第5話 狡くて残酷2

「も〜、またその話?」

『だってあなた、ずっと斑目家を待たせてるのよ?』

平日の朝からこんな話をするのは電話口の母。

「あちらだって27歳まで待つって言ってくれたじゃない」

『だからっていつまでも甘えてたら——』

そんな話ばっかりされるから、あなたの娘は不眠症で、他の男性と恋愛しようとしていて、年下の男の子にみだりがましく抱かれているのよ。

母と電話をしながら彼の脱ぎ捨てた服を整える。

筒井くんの服って全部じゃないけどハイブランドだったりして、高級ブランドの腕時計をつけてる日もあるし、私からのお小遣いで賄える範囲を超えてる気がする。

私が他の男性と恋愛したいって言ったら不機嫌になっちゃう筒井くんだけど、私の勘では彼の方こそ私以外にも相手がいる。


「筒井くんて、昼間とかうちに来ない日は何してるの?」

意地悪な質問だったかもしれない。

「ん? 俺のこともっと知りたくなった?」

「そういうんじゃなくて、素朴な疑問」

筒井くんは「ちぇっ」ってつまらなそうな顔をした。

「べつに。小遣い稼ぎとか」

ほらやっぱり。どうやってお小遣いを稼いでるかは聞かない方が良さそうね。私のことは少し乱暴に、他の人と同じように扱ってくれたらそれでいい。


***


「うれしいな、東条さんとこうして食事に来れて」

夜景の見えるレストランで音石常務は上機嫌。

「こちらこそ、誘っていただけて嬉しいです」

御曹司なだけあって音石常務のテーブルマナーは完璧だ。話だって最近の流行りから芸術や政治まで、こちらの興味のあることに合わせて広げてくれる。

ピザと一緒に指まで食べさせられるようなお行儀の悪さとは真逆ね、と思わずクスッと笑ってしまった。

「どうかした?」

「あ、いえ。楽しいなって思って」

笑ってごまかしたけど、本来この空間が私がいるべき場所って感じがする。私は私のいるべき場所で、ほんの少しだけレールの方向を変えるくらいがちょうどいいのよ。


「今日はごちそうさまでした。おやすみなさい」

「おやすみ」

音石常務は紳士的に自宅まで送り届けてくれた。


自宅のドアを開けた瞬間ドキッとする。朝出社するときに消したはずのリビングの灯りがドアから煌々と漏れている。消し忘れたのか、それとも……と足元を見ると見慣れた男物の靴。

「おかえり」

「ただいま……今日、来るって言ってたっけ?」

「言い忘れたかもね」

筒井くんはリビングでソファに座って映画を見ていた。

「字幕も無しで英語で観てるの?」

「英語わからなそうって意味? テキトーに流してるだけだから何でもいいよ別に」

たしかにそう思ってしまったけど、なんだかトゲのある言い方。画面を見たままだし、ご機嫌ナナメ?

「今日例の相手と食事だったんでしょ? どうだった?」

「それが気になって来ちゃったの?」

わざと子どもに言うような言い方をしたら、筒井くんは不貞腐れたように黙ってしまった。

「楽しかったよ。元々仕事ができるって知ってたけど、プライベートで話したのは初めてだったから新鮮だった」

「ふーん」

今度は私が「やれやれ」の溜息。慰めるのも違う気がしてシャワーを浴びることにした。


「小夜ちゃん」

髪を乾かしてバスルームから出ると、落ち込んだ表情の筒井くんが私を抱きしめた。

「今日、ほんとは小夜ちゃんが帰ってきたら思いっきり甘やかすつもりだったんだ」

心なしか泣きそうな声。

「なのにガキみたいな態度とっちゃってゴメン」

私はつい、クスッと笑う。

「あんまりかわいいこと言わないで」

背中の腕にきゅっと力を入れて抱きしめ返して、耳元で囁く。

「離れたくなくなっちゃうじゃない」

「……小夜ちゃんて、狡くて残酷なんだ」

筒井くんは私の言葉が今この瞬間と近い未来を意味してるってすぐに気づく。

賢い子なんだよ、君は。

こんな関係は筒井くんのためにもやめなきゃいけない。

そう思ってるって、筒井くんだってわかってるはずなのに私を抱き上げて強引に寝室に運ぶ。

「小夜ちゃんは俺のだよ」

「違うよ。百歩譲って誰かのものだって言うなら、今の私は父のものか斑目さんのものよ」

「意地悪」

抱かれている瞬間と一緒に眠っている間くらいは筒井くんのものって言っても良いかもしれないけどね。


***


「東条さん、あのさ」

音石常務との2回目の食事の帰り道だった。

「もうわかってるとは思うんだけど……良かったら、俺と付き合って欲しいんだ。できれば結婚前提で」

とても真剣な眼差し。

「前からいいなって思ってたんだ。仕事に一生懸命だし、気配り上手だし、かわいくて品があるし。ダメかな?」

「ダメなんて言うヒト、いないと思います」

私がニコッと笑うと、音石常務改め理一郎さんは私をそっと抱きしめた。フワッと男性的な香水の匂いが漂って、筒井くんとは違う大人の男性なんだって意識してしまう。それから理一郎さんは、優しく紳士的に唇を重ねた。

この人となら、きちんとした交際ときちんとした結婚ができると思う。真剣だってわかればきっと父だって認めてくれる。


正式にお付き合いすることになったのは喜ばしいけど、食事に行っただけであんなに不機嫌になってた大きなワンコにどう伝えるかが問題だ。

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