第4頁 静かな古城の主
いつから、ここに居るのか。
私はとうの昔に、それを忘れた。
憶えているのは、私にはもう何も残って居ないという事。
妻は死に。兵は死に。従者は死に。領民は死に。
そして、その死を成し遂げた敵も、とうの昔に死んで居る。
けれど、私だけが生きている。
ずっと、答えを出したいのだ。
私が何故、生きているのか。
薄暗く狭い地下室に家具は少ない。
ベッド。机。椅子。洗面台。風呂。
まるで独房の様だとも思う。
洗面台の鏡を覗くと若い男が立っていた。
蝋燭一本の灯しか無い部屋ではあるが、私の体は少々特殊で闇夜でも目は良く利く。
映るのは、いつもと変わらぬ己の姿。
「見慣れ過ぎてつまらんな」
私は私に、そう吐き捨てる。
同時に「ぐるる」と腹が鳴った。
どうやらこの体は食事を求めているらしい。
「さて、今宵に客は来訪するか」
そうだな。
来訪すれば、飯を3日分飲もう。
来訪しなかったら罰ゲームだ。
蜘蛛か鼠でも食うか。
そう思っていた時の事、部屋に一つしか無い扉が「ギギギ」と錆びた様な音を出して、開いた。
「ヴォヴォヴォ」
それは扉を開きし者の声。
その見てくれは、どう見繕っても良いとは呼べない物であった。
充血した瞳。
肉が裂け骨が露出した手足。
青く血色の悪い肌。
何よりそれに意志は無い。
故に――ゾンビ。
我がそう名付けた存在。
人型のそれが二体。
我の部屋にまだゾンビには成って居ない、一人の男の死体を運んで現れた。
まだ二十歳ほどの青年だ。
顔には多分には幼さが残っている。
青みがかった黒髪で茶色の目を持つ青年。
小柄で、髪型は丸くクセもない。
手入れはされているが、遊び心はそこまで感じない。
それは衣服に関しても同様で、どれもきっちりと手入れされて着られていた。
「ふむ……」
普段ここには来客がある時、相手の種類は多くない。
きっと、街ではこの古城が噂になっているのだろう。
それは大抵、世を知らぬ若造か、酒に酔った愚か者。
だが、この少年はそのどちらでもない。
真面目そうで、酒の匂いもしない。
だから少し懐を探ってみた。
「ほう、魔術学院の生徒か……」
生徒手帳。
それに学院のバッジが見つけられた。
そう言えば、ずっと昔にここに来た若い男が言っていたな。
将来は魔術を誰かに教える身になりたいと。
あの愚かな男はそうなれたのだろうか。
「どれ、魔術回路でも見てやろう」
面白半分でそうする事にした。
私は退屈なのだ。
こうして死体を漁る暇つぶし。
笑えるほど退屈な話だ。
けれど、笑みは顔に現れなかった。
青年の回路は右胸に刻まれていた。
私は数百年を生きている。
そんな私は魔術回路を読める。
青年の魔術回路に刻まれた魔術の名は。
【
なんだこれは。
他者の魔術を奪う魔術……?
才ある……
いや、異才の魔術師見習いか。
残念と取るべきが、死んで良かったと思うべきか。
フッ、世の事などとうの昔に捨てた身だ。
どうでもいいな。
「さて貰うとするか」
暇つぶしは終わりだ。
どれほどの魔術を持っていようと、死んだのなら関係ない。
私にとってこれは、既に新鮮な血袋なのだから。
その肩を抱き、首筋に向けて。
私は鋭い牙を突き立て――
「人の死体を食べるんですか?」
明確な意思を持った言葉。
ゾンビ共のそれはとは全く違う。
ここに、そんな者が現れる筈がない。
私がこうなってから、ここへ来た生きた人間はたった一人しか居なかったのだ。
しかも。それに。これは。
どういう事だ……?
扉の前に立っていたのは、この死体の青年と全く瓜二つの姿を持った男だった。
「術式解除」
本を開いた男がそう言った瞬間、私が抱えていた死体は影も形も残さず消失した。
◆ 第四項 古城の主
この古城跡の館には化物が住んでいる。
それは所謂アンデッド。
動く死体だった。
その数は多いが夜しか出ない。
それに死体は次第に腐って行く。
だから街では、人がここに近づかない様に幾つもの噂を走らせていた。
いつか、死体が全て朽ち果てるまで。
その数を、増やさない様に。
「貴方は他の死体と違って話せるんですね」
「どうやって、ここに来た……?」
古城の地下室。
幾つもの仕掛けを作動させて漸く辿り着けた隠し部屋。
どうりで誰も見つけられない訳だ。
「貴方の配下……何でしょうか?
ゾンビが連れて来たのは僕が魔術で作った偽物の死体です。
でもまだ脳は死んでなくて、死体の目と耳より入る情報から仕掛けの謎を解いてここへ来たという訳です」
地下室に居たのは他のゾンビと違い、奇麗な肌と声を持つ僕より少し年上の男だった。
「貴様は何者だ?」
怪物の親玉はそう言った。
「ただの旅人ですよ。
僕の名前はノエル。
貴方は一体、ここで何をしているんですか?」
僕は問う。
知りたいから。
「嘘を吐くな!
さてはこの城の宝を奪いに来たか?
いいやそうか、貴様は私の魔術を奪いに来たのだな!」
でも、答えは帰って来なかった。
その怒号は恐怖だ。
けれど僕に、怖気づく足は無い。
だって、僕にとって一番の恐怖は、きっと過去にしか無いから。
「宝物は特別な物なら見て見たいとも思いますが、金銀財宝という意味ならどうでもいいです。
僕が興味を抱いているのは貴方ですよ」
ここにはゾンビが出る。
でも、どうしてここにゾンビが出るのか。
それを知る人は、僕が探した限り居ない。
知りたいと思った。
それがきっと世界を識るという事だから。
「私に興味だと?
私の魔術に、ではないのか?」
「口振りからして僕の魔術回路を解読したんですか?」
「あぁ、凄まじい才能だな。
故に、貴様は危険だ」
「……貴方こそ。
人や生物をゾンビに変える魔術。
凄い魔術じゃないですか」
他にも可能性はある。
けれど、そう考えるのが最も合理的だ。
こんな場所に住む奇人。
同時に僕をゾンビに運ばせた。
それは彼がゾンビを使役しているという事実を示す。
無論、凄い魔術と人に誇れる魔術。
それは明確に違う物だけど。
「なんで、こんな所でそんな事をしているんですか?」
「何故か……
答えは、知らない、だ。
けれど私はずっとここに居る。
もう何百年になるのか、数えるのも馬鹿らしい程」
「本当に?
ここに数百年?」
恐怖はある。
けれどそれ以上に興味がある。
確かに彼の纏う貴族の様なその衣服は、かなり古風な代物だ。
装飾品や製造技術共に、ずっと昔の物に思える。
「もう、良い。
久々の会話。
もう、楽しめた」
魔力が昂る。
何かが来る。
戦いは得意じゃない。
というか、魔術を用いた戦闘なんてした事が無い。
そんな僕が一体どれだけ戦えるだろうか。
「
男が僕に手を翳す。
その掌に赤い何かが充填され。
赤が、飛来する。
それは僕の頬を強く打った。
「いっつ……」
首が捥げるかと思った。
頬が叩かれた拍子に後ろに倒れたし。
少し腫れてるな。
「弾いただと……?
私の魔術を肌で……?」
「あぁ、悪いねヴァンパイア。
こいつは本当に悪意があってここに来た訳じゃねぇんだわ。
言ってる通り、お前さんに会って話を聞きたかっただけなのさ。
だから矛を引いてくれねぇか?」
どうやら、僕がまだ生きているのはハクのお陰らしい。
何か魔術を使って防いでくれた様だ。
「今度は何者だ?
姿を表せ」
「俺様は本だよ。
見えんだろ。
あんたの目の前に居る」
「それも、魔術本の力という訳か……」
「あんたは相当に強い。
だからな、だからこそだ。
やめねぇか?
じゃねぇと、俺様も加減できねぇぜ?」
「どうやって、私の魔術を防いだ?」
確かにそれは、僕も気になる。
僕が使える魔術は2つ。いや3つ。
それに頬にはちゃんと当たった。
なのに、僕の頬は少々腫れただけ。
でも、相手の男が驚いているのだから、本来込められた威力はそれ以上の物なのだろう。
うーん。
「あ、ヒナの魔術で防御力を倍にしたのか」
「倍だと……?」
「そうです。1頁目の魔術は【
その魔術は、1つを2つにする事ができる。
それで2つにした僕の身体がさっきのです。
でも、それは物じゃ無くても『力』『速さ』『硬さ』とか、他にも色々と2倍にできます」
勿論、無尽蔵という訳ではない。
増やせる質量や魔力量にも限界がある。
物理的な力を強くする場合は、強くした分だけ魔力消費が多くなる。
僕の魔術本は使える魔術の種類が増えるだけ。
魔力量その物は僕が保有している分で全てだ。
「貴様……大マヌケか……?」
「元カノの自慢話してぇのは分かるがよ」
「え?」
「「敵に自分の魔術を教える奴が居るか……」」
銀髪の貴族服の男の視線は殺気立って居るし。
ハクに至っては、目なんて部位すらない。
でも何故か、二人に呆れた目を向けられた気がした。
「あはは」
空気を察して笑ってみると、二つの声が同時に溜息を吐き出した。
「私の話を聞きたいと言ったな」
「はい」
「ならば聞いて行け。
愛する物をこの手で墓に埋めた、そんな私の後悔を」
心臓が跳ねた様な気がした。
逃げたくなった。
一気に聞きたくなくなった。
でも、聞かない訳には行かない。
僕は旅に出た。
その理由は、良く分からない。
学長の真似をしてみた。
尊敬してるから。
本当にそれだけなのだろうか。
本当にそれだけの事が、この決断の背中を押すに足りる力を持っているのだろうか。
もしかしたら、僕は逃げたのかもしれない。
ヒナの墓から離れたかったのかもしれない。
そうずっと、考えていた。
――僕が向いているのは、本当に前なのだろうか。
彼は言った。
何百年もここに居ると。
それがもしも、愛する誰かの死に対する後悔ならば。
彼は僕にとっての大先輩で、僕が出すべき決別の答えを知る人なのかもしれないから。
「聞かせて下さい。
僕は貴方の話を聞きたいです」
だから僕は魔術を奪う 水色の山葵/ズイ @mizuironowasabi
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