第3話 小夜子と筒井くん3

私は婚約者の名前くらいしか知らない。


斑目民人まだらめたみとさん。

金融関係からエネルギー開発関連事業まで手掛ける斑目グループの御曹司。

東条家と斑目家はたしか祖父の祖父の代からのお付き合いだとか。祖父の代で当主同士が同い年でウマがあったとかで結びつきが強くなって「孫が生まれたら結婚させて、より絆を強くしよう」ってことになったらしい。人権って何だっけ? って感じだけど、当主の決定が絶対の世界だ。そうでなくても、父と母も政略的なお見合い結婚だった。

その後、斑目家に生まれた男孫が民人さん、東条家に生まれた女孫が私だったから私たちは生まれる前から婚約者なのだ。感染症の件もあって、斑目グループはより一層東条を傘下に入れたいらしい。

私が25歳になったら結婚する予定だったけど、「もう少し社会人を経験しておきたい」って無理を言って27歳まで待ってもらっている。今が26歳と9か月だから、早ければあと3か月、遅くとも約一年で結婚することになる。


「小夜ちゃんて婚約者に会ったことないんだっけ?」

この日も好き勝手に抱かれたベッドの中で筒井くんに聞かれた。

「うん」

「会ってみたくないの?」

婚約者についての質問は嫌い。正直言って面倒くさい。

「興味ないし、嫌でもいつかは毎日顔を見るようになるのよ? わざわざ会う必要なんてないでしょ」

ついつい不機嫌さを滲ませた口調で言ってしまう。

「ふーん。そんなに嫌いなんだ」

私は小さく「はぁ」と溜息をついた。

「前にも言ったけど、嫌いなのは先が決まったこの環境。相手のことは好きも嫌いも無いの」

斑目さんには必要以上に興味を持ったことが無いんだから。

「……でも、斑目さんは多分良い人よ」

「なんで?」

「いつもメールをくれるの」

「それだけ?」

「それだけ」


いつだったか忘れてしまったけど、ある日突然メールが来た。私が大学生の頃だったかな。

差出人は【斑目民人】

突然のメールに驚いたけど、婚約している身でメールアドレスの入手くらいはプライバシーの侵害でもなんでもない。


メールにはこんなことが書いてあった。


東条小夜子様

はじめまして斑目 民人です

突然のメール、驚かせてしまったでしょうか

私たちは祖父の決めた婚約者同士という立場ですが、今日に至るまで一度もお会いしたことはありませんね

幾度かお会いしたい旨をご両親にお伝えしてきましたが、その度に何かと理由をつけて断られてきましたので、

貴方はこの婚約にあまり良い感情が無いのかもしれないと感じています

この婚約は絶対だと貴方も理解しているでしょうから、結婚前にせめて少しでもお互いを知ることはできないかと思っています

私は現在アメリカにいるので、しばらくは会いたいと言って貴方を煩わせる心配はありません

たまにで構いませんから、メールで連絡を取り合いませんか

斑目民人


私への気遣いと、人柄が穏やかそうだと感じさせる文面には好感を持った。同時に、斑目さん側は婚約を当然のことと受け入れていることには少し嫌悪感を抱いた。だけど、そういう家に生まれてしまったんだから仕方ないってわかってる。

私はメールでのやり取りを了承する旨を返信した。月に一回程度、手紙のようなゆっくりとしたペースでメールを交わす付き合いが始まった。

それから何度かメールをする中で、なかなか眠れないことを理由は伏せて打ち明けた。誰にも言ったことがなかったけど、顔を知らない彼には言いやすかったから。

そうしたら


小夜子さん

こんにちは

今回は小夜子さんが少しでもリラックスできそうな曲を贈ります


そのメールに記載された音楽のギフトコードを使って、斑目さんのおすすめの曲をダウンロードしてみた。

ギターのインストゥルメンタル曲で、とても穏やかな気持ちになる曲だった。

それからも誕生日とかクリスマスとか、少し特別な日には曲をプレゼントしてくれた。はじめのうちはネックレスやイヤリングみたいな高価なものも贈られてきたけど全部送り返して曲だけ欲しいと伝えた。

ピアノだったりオーケストラだったり、優しい曲ばっかり。それで急に眠れるようにはならなかったけど、その気遣いは嬉しかった。

私から返せるものが思いつかなかったから日常や旅先の思い出の風景写真を贈った。


この決められた人生は嫌いだけど、斑目さんのことは嫌いにならずに結婚できそうな気はしている。


「でもやっぱり誰かに決められた結婚は嫌だな」

私は筒井くんの腕の中でつぶやいた。

「俺、小夜ちゃん好きだよ」

筒井くんが耳元で囁く。会うたびに好きって言われてるから慣れてるけど、何回言われても悪い気はしない。

「私も筒井くん好きよ」

「じゃあ俺と結婚する?」

「就職するなら考えようかな」

筒井くんへの好きは意味の無い好き。かわいいから、優しいから、気持ち良くしてくれるから好きなの。

私のこれから先の人生に交わるような好きじゃないの。


あなたじゃ私をほんの少しも外に連れ出すことはできないでしょ?

だから私たちは割り切った、お金で繋がった関係でいるのがいいの。


「ちゃんと恋愛してみたいな……」

そうつぶやいた私を筒井くんは背中からギュッと抱き寄せた。なんだか不機嫌な抱き方のような気がした。

「小夜ちゃんが恋愛したら、俺はどうなるの?」

「そうね……どうなるんだろう。もうこういう風には一緒にいられないだろうね」

「困るよ」

「お小遣い、なくなっちゃうもんね」

冗談混じりにクスッと笑いながら言ったら、筒井くんは強引に私を振り向かせて唇を奪った。

「小夜ちゃんには俺が必要だって身体でわからせる」

そう言った筒井くんの目はいつもよりギラッとして少しだけ怖いと思った。それからいつもよりも乱暴に私の身体を貪った。筒井くんは優しいけど、ベッドではいつも少しだけ乱暴で、私を大事には抱かない。それでいいし、それがいい。


筒井くんといる時だけが、東条じゃないただの〝小夜子〟だから。

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