第6話 狡くて残酷3

理一郎さんとのことを、なんとなく言い出せないまま何日も経ってしまった。

筒井くんは相変わらずうちに来ているし当然のように一緒に寝ている。

だけど後ろめたい気持ちを抱えたままいつも通りにできるほど器用な人間じゃない。

「小夜ちゃんさぁ、何かあった?」

もちろん、勘の鋭い筒井くんが気づかないわけもない。

筒井くんの意地悪なところは、ベッドの中で、私の上で、こういう質問をしてくるところ。

なんとなく言いたくはないけど、嘘をつく気もない。だってそんな必要がない。

「あった、よ」

私を見下ろす筒井くんの眉が怒ったように困ったように一瞬ピクっと脈打った。

「正式にお付き合いすることになったの。音石さんと」

喉に何か詰まっているみたいに苦しくて、心臓が嫌な感じにドキドキしている。

「へぇ、なのにまだ俺に抱かれてるんだ」

筒井くんは冷めた声だけど、なぜか笑っていて少し怖い。

「だって……彼とはまだ、そんなんじゃないから」

「睡眠薬代わりに俺のこと使ってるんだ」

「そんなんじゃ——」

〝ない〟なんて言えない。実際そうしてる。

「ほんとに狡いな、小夜ちゃんは」

そう言った筒井くんの瞳は妖しく光を帯びていた。

次の瞬間、リップ音がして、デコルテのあたりに強い刺激が走る。

「え!? あ!」

くっきりとしたキスマークをつけられてしまった。

「そんなのついてたら、しばらく他の男とはできないね」

筒井くんは不敵な顔でニヤッと笑った。

「ひどい」

「ひどいのは小夜ちゃんだろ? 他の男のこと考えながら俺に抱かれて」

そんな風に言われたら何も言えない。

「じゃあ……もう終わりにして寝ようか」

私は顔を背けて、彼のまるで檻みたいな身体の下から抜け出そうとした。

「何言ってんの?」

筒井くんは私の腕を強く掴んで、また正面を向かせた。ベッドに縫いとめるみたいに押さえつけられた手首は私の力では動かせない。

「他の男のことなんか考えられないくらいめちゃくちゃにするに決まってるだろ」

腕の力より、私をみつめる瞳の力の方が強い。


翌朝、会社に行く支度をする私の全身が悲鳴をあげていた。

「おはよ」

彼はいつも通りの様子で冷蔵庫から取り出した炭酸水を飲んでいて、年下男子との体力の差を感じる。

昨日のキスマークはブラウスで隠せたので事なきを得た。

「いってらっしゃい」

玄関で筒井くんに見送られる朝。

すっかり慣れてしまったけど、これも普通じゃない風景だって今日は改めて思い出す。

「筒井くん、なんかご機嫌じゃない?」

「そお? 小夜ちゃんてまとめ髪似合うよね、かわいい」

そんなことを笑顔で言うのにご機嫌じゃない筈がない。昨夜の〝めちゃくちゃ〟にご満悦なのかな。

つい昨夜のことを思い出してしまって身体の奥がキュンとする。

「……いってきます」


理一郎さんとお付き合いを始めたんだから、筒井くんとの関係は清算しなくてはいけない。

通勤中もずっとそのことを考えていた。

彼ことだから案外お金であっさり終わるのかもしれない。

「終わり……」

思わずポツリとつぶやいてしまった。

筒井くんとの関係が終わっても、本当に他の男性ひとが私を眠らせてくれるのかな。


***


「東条さん、今日のアポの確認なんだけど」

理一郎さんとは会社では今まで通り、常務と秘書として普通にビジネスライクに接している。そういうところも大人としてちゃんとしている。

「本日は13時に布川様、15時に団インターナショナルの栗田様との新商品の商談予定が入っています」

「了解。東条さん」

「はい?」

「首の後ろのところ、なんか赤くなってるけど大丈夫?」

理一郎さんに指摘された瞬間、バッと手で首の後ろを隠すように覆った。多分、一瞬で赤面していたと思う。

「む、虫刺されだと思います」

急いでパウダールームに駆け込んで確認した。

「やられた……」

今朝の妙にご機嫌な笑顔の意味がわかった。

それにしてもいつ? 眠ってる間につけられたってこと? こんなことで自分が熟睡できていたことを知るなんて、皮肉。

虫刺されじゃないことを理一郎さんに気づかれていないだろうかと、まとめた髪を解きながら不安になる。

結局デスクに戻ってからも理一郎さんの態度が普通だったからホッと胸を撫で下ろした。

やっぱりこんなふしだらな関係をいつまでも続けていたらいけない。


***


「合鍵返して」

翌日夜、いつも通りに家に来た筒井くんに語気を強めて詰め寄った。

「ひょっとして小夜ちゃん怒ってる?」

「当たり前でしょ? こんなイタズラ許せない」

怒る私を彼は可笑しそうに笑って「よしよし」と撫でた。

「怒っててもかわいいね」

「ふざけないで」

「ふざけてないよ」

そう言って筒井くんは私を抱き寄せると顎をクイッと上げて唇を奪った。

「……やっ」

「小夜ちゃんのこと、誰にも渡したくないから俺のだって印付けたんだよ」

真剣な目に、怒ったような声色。

「筒井くんが最初に言ったのよ? 恋人じゃなくてセフレって。私が眠るのに協力するって。ヒモって納得してたじゃない」

私はついつい焦ったように言ってしまう。

「気が変わったって言ったら?」

「だめ!」

「結婚できる相手じゃないから?」

「そうよ。筒井くんとじゃ……結婚できる相手じゃなくちゃ両親を説得できない。27歳まで、私には時間がないの」

筒井くんの眼差しが突き刺さって鼓動が落ち着かない。

「小夜ちゃんは親の決めた人生に自分から捕われてるね」

その言葉に一瞬ハッとして、それからムッとする。

「お金目当ての人に言われたくない」

「金目当て?」

「だって筒井くんは私のお金で——」

「俺が本当に金が欲しくて抱いてると思ってるの?」

私の言葉に被せるように彼が言った。

「だってそうでしょ?」

私と、他の誰かのお金で暮らしてるくせに。

筒井くんは私の問いに答えずにしばらく黙ってしまった。それから諦めたようにつぶやいた。

「そう思われてるならそれでいいや。」

実際そうじゃない。一回1万円、欠かしたことないでしょ?

「でも、ほんとに合鍵返していいの?」

「どういう意味?」

「〝それ〟が消えるまでは彼氏とデキないよね。それまで眠れなくていいの?」

「……でも、もう彼を裏切るようなことはしたくない……」

彼は小さく溜息をついた。

「わかった、じゃあ抱かない。けど一緒に寝させてよ。それが消えるまで」


それから筒井くんはホットワインを作ってくれて、眠るまで抱きしめていてくれた。


もうすぐ終わる関係なのに優しくなんてしないでほしいって思いながら、筒井くんの腕の中で情けないくらい安心して眠った。

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