第十一話
朝日が昇った頃、ノエルとアインは山の中に分け入った。嵐が過ぎ去ってくれたおかげで、ぬかるんではいるが大分動きやすい。
アインは地面に手を突き、なにやら探っている。結界の張り方に近い方法を取っているらしいから、きっとノエルには関知できないものが彼には見えているのだろう。
「……あんたの言ったとおりだ。線が踏まれた形跡がある」
「追うか?」
「当たり前だ」
アインの先導でノエルは歩み出す。
「妙だな、足跡がない」
これだけ地面がぬかるんでいればなんらかの痕跡が残っていそうだが、足跡らしきものは見当たらない。
「あんたが気づかなくても無理はない。多分、最大限に足跡が残らないような歩き方をしてる。枯れ葉とか、草の上を選んでな。俺もこの方法を取ってなければ気づかなかっただろう」
「村の人間にそんな手練れがいるのか?」
「こういう知恵が働いて、すばしっこい女が一人居る。多分そうだろうと思っていたが、きっと協力者はそいつだ」
背中からもわかるほど、アインは苦々しげにそう言った。
彼が見えているらしい痕跡を辿っていくと、青々とした自然が溢れた今までの光景とは大きく異なる、ごつごつとした岩場に出た。
「足下に気をつけろ。落ちたら怪我じゃすまねえぞ」
すぐ側は断崖絶壁だ。流石に冷や汗が出る。
「ここであんたが落ちたら俺が殺したと思われる」
「そうならないように気をつけるよ」
慎重に進んでいくと、視界に違和感を覚えた。一カ所だけ、岩の並びが不自然な場所がある。アインの方も気づいたらしい。
「あれは……」
「どう見ても、意図的に積まれてるな」
それほど大きい岩ではない。人間が二人ほど協力すれば動かせそうなものだ。
合図と共に、二人で同時に岩を押し退ける。
「ようこそ、探索者達」
その先には、ぽっかりと空いた小さな空間。そしてそこには、浅黒い肌の男が座っていた。こんな狭くて固い場所に座っているなど、通常の人間なら音を上げそうなものだ。だが、男はまるでそこが快適だとでも言うように、悠々と座っていた。
「お前が侵入者だな」
言うなり、アインは猟銃を構える。
「これは随分なご挨拶だな」
「事と次第によっては、挨拶ではすまねえぞ」
「待って!」
背後から少女の声がした。ノエルが振り向くと、肩で息をして、一人の少女が立っている。二人が此処に向かっているのを見て、急いで追ってきたのだろう。
「ユイだな」
アインは振り向かずに言った。狭い村だ。もはや声だけで誰か判別できるのだろう。
「あたしが悪いの、その人を撃たないで!」
「まずは、話を聞こう」
今にも引き金を引きかねないアインを制止する意味も込めて、ノエルはユイと呼ばれた少女と、浅黒い肌の男に説明を促した。
「なに、私が彼女を啓蒙した。それだけのことだよ」
銃口を向けられているというのに、男は全く動じる様子もなく、寧ろうっすらと笑っている。
「この村は実に愚かだ。子供達を閉じ込めて、腐らせようと言うのだから」
「なんだと?」
「待て、アイン!」
ノエルはユイに視線を向ける。さっさと説明をしてくれなければ、本気で銃口が火を吹く。
「この人、村の近くで生き倒れてたの。それを偶然あたしが見つけて、介抱した。でも、見つかったらみんなに追い出されると思ったから、ここに隠したの」
「それで、何を吹き込まれた」
「啓蒙したんだよ。彼女に、知恵を与えたのさ」
「外の世界のことを、彼女に話したんだな」
どうもこの男と話していると奇妙な感覚に陥る。油断すれば空気を支配されてしまいそうだ。彼に場の支配権を渡さないようにノエルが言うと、ユイは俯く。
「ちょっとした好奇心だった……村の外がどうなってるか、聞いてみたかっただけだったの。でも、彼の話はとても面白くて……それと……」
「彼に、恋をしてしまったんだね」
ノエルの言葉に、ユイは押し黙る。
「それで、村の人間を誑かしてまでお前は何をしたかったんだ?」
アインの語気に、いよいよ苛立ちが滲み出る。
「誑かすなんて人聞きが悪いな。無垢な少女がまれびとに魅せられて恋をした。可愛い話じゃないか」
「無駄口叩くんじゃねえ。脳味噌ぶちまけるぞ」
「やめて!」
ユイがアインに駆け寄ろうとする。ノエルはそれを押しとどめた。今のアインは、下手を打てば彼女にすら銃口を向けかねない。
「では、君の貧しい心にもわかるように言おう。別にこの村をどうしようというわけではない。私の目的は、もっと先だ。この先にある、シュド=メルの体だよ。君達の言葉に置き換えれば、採掘場、と言うべきかな?」
「なんだって?」
ノエルは聞き返す。まさか自分達の他にも、魔石のことを聞きつけてやってきた勢力がいたのだろうか。
「あれは山などではない。我々の同胞、シュド=メルの体だよ。少し前に人間の兵器を打ち込まれて、深い深い眠りについた。彼女を目覚めさせるために、この村の大地に宿る力の流れを少しいじらせてもらったよ」
「目的はなんだ?」
「シュド=メルはこのまま南に向かうだろう。南には、なにがある?」
「貴様、まさかヴァレリアを!」
今度はノエルが血相を変える番だった。
「ああ、そうさ。我々に楯突く目障りな蝿を、彼女に踏みつぶしてもらおうと思ってね」
「貴様、何者だ!」
ノエルの言葉に、男は口が裂けんばかりに、にたりと笑った。
「命の終わりに、魂にこの名を刻みつけろ。我が名は、ニャルラトホテプ」
「ニャルラトホテプ……!」
ノエルとアインが同時に唱えた。アインも、この村の守護者として聞いてはいたのだろう。世界を邪神に支配する手引きをしたと伝えられる、邪神、ニャルラトホテプの名を。
「彼女が完全に目覚めるのはもう時間の問題だ。私が手ずから君達の相手をする必要もないだろう」
そう言うと、ニャルラトホテプは何事かを呟く。それは到底人間には発音できないであろう、ミミズがのたうつような、蛸が蠢くような気味の悪い、名状し難い言葉だった。
生温い風が吹き荒れる。アインと男の間に黒い稲妻が走り、地面から何かが這い出すように姿を現した。それは、馬から脚を奪い、蝙蝠の翼と鶏の脚、そして蜥蜴の尾を縫い付けたような、醜悪で図体の大きな怪物であった。
「さらばだ、探索者達」
ニャルラトホテプはそう言って崖から飛び降りる。だが、それを追う余裕はなかった。荒れ狂う怪物が目の前に立ちはだかっているからだ。
ユイの悲鳴が、空気を切り裂いた。
「アイン、彼女を連れて逃げろ! 村のみんなを避難させるんだ! 山一つが動いたら、この村は間違いなく踏み潰されるぞ!」
「あんた一人で、これの相手をするつもりか!」
「時間稼ぎくらいはできる! それに、元々あいつの狙いはヴァレリアだ、私には責任がある!」
「畜生……! 避難させたら、戻ってくる! 死ぬんじゃねえぞ!」
アインはユイの手を引き、村の方に駆けだした。
「そうは言ったが、どう相手をしたものかな……」
ノエルは剣を抜く。剣術の覚えはあるが、ヒューイには及ばない。どこまで時間稼ぎができるか。
怪物が嘶き、鋭い鉤爪と共に右翼を振り下ろす。それを引きつけ、最小限の動きで回避する。厄介なことに、場所が悪い。下手な動きをすれば、崖から真っ逆さまだ。
地面を打ち据えた右翼を狙って剣を振り抜く。傷はついたが、出血するには至らない。どうやら分厚い皮に覆われているようだ。どこまでも面倒な怪物だ。
続く左翼の鉤爪が突き出されたのを剣で弾く。しかし、剣を握る手が一瞬痺れた。これだけの巨体だ、力も強い。真正面から当たっても勝ち目はない。こちらが優れているのは、素早さだ。
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