第4話 狡くて残酷1

筒井くんはだいたい週に2、3回うちに来る。

何気に料理が得意で、私が仕事から帰る時間に合わせて夕飯の準備をしておいてくれることもある。ビーフシチューもパスタも和食もなんでも美味しかった。

……まあ半分は材料のおかげって気もするけど。

私が渡しているお小遣いで買っているであろう豪華な和牛にトリュフに新鮮な魚……なんて美味しくないわけがない。ヴィンテージものの良いワインなんかも添えられていて、一人の時には味わえないお嬢様気分で満たされる。お小遣いを私に還元してくれるんだから、悪い子ではないんだろうとは思う。


そういうところも好きだけど、筒井くんとは付き合えない。だって私のお小遣いで生活してる子と、なんて絶対に結婚できないから。


***


「おはよう東条さん」

「おはようございます。音石常務」

会社員バージョンの私は父が認めた大手化粧品メーカー、音石化粧品の秘書課に勤務している。

私は常務の音石理一郎おといしりいちろうさん付き。名前からわかる通り、音石化粧品の御曹司で30歳。スラッと高い身長に、鼻筋の通った凛々しい顔立ち、そこから繰り出される爽やかな笑顔。

私が恋愛する意味があるとしたら、きっとこういう人。

「何? 顔に何か付いてる?」

「え? あ、すみません。なんでもないです」

つい顔をまじまじと見てしまった。

「東条さんにみつめられて悪い気はしないけどね。今日のリップ、良い色だね」

こういう思わせぶりな冗談も言い慣れてて気さくなタイプ。モテるんだろうな。

「音石常務、本日はオレイエ様への訪問がありますので商品資料は念のため昨シーズンのものもメールでお送りしました。それから手土産のお菓子もご用意しておきました」

「お、木兎屋。さすが東条さん、気がきくね」

この日は取引先への訪問の車の中でも、ずっと恋愛とか結婚とか人生とか、そんなことが頭から離れなかった。

音石常務は筒井くんとは対極にいるタイプって感じ。きっちり社会人してて、仕事もしっかりこなして、きっと家のこともちゃんとやってるんだろうな。斑目グループほどではないけど音石ホールディングスだって手広く事業展開しているし、音石常務にだって縁談の話とか婚約の話なんかが山のように来ているはずだ。そう考えると同志のようにも思えてくる。

「東条さんてさ、今決まった相手っているの?」

取引先からの帰りの車中、後部座席に隣り合って座っていた音石常務に唐突に質問された。

「決まった相手というと?」

「いわゆる彼氏とか恋人ってやつ。セクハラだって思ったら答えなくていいよ」

そんなものよりもっとハッキリ決まった相手がおります、なんてセリフが浮かんだけど、一応会社では普通の一社員をしているから婚約者がいるなんてことは内緒。

「残念ながら今はおりません」

にっこりと微笑んで答えてはみたものの、頭の中には今度は筒井くんの顔が浮かんでいる。だけど彼だって彼氏でも恋人でもない。そんな風に呼ぶには関係が爛れ過ぎている。

「残念どころか、俺には朗報なんだけどね」

驚いて一瞬固まってしまった。いつもの冗談かもしれないけど、どういう意味か聞いてみるべき?

「今度、仕事の後食事でもどう?」

ああ、これはそういう意味って目だ。こんなに素敵な男性に誘われれば嫌でも胸が高鳴ってしまう。

「はい。ぜひ」

彼となら、レールの進む方向を少しだけ自分の意志で変えられる未来があるかもしれない。


***


「私、恋愛結婚できるように頑張ってみる」

私の発言に、ソファに隣同士で座ってテレビを見てた筒井くんは驚いていた。

「どうしたの、急に」

「両親が許してくれそうな相手が見つかったかも」

「え……? 何、小夜ちゃん実はもう誰かと付き合ってたりする?」

彼は心なしか不安気な表情に見える。

「まだそんなんじゃなくて、食事に誘われただけ」

「好きなの?」

筒井くんの質問に首を横に振る。

「まだわからない。けど、好きになれそうな気がする」

「結婚するために好きになるの?」

なんでこんなに聞いてくるの?

「そんなんじゃないし、そうだとしても筒井くんには関係ないでしょ? 私たちって恋人同士でも何でもないんだから」

だからこの話を筒井くんにしてるのに。

「……寝る」

彼は明らかにイラついた声音でそう言うと、寝室に向かってしまった。

時刻はまだ21時。

「筒井くん? 寝ちゃうの?」

真っ暗な寝室のベッドで布団を被ってる筒井くんに声を掛けた。

「寝るよ」

「でも……」

今日、まだしてないんですけど。


筒井くんがうちに来て、しなかった日が無いわけじゃない。

でもそれは私が遅くまで残業してきた日と私の身体ができない日だけ。

そんな日は決まってホットワインを作ってくれる。

「いつ寝ようが俺の勝手だろ」

それはそうだけど。

筒井くんが家にいるのに一人でテレビを見てるのなんて初めて。たまらなくモヤモヤして落ち着かない。

「私も寝る」

一人の時間に耐えられなくて、いつもより早くベッドに潜り込んだ。彼は背中を向けてるから寝ているのか起きているのかわからないけど、とにかく私と話す気は無さそう。

あの時セフレって言ったのは筒井くんだよ。私たちは恋人同士じゃないでしょ?

割り切った関係、それが私たち。

なのに筒井くんの背中を見てると胸がギュ……って嫌な音を立てる。


「ふぅ……」

もう深夜になってしまったけど、眠れなくて小さな溜息をついた。

「……眠れないの?」

背中を向けたままの筒井くんが、私の小さな気配に気づいてくれた。

「うん」

「しょうがないなぁ」

彼は「やれやれ」って感じで溜息をつくと、私の方に向き直して瞳をみつめた。

暗闇に慣れている目はお互いの潤みのある瞳を簡単に見つける。

「俺に抱かれなきゃ眠れない人が恋人なんて作れるのかな」

嫌味っぽい。でも優しいって知ってる。

「今は恋人なんていないもの。私には筒井くんしかいないよ」

「案外狡いな、小夜ちゃん」

筒井くんはまた溜息をつくと、私の頬に触れて、瞼から全身に口づけをして、いつもみたいに私を抱いてくれた。


今は筒井くんがいなくちゃ眠れないけど、他に好きになれる人ができたらその人と眠れるって信じてる。


筒井くんの言った通り狡い女だね、東条小夜子は。

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