第11話 最後の夜2

彼はそのまま私を寝室に連れて行こうとした。

「待って、筒井くん。下ろして」

「なんで?」

「お願い」

筒井くんは渋々という表情で、私をリビングに下ろしてくれた。

「今日は最後……だから、お願いがあって」

「お願い?」

私はコクッと頷いた。

「今夜は、優しく抱いて欲しいの。一生忘れられないくらい。他の人に抱かれても、いつも今夜のことを思い出すくらい」

筒井くんの目を見て言った私を、彼はフワッと、それからギュッと抱きしめた。

「いいよ。俺だって本当はずっと、小夜ちゃんを目いっぱい甘やかして大事に優しく抱きたいって思ってた」

「え……?」

「あの日、最初の夜、小夜ちゃんが言ったんだよ。『私を抱くなら、できるだけ乱暴に抱いて。イケナイことをしてるんだってわかるように』って」

記憶がなくなるくらい酔っていても、結局私は家に縛られていたんだ。

筒井くんは私のつむじにキスをして、それから頬や唇に優しく唇を落とした。


「約束する。今日は、小夜ちゃんが一生忘れられない夜にする」


それから、シャワーを浴びてバスローブ姿でベッドに座り、いつになく緊張しながら筒井くんを待っていた。

「小夜ちゃんなんか緊張してる?」

シャワーを終えて私の隣に腰を下ろした筒井くんが言う。

「すこし……」

そう言った私に、彼は優しく微笑んだ。それから私の目の前に跪くように体勢を変えると、私の脚に触れた。

「え」

筒井くんが私の足にキスをした。

「だ、だめよ足なんて……汚い」

「汚くない。小夜ちゃんは全身……中身も、全部綺麗だよ」

筒井くんは私の全身に、宝物に触れるみたいに優しく唇を落としていく。たまらなく恥ずかしいけど、筒井くんにも私のことを一生忘れないでいて欲しい。

「……ん……っ」

舌が絡まって溶け合うような口づけと、筒井くんの指がくれる身体の奥からの刺激で意識が飛びそうになる。

「好きだよ、小夜ちゃん」

「あ……」

吐息が触れる耳元からの声に、目の前が真っ白になる。

それから、まだ痺れているような感覚が残る身体で筒井くんと混ざり合う。

「私も、好き。筒井くんが好き」

今この場で言葉にしてしまうと、涙が止まらない。

「大好き」

筒井くんの首に回した腕に力を入れる。この重みも忘れたくない。

「かわいい」

何度も何度も、一つになりたくて舌も吐息も汗も全部重ね合う。

「誰が一番小夜ちゃんを想ってるか、覚えておいて」

今夜が永遠に続けばいいのに。


翌朝は仕事に行く支度のために筒井くんよりも早くホテルを出た。

仕事なんて、どうせクビになるんだから行かなくても良いのかもしれないけど、筒井くんと離れるきっかけが欲しかったから。

「もしもし、小夜子です」

歩きながら電話をかける。

『あら、あなたからこんな時間にかけてくるなんて珍しいじゃない』

母の声は、私を現実に引き戻すのには一番効果的だ。

「お母さんが喜ぶ話があるから、早く伝えたくて」

『喜ぶ話?』

「うん。私、斑目さんに会うよ。それに結婚の話も進めて欲しい」

『あら! どうしたの、急に』

母の声がわかりやすくワントーン高くなる。

「なんだっていいでしょ? 気が変わらないうちに早く進めて。じゃあね」

可愛げのない態度で電話を切った。母が、家のことだけじゃなくて、かわいい娘にちゃんとした人と結婚して幸せになって欲しいって思ってくれてることくらい、私にもわかってる。


***


「え? 社長付きの第二秘書……ですか?」

会社に行くと、クビどころか待遇の良くなるような辞令を理一郎さんの父である社長直々に伝えられた。

「理一郎が失礼なことをしてしまったようで、悪かったね。これからは私の秘書として第一秘書の枕崎君と一緒に力になってもらいたい」

「……はい」

失礼だったのは、どう考えても私の方だけど?

この仕事に情熱があるわけではないけど、辞めなくて済んだなら、結婚するまでは続けてみようかな。

でもどうして?


***


母の根回しは驚くほど早くて、その週末には両家の顔合わせの席が設けられていた。

お見合いではないから、まずはホテルのラウンジで堅苦しくない程度にご挨拶をすませましょう、ということになったそうだ。

お正月以外ではあまり着なくなった着物に身を包むと、自分がお嬢様で、今日が特別な日なんだという実感が湧く。

約二十七年間避け続けた斑目民人さんに、今日初めて会うんだ。

メールでは何年もやり取りしてるから、落ち着いた大人な方だっていうのはなんとなくわかっている。

斑目家の跡取りで、私に眠れるような曲を贈ってくれるような優しい人。結婚相手として、非の打ち所がない方。きっと私を幸せにしてくれる。

「すごいわよね〜小夜子よりも若いのに、もう輸入食品の会社とホテルの経営を任されてるんですって」

ラウンジで先方を待つ間、隣に座った母が私に話しかける。

「え? 年下なの!?」

「なによ、あなた。そんなことも知らなかったの?」

だって本当に興味がなかったから。写真もプロフィールも、今まで一度も見なかった。

〝年下〟と聞いて胸が騒つく。年上の大人な男性と結婚すれば筒井くんのことを思い出すこともないだろうと思っていた。年下となると、事あるごとに筒井くんを思い出してしまいそうだ。


『好きだよ、小夜ちゃん』


だってもう、今この瞬間にあの夜のことを思い出して全身が切なくなってしまう。

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