浮上する電車通勤

明鏡止水

第1話

 わたしは乗り物恐怖症である。

昔は5分、10分車に乗るのさえ大変で発作が起こった。

 いまは飲んでいる薬が合っているのか、万全の対策のおかげなのか発作が出る事は少ない。

 パニック障害のせいでうねうねで他の施しようがなかった髪の毛も美容室に行けるようになった。

 わたしが車に乗るときに必ず携帯する物がいくつかある。

 まず、お薬だ。財布の中。ポーチの中。キーケースの中。4箇所くらいに分散している。

 次にお茶や水などの水分。夏は塩分やミネラルの入ったスポーツドリンクでも飲んでいた。薬と相性がいいのかはわからない。

 あとは人によっては耳栓がいいらしいが、わたしはイヤホンで好きな曲をYouTubeで聞く。たとえば20分移動時間があったら、長めの音楽のライブ映像をみたり、一曲4分の音楽を5つ流して、目的地まで着くのを待つ。

 そうして人の乗る車や電車に乗ってきた。

 あと、欠かせない物がもう一つ。

 飴玉だ。

 ストレスで喉が張り付き、口が乾くようになると、とても、それだけで追い詰められる。

 そんなときいつのまにか口にしていたのが飴玉だった。だいたい3駅はもつ。

 電車に乗れるようになったのはごく最近。

 仮にわたしが32歳だったとする。

 それまで、辛かった。

 でも、これからだ。

 ある日、電車のホームの自動販売機の補充の仕事をしている人がいた。その日は秋風が妙にホームを吹き抜けていたが何の問題もなかったように思う。

 しかし、販売機内の商品ディスプレイのプラスチックが風に吹かれて線路へ落下してしまった。

 作業員は少し困り、どこかへ行って、そこからはまるで工場で発するかのようなビイイ!! という耳をつんざくようで、重い音。喧嘩していた鳩すら黙る。

 慣れないことにわたしは高揚した。駅の線路内に物が落ちたこと自体は心配なことだがいつもと違う、経験したことのないことが起こる。 

 それは、吉でもあって凶でもある。

 怖かった。念の為薬をもう一錠飲んで、わたしはポケモンGOを開いた。

 ポケモンGOを開くと自分が道を進んでいる気がして安心するのだ。

 乗り物恐怖症のパニック障害について話しておくと、まず体が冷えるようにして強張る。身体は柔らかいのに心が寒く硬くなるのだ。次にどうしようもない焦りがくる。慣れていれば、このままでは危ない、という思いを抱くことができる。つぎに不安。

 この不安が厄介だ。ずっと落ち着かせてくれずに延々と電車に精神を引き延ばされて乗せられる。

 電車は走っているのに、シートに座っているのに、心は、身体は、どうしても進行方向にめまいのような拒絶のような反応を起こして気持ちがおいてけぼりになる。

 もしも、電車に早く乗れていたら、自分の人生は変わった。乗り物恐怖症にならなければ通信制の高校を早く卒業できた。でも、その前に自律神経失調症などで毎日吐き気とめまいの連続で薬も効かず、貧血なのかもわからなかった。

 あの頃の家庭は機能不全家族だった。それなのに妹と弟はうまく育った。

 わたしが、悪かったなんて思いたくない。

 電車通勤をしていると体操着の大きな山登りでもするようなリュックサックの男子生徒。色とりどりの、しかし、緑や紺、チェック柄などのスカートを履いた、やっぱりザ・ノース・フェイスのリュックサックを抱えて眠る女子高生。必死にツムツムをやる若い子。真っ白なシャツに肩掛けカバンで、それに何が入るの?というような会社員の二人組。

 赤ちゃんを乗せている人はあまりみない。多分時間帯による。

 この間頑張って駅のコンビニで買い物に挑戦してみた。薬を飲むためのお茶を家から持っていくのを忘れたからだ。

 お茶といえば、天然ミネラル麦茶を隣で飲んでいたお婆さんのペットボトルの中にティーパックが入っていた。

 再利用してるのか?

 あと、リュックサックをしている人は持ち物が取りやすいように背中ではなくお腹にかけて移動したりする。初めてみた人は驚くと思う。なんだか妊婦さん体験を思い出す。 

 いまのところ、わたしは元気だ。実はハローワークのハロートレーニング、職業訓練とやらで電車に乗って資格取得を目指している。仲間もいる。孤独じゃない。

 ここのまま、発作も起きずに、統合失調症も再発せずに好きな漫画やアニメを追えて生きて行けたらと思う。

 本当はカフェが好きだけれど、怖くて一回も入ったことがない。生クリームいっぱいのパンケーキが食べてみたい。

 行けなかっただけでインドア派なので、本当はアウトドア派だったりするのかもしれない。

 じぶんの可能性があるのに、ほんのちょっとが踏み込めない。居酒屋に入ってみたい。原宿に行ってみたい。銀座のバーにもう1回カクテル飲みに行きたい。可愛いお洋服が欲しい。

 脱毛しなきゃ。好きな人と結婚しなきゃ。眉毛剃れるようにならなくちゃ。ちゃんとした収入得なくちゃ。

 ……ああ、人生が嫌になってきた。

 浮上しないと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浮上する電車通勤 明鏡止水 @miuraharuma30

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ