第5話 二度目の最後

 男女を問わず誰しもを魅了するあの妖しくも美しい瞳はかつては蘭陽玉がもっていたものだ。それを涼文姫という女性が持っていた。

 いならぶ群臣たちは皆涼文姫に視線を釘付けにされている。

 涼文姫はどちらかといえば、細身の女性だった。だが、でているところはでているようだ。同性ながらうらやましい体型をしている。濃い茶色の髪が異国のものであることを証明している。瞳も髪と同じ濃い茶色であった。

 まさか彼女が傾国の美女となるのか。

 いや、あの蘭陽玉が傾国の美女ではないか。

 私が半信半疑でいるうちにことはあれよあれよとすすんでいった。

 父である皇帝はかたときも離さず涼文姫をそばにおくようになる。

 国政を家臣にまかせ、涼文姫と過ごす時間をなによりも優先するようになる。

 年がかわるころには涼文姫は貴妃の位をあたえられた。


 貴妃の地位はかつて蘭陽玉のものだった。それが今生ではみたこともない女がその地位についた。どんなに記憶をただっても涼文姫という女性を思い出せない。

 もしかしたら前の人生で見かけはしていたのかもしれないが、後宮の数多くいる姫の一人であったのかもしれない。蘭貴妃があまりにも目立つ存在であったから、他の姫のことはあまり記憶にない。


 私は虹優哉との婚約をやんわりと断った。

 彼は人はいいが、大事なところでにげだすところを知っている。

 これから起こるかもしれないことに彼では対処しきれない。

 私がやることは父である皇帝と涼文姫を別れさすことだ。

 だがことごとく失敗し、時間だけが無為に過ぎていった。

 気がつけば十八歳になっていた。

 ついにあの時がやってきたのだ。

 北の国境線を超えて騎馬民族である流興るきょう族が侵入してきたのだ。

 太志真の軍は一万五千である。

 太志真は北の幻影城にたてこもり、流興族の侵入を必死におさえている。

 帝都には何度も救援要請の伝令兵がやってくる。

 しかし、皇帝は会おうとしない。

 涼文姫と後宮にいりびたりであった。


 私は決意した。

 涼文姫を排除しよう。

 涼文姫さえいなければ、父はもとの名君にもどるだろう。

 決意した私は短刀を懐にいれ、後宮内に侵入する。後宮内部はよく知っている。

 衛兵をしている宦官の目を盗み、涼文姫の寝室に忍びいることは容易い。

 私は涼文姫の部屋に誰もいないことを確認する。

 よし、他に人の気配はない。

 私は足音をたてないように忍びいる。

 暗い部屋で寝息だけが聞こえる。

 ゆっくりと私は歩みを進める。

 手がかすかにふるえる。

 当たり前だ。人を殺すなんて前の人生を含めても初めてだ。だけどやりとげないといけない。この国と私を助けるためだ。

 私は寝息をたてて眠る涼文姫の美しい顔を見る。

 寝ている姿はあの妖しさは一寸も感じられない。

 本当に傾国の美女なのかと疑問が過る。

 私は短刀を持つ右手を振り上げる。

 これを振り下ろせば傾国の美女を殺すことができる。しかし私はためらった。やはり人は簡単に殺すことはできない。でもやらなければ。

 決心した私は勢いをつけ振り下ろす。

 だが、右手はつかまれ、阻止された。

 かっと見開いた目で涼文姫が私の右手をつかんでいる。ぴくりとも動かない。こんなに細い腕なのになんて力だ。

 涼文姫は闇夜でもわかるほどの赤い瞳で私を見ている。どういうことだろうか、彼女の瞳は濃い茶色だったはず……。


「公主殿下ともあろうお方がまことに乱暴なことをなさるのですね」

 勝ち誇ったように涼文姫は私の手をつかんだまま、上半身を起こす。

 どうにかしてふりほどこうとするが、やはり動かすことはできない。

「あなた程度の力では私を害することはかないませんよ」

「離せ、女狐め!!」

 つい声をあらげてしまう。

「ほう、女狐とは。どこまでご存知なのですか」

 ぺろりと涼文姫は舌なめずりする。どこか動物のような仕草だった。

「お前を殺して国を救うのだ。傾国め」

 私は渾身の力を腕にこめる。だめだ、動かない。

「ふふふっ。たしかにわらわは傾国じゃ。それが目的だからのう。虹一族は滅びる運命にあるのじゃ……」

 ぐるりと涼文姫は腕を回転させる。私は簡単に床にころがる。カランカランと乾いた音をたてて短刀も床に転がる。

 寝台から降りた涼文姫が私を見下している。

 短刀をつかもうとした私の右手を踏みつける。

 激痛が腕をはしる。

「冥土の土産に教えてやろう。わらわは氷月ひょうげつである。このものに取り憑き、貴様らを滅ぼすものじゃ」

 さらに涼文姫は私の右手を踏みつけ、さらに下腹部をけられる。呼吸できないほどの痛みがはしる。

「誰か誰かおらぬか!!公主殿下がご乱心であるぞ!!」

 涼文姫は大声で叫ぶ。

 すぐに衛兵の宦官がかけつけ、私は捕らえられた。


 私は涼貴妃暗殺の罪で南の離宮に幽閉される身となってしまった。

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