第十二話
マーヤ達がやっとの思いで戻ってきたとき、村は大混乱に陥っていた。
「マーヤが戻ってきたよ!」
村の少女が、大声で村民達に告げる。声を聞きつけたのか、アインが焦燥しきった様子で走ってきた。
「ああ畜生、色々言いたいことはあるがそれどころじゃねえ!」
「なにがあったの?」
「簡単に言うぞ、このままだと村が山に潰される!」
「なんでそれがわかった?」
ヒューイの問いに、アインは村の外れを指差して答える。
「それについて説明してる時間はねえ、今、あんたの連れがあそこで化け物と戦ってる!」
マーヤはアインが指さした方向を見た。村の人間もあまり近づきたがらない、断崖絶壁の岩場だ。
「ヒューイ、こっちだよ!」
「マーヤ、お前はさっさと逃げろ!」
「逃げない! 私、ヒューイを手伝えること見つけたから! アインはみんなのことをお願い!」
アインの制止を振り切り、マーヤはヒューイの手を引いた。
岩場に向かうと、そこでは信じがたい光景が広がっていた。気味の悪い姿をした怪物と、ノエルが崖の側で戦っている。
ノエルは怪物の懐に潜り込み、剣を突き立てようとしていた。しかし、怪物はひらりと後方に回転して身を躱すと、太い尾で彼を突き飛ばす。ノエルが崖に向かってよろめくのが見えた。
「イア・ハスタア!」
ヒューイが呪文を唱えると、ノエルの体がふわりと浮く。マーヤが木から落ちかけたときに助けられた、あの魔法だろう。ヒューイはノエルの服を掴み、強引に引き寄せる。
「すまない、助かった」
「シャンタク鳥ですか、まさか現実にお目にかかれるとはね! 一体どこから?」
「ニャルラトホテプが召喚した」
「なるほど。ならば対抗はできますが、詠唱が必要です。時間を稼いでください」
ヒューイは剣を抜き、地面に片膝を突く。
「魔封剣、解放」
顔の前に縦に剣を構えると、何事かを唱え始めた。その間にも怪物は容赦なく襲いかかってくる。それを、ノエルが剣で食い止める。
マーヤにもなんとなく状況は察せられた。きっと強力な魔法を使うための準備をしているのだと。ならば、呪文を唱え終わるまで彼を守らなければならない。
もしかしたら、あの本にヒューイを助ける呪文が書かれているかもしれない。マーヤはずっと抱えていた本を開こうとした。
テケリ・リ!
鈴がなるような声がした。ヒューイの髪に隠れていたはずの、小さな目玉の生き物が本に張り付いている。目玉の生き物はその小さな体からうねる腕を伸ばすと、本に挟み込んで一気に開いた。
テケリ・リ!
植物の蔦のような腕をくねらせて、開いた頁の一カ所をなぞっている。ここを読め、と言っているようだ。
「イグナ……イグナ・トゥフルクス・クンガ!」
読めたとおりに唱えると、今にもノエルに襲いかかろうとしていた怪物の目の前で火花が散った。怪物はよろめき、転倒した馬のように崩れ落ちる。まるで眩暈でも起こしているかのようだ。
「隙ができた、急げ、ヒューイ!」
ノエルが叫んだと同時に、ヒューイは唱えた。
「ふんぐるい・むぐるうなふ・くとぅぐあ・ふぉまるはうと・んがあ・ぐあ・なふたるぐん」
精神を集中させるように固く閉じられていたその目が、開いた。
「イア・クトゥグア!」
怪物が体勢を立て直して動き出したと同時に、下から上へと鋭く振り抜かれた剣が閃いた。マーヤが助けられた夜に吹き抜けた風とは比べものにならない、熱い風が嵐のように吹き荒れる。その熱さは、空気そのものに火が燃え移ったかのように錯覚するほどだった。
剣の軌跡をなぞるように、空中に炎が燃え上がる。それはひとりでに動き出した。あたかも怪物の顔を、殴りつけるかのように。
間を置かず、ヒューイは体勢を変えて飛び上がる。振り上げた剣を、今度は勢いをつけ、怪物めがけて振り下ろした。
先の一撃を受けて体勢を崩していた怪物の脳天に、炎の刃が直撃する。皮、そして肉が焼ける匂いが辺りに充満した。炎に触れた頭の先から、音を立てて怪物の体がぼろぼろとこぼれていく。蒸発しているのだ。
炎の刃が地面に衝突して、一つの黒い線を残した。地上には、異形の右翼と左翼だけが落ちていた。
「マーヤ、大丈夫かい?」
怪物を消し飛ばしたのを顧みることもなく、ヒューイはマーヤに駆け寄ってきた。
「わたし、魔法を使ったの?」
「ああ、見事な魔法だったよ! やっぱり君は天才だ!」
立ち上がりたいのに、体に力が入らなくて動けない。なんだか、酷く疲れている。
「上手く立てないよ。なんだかとっても疲れた」
「初めて魔法を使ったんだから無理もないさ。さあ、村に帰ろう」
「え、きゃあっ!」
軽々と彼に抱き上げられて、思わず悲鳴を上げてしまった。
「あの、大丈夫だから、降ろして」
「上手く立てないんだろう? そんな状態で山道を降りて、最後の最後で怪我でもされたら大変だ」
目と鼻の先にあるヒューイの表情は、先程までの剣呑な様子をもうどこかへやってしまっていた。
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