第2話 小夜子と筒井くん2
筒井くんとこんな関係になったのは1年前。金曜日の夜だった。
***
『小夜ちゃん?』
仕事&飲み会帰りに自宅の最寄駅付近で声をかけられた。
背が高くてイマドキって感じのゆるめのファッションに、ふんわりした黒髪のあれは…短髪? 長髪? ビミョーな長さの髪の男の子だった。
『え、もしかして……塾の? えーっと……」
『筒井』
『そうそれ! 筒井くん!』
名前を思い出して、ほろ酔いの私のテンションは上がったけど、筒井くんはなんだか一瞬ムスッとしてた。
〝深窓の御令嬢〟を自認してるけど、世間的にはフツーの女子として暮らしているから、今は会社員だし大学時代は塾講師のバイトをしていた。
その時の生徒の一人が筒井くん。
『久しぶり、小夜ちゃん』
酔ってたからすぐに名前が出なかったけど、筒井くんのことはよく覚えてた。
塾の頃から私のことは〝小夜ちゃん〟て呼んで、人懐っこくて笑顔がかわいい子だったから。
『筒井くん、大学の帰り?』
『もう卒業したよ』
『え! そんなに経ってる!?』
『4年半経ってるよ』
『え〜嘘〜!』
『小夜ちゃん酔ってる?』
筒井くんが呆れ気味に言った。
『ちょっとだよ。ふふふ』
彼はなんだかまた不機嫌そうに眉を顰めた。
『筒井くんも仕事の帰り?』
『違うよ』
『んー? 筒井くんて今何してるの?』
聞いたら無職だって言うから、思わず心配してしまった。
『筒井くん、勉強得意だし真面目に授業受けるタイプだったのに……』
就活は上手くいかなかったんだって思ったらかわいそうになっちゃった。あ、でも塾も途中で辞めちゃったんだっけ?
『私で良かったら相談に乗ろうか?』
なんであんなこと言ったのかわからないけど、翌朝ベッドで目を覚ましたら……
『おはよ。小夜ちゃん』
目の前には筒井くんの裸体と満面の笑みがあった。
『え?』
当然のように私も裸だった。
『ええっ! なんで!?』
全く記憶が無くてパニックになってしまった私を見て、彼も戸惑った顔をした。
『もしかして小夜ちゃん、覚えてない?』
布団から真っ赤になった顔の上半分だけ出して小さく頷いた。
何が何だか—いや、事後なのはわかるんだけど—経緯がわからなすぎる事態。
筒井くんが言うには……
『なぜか小夜ちゃん家に行って飲むことになって、小夜ちゃんの身の上話になって』
なんで筒井くんのじゃなくて私の身の上話になってるの? って感じだけど。
『小夜ちゃん家がすげー金持ちって話から』
うわ。できるだけ誰にも知られないようにしてたのに。
『小夜ちゃんの恋愛経験の話になって』
『えっ』
思わず声が出た。酔っ払って記憶が無くても、恋愛の話で思い至ることがある。
『初めての時に上手くできなくてトラウマになったまま今でも処女だって言って』
やっぱり、その話しちゃったんだ。
『〝一生できない気がする〟って泣き出したから、そんなことないよ、そいつが下手だっただけだよって言ったら』
『もしかして〝だったら筒井くんが抱いて〟とか言っちゃった、とか……?』
彼はなんてことないって表情で頷いた。
『それで……』
『ん? 何?』
筒井くんは多分私の聞きたいことなんてわかってて聞き返した。
『した、のかな?』
『うん』
身体に違和感があるから聞くまでもなかったけど。
『身体大丈夫?』
彼は私の髪を撫でながら優しい声色で言った。
『う、うん。全然覚えてないけど……』
恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいだった私の言葉に、筒井くんはがっかりしたように『はぁ』と溜息をつくと、いきなりガバッと覆いかぶさってきた。
『きゃっ』
『それ、悲しすぎるからもう一回しよ?』
『え』
ニコッと笑った筒井くんは、それから私の身体中に熱っぽいキスをして、もう一度昨夜あったことを教えるように私を抱いた。
恥ずかしかったけど一回しちゃったし……って思ったら流されるままだった。
自分がこんなに貞操観念の緩い人間だとは思わなかった。
その後は自然な流れでベッドの中で気怠げな筒井くんに後ろから抱きしめられていた。
『小夜ちゃん婚約者がいるんだね』
『私そんな話までしたの?』
『うん。結婚したくないって』
そんなことまで言ったんだ。お酒って怖い。
『べつに結婚したくないわけじゃないよ』
『でもそいつと結婚するの嫌なんでしょ?』
『嫌なのは生まれた時から婚約者が決まってること。相手のことはよく知らないから嫌いも好きもないよ』
裸を見られて開き直ったのか、つい本音を言ってしまった。
『それにどうせ結婚からは逃げられない』
『……小夜ちゃん、今でもあんまりよく眠れないんだね』
『本当になんでも話しちゃったのね』
私は昔から睡眠が浅い。
中学生の頃、自分がお嬢様で敷かれたレールの上から絶対に逃げられないって理解した日からよく眠れない。
学校は決められたところ、就職はしてもいいけど親の許す会社で結婚までに辞めなきゃいけない、結婚は決められた年齢になったら家同士で決めた相手として、その人との間に家を継がせるための子どもをつくる。
親のお金で何不自由無く育ったけど、私の人生に自由なんて無い。
息が詰まって苦しくなって虚しくなって眠れない。
『でも昨夜は久しぶりにぐっすり眠れたかも』
『記憶が無いくらいね』
筒井くんの言葉はなんだか皮肉っぽい。
それからまたうとうと微睡んで、お昼ご飯を食べた頃に彼は帰り支度を始めた。
『何これ』
筒井くんは一万円札を見ながら怪訝な表情で言った。たった今、私が渡した一万円札。
『なんていうか……その……』
冷静になったらなんだかすごくいけないことをした気がして、お金を渡して割り切った関係ってことにしたくなった。
『お小遣い?』
『そんなところ』
筒井くんはしばらく考えるように無言になった。
『じゃあ2万ちょうだい』
『え?』
『2回したから2万円』
私じゃなくて筒井くんの身体が一回1万円ていうシステムなわけ? って思ったけど、気持ちが良いほど割り切ってくれてありがたいくらい。
私は2万円を彼に渡した。
そしたらお返しに、なぜか筒井くんが持ってたバラの花を一輪くれた。
『小夜ちゃん』
帰り際に筒井くんが玄関で振り返って言った。
『俺たちセフレにならない?』
『え? セフレ?』
意味はわかってるけど、口にしたのは初めてかもしれない。
『小夜ちゃん昨夜よく眠れたんでしょ? それって俺とヤッて疲れてグッスリだったんじゃないの?』
『うーん……そうなのかもしれないけど……』
ストレートすぎる。
『小夜ちゃんが眠るのに協力する』
したいだけなんじゃないの? と思ったけど
『……まあいいけど、セフレっていうんじゃなくて、お小遣いでつながってるようなわかりやすい関係が気楽でいいかな』
グッスリ眠れるのは正直とても魅力的だ。
『ヒモってやつ?』
『そうなのかな。じゃあ、それ』
***
そして現在に至る。今日も2回したからお小遣いは2万円だ。
「もっかいしようか」
訂正。3万円。
筒井くんとのお行儀の悪い関係は、親が敷いたレールの上には絶対無いものって感じがして私を少しだけ自由にしてくれる。
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