今しがた起こった事態の把握に思考を費やす。


「杖を掲げた女性が、浮世離れした文言を呟くと、突然黒い化け物めがけて落雷が降り注いだ」。

 状況を機械的に俯瞰してみれば、何が起こったかを理解するのは容易い。

 だが、一連の出来事の因果関係を考えれば、それはまるで――


「……魔法、使い…………?」


 それはまるで、空想の中の「魔法使い」に等しい所業だった。




 そんな陽斗の驚愕をよそに、杖を構えていた女性は、どこか驚いたような表情を見せる。


 理由は単純。先ほど女性が呼び寄せたらしき落雷に焼かれたにも関わらず、黒い異形の姿が、未だ健在だったのだ。


「ありゃ、仕留め損ねたか。耐性持ちか、もしくは上手いこと直撃を躱されたか……まぁなんにせよ、倒れないなら倒れるまでやるだけだけど!」


 思考を口に出して考えをまとめたらしい女性が、再び杖を振るう。


「貫け、〈タラニス・ライア・プファイル〉!」


 再び女性が言葉詠唱を紡ぐと、横一文字に振るわれた杖の軌跡に合わせて、今度はバチバチと唸る紫電が発生。

 いくつかの球形に分かれて収束したそれらは、まるでやじりか弾丸のように鋭く研ぎ澄まされた形を成した――かと思うと、視認すら困難なほどの勢いで、黒い異形めがけて撃ち出された。


 ズドドドドッ!! という炸裂音を響かせて、異形の体躯を、無数の紫電の矢が貫いていく。

 手痛いダメージを負ったのか、黒い異形はその顎門あぎとを大きく開いて、おおよそ生き物のそれとは思えないような、おぞましい咆哮を撒き散らした。


  直後、赤黒く輝く眼のような光点が、いっせいに女性へと向く。

 かと思うと、黒い異形は、前脚にあたるであろう部分を持ち上げ、女性めがけて勢いよく振り下ろして来た。


「おっとっと」


 軽やかな足取りで女性が後退すると、獲物を捉え損ねた異形の前脚は、アスファルトを割り砕き、深々と地面を抉る。

 着弾点を中心に、周辺のアスファルトへと縦横に亀裂が刻まれる。その様は、生身の人間が食らえばひとたまりもないだろうということを理解するには、余りある光景だった。


「グガアアアァァァァ!!!」


 二度、三度と破壊の奔流が吹き荒れるが、女性はまるで風に揺れる木の葉のように、ひらりひらりとそれをかわしていく。

 自身を傷つけた敵を仕留められないことに苛立ちを覚えたのか、黒い異形は怒りに身を任せるように咆哮した。


「うーん……やっぱり効き悪いか? もう一発落としてあげるから、ちょっとじっとして欲しいんだけど、っと!」

 

 横長に振るわれた前脚を、女性は自身の身長の数倍ほどの高さまで跳躍して交わす。

 体操選手のように空中で身を翻した女性は、そのまま再び杖を突きつけ、さらに詠唱を重ねた。


「〈タラニス・エー・ディーツヴァング〉!!」


 杖の先端から炸裂音と共に迸った紫電が、再び振り上げられた黒い異形の前脚に絡みつく。

 かと思えば、絡みついた紫電はまるで蛇のように異形の体表をはいずり始める。黒い体表を縦横に駆け巡った紫電は、ものの数秒でその巨体をがんじがらめに縛りあげてみせた。


「ガアアアァァァァ!!!」


 しかし、その拘束が続いたのは、女性が着地するまでのほんの数秒だけだった。

 自身を縛る紫電の鎖にもがいていた黒い異形が、ひときわ甲高い咆哮を上げる。直後、異形を縛り付けていた紫電は、風に吹き散らされる砂のように、千地に引き裂かれて霧散してしまった。


「あーくっそ、こりゃ完全に『耐性持ち』だなぁ。なーんでよりにもよってあたしのところに出てくるんだか……」


 心底面倒くさそうにそう吐き捨てると、女性は再び手にしていた杖を頭上に振り上げる。


「『雷』以外はあたしの領分じゃないんだけど……しゃーない。〈ベレヌス・ジャヴェル〉!」


 再び女性が詠唱すると、振り上げられた杖の先端に、眩い「光」が灯る。

 乳白色に輝く光の球は、瞬く間に1メートルを超えるほどの長さにまで延伸。長細い棘――あるいはにも似た形状へと変化した。


「そりゃっ!」


 勢いよく杖が振り下ろされるのに合わせて、光の槍が唸りを上げて撃ち出される。

 ドズッ!! という重い音を立てて、黒い体表に光の槍が突き立てられると、黒い異形は先ほどまでの唸るような鳴き声とは違う、甲高い悲鳴を上げた。


「よし効いた! だったら――〈ベレヌス・ライアジャヴェル〉!!」


 畳み掛けるように詠唱する女性の周囲に、先ほどと同じサイズの光の槍が、4本同時に出現する。

 立て続けに撃ち出された光の槍は、先の一撃で崩れた体勢を立て直そうとしていた黒い異形に全弾命中。重い着弾音が連なるやまびこのように打ち鳴らされると、人間の2〜3人は容易く丸呑みできそうな程の巨体は、宙に浮き上がり、そして地響きと共に地に伏した。




「……すごい…………」


 女性と黒い異形が繰り広げる、スペクタクル映画もかくやの大立ち回り。そしてそこで幾度となく振るわれた、まるで空想の中の出来事のような奇跡の数々。

 腰を抜かして立てなくなっていることも、一歩間違えば命の危機に瀕していたであろうことも忘れて、陽斗は目の前の光景を、食い入るように見つめていた。



 そんな陽斗の様子には目もくれず、女性は油断なく倒れた異形を注視し続ける。


「グオオォォォォ…………!!」


 数秒ほど沈黙していた黒い異形だったが、真っ暗く落ち窪んだ眼孔部に再び赤黒い光を灯すと、身の毛もよだつようなおどろおどろしい唸り声と共に、ゆっくりと身を起こした。


「ちぇっ、やっぱり威力不足か。こりゃ、倒し切るまでゴリ押すしかないかなぁ」


 ぼやきつつ、女性が再び杖を頭上に掲げる。


「グガアァァァッ!!!」


 しかしその時、なおも唸り声を上げていた黒い異形が、不意に一際強く咆哮。

 直後、異形の巨体から立ち上るドス黒いモヤがぎゅるりと収束したかと思うと、次の瞬間、モヤの塊が鏃の雨となって、女性めがけて降り注いだ。


「ッ、やば!?」


 思わぬ反撃に面食らったらしい女性は、掲げていた杖を眼前に突き出す。

 先ほどまでとは違い、女性の方から詠唱は紡がれていない。しかし、女性めがけて飛来した黒い鏃の雨は、杖の先端付近で耳慣れない衝撃音を鳴らすと、不自然に軌道が捻じ曲がる。

 斥力に引き寄せられるように軌道を逸らされた黒い鏃は、あらぬ方向へ吹き飛ばされ、路面や石塀を深々とえぐるだけに終わった。


 陽斗がよくよく目を凝らしてみれば、女性の周囲が、淡く光り輝いているのが見える。どうやら先の詠唱は、女性を守る力場のようなものを構築するための――



「キミ、避けてッ!!」

「ぇ?」


 そこで、女性がこちらを向き、焦ったように叫ぶ。


 視界の端に映り込んだ見慣れない異物。それは、女性を襲い、あらぬ方向へ向けて弾き飛ばされた、黒い雨の一端。



 つまるところ――



「ッ……?!」


 黒い弾丸の速度は、悲鳴を上げることすら許さない。


 瞬きすら間に合わないほどの勢いで飛来するそれを見た陽斗にできたのは、条件反射的に両の腕を交差させ、自分自身を守ることだけ。



 瞬間、鈍い衝撃が、陽斗の身を揺るがし――


 


 


 

 








 ……しかし、陽斗の予想に反して、痛みは一向に襲ってくる気配がない。


 恐る恐る、視界を覆う自身の両腕を下ろした陽斗の視界に広がったのは――




 眼前を覆う淡いと、それにせき止められた黒い弾丸。


 そしてその向こうで、驚愕に目を見開く女性の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る