新年ノ章 ご挨拶 6
数日かけて箱根から江戸にたどり着いた一九。
江戸の町ではまだ正月気分が抜けていないのか、どこか浮足だっていた。だが、一九は周囲の浮かれた人々のことには気にも留めず、
店の戸口は正月にも関わらず、開いていた。相変わらず商売熱心なようである。一九は店の戸口から中へ入った。
「重三郎さん! ただいま帰りました!」
「あら一九? 随分と早いじゃないの」
帳簿を見ていた蔦屋が、目を丸くして一九を出迎えた。一九は
「見越殿たちも正月なんだからもっとゆっくりしていけとおっしゃってくださったのですが、新しい記事が書けたのと、行事も一区切りついたので、今後どうするかを重三郎さんと相談したくて」
「そういうこと。わかったわ。原稿をちょうだい」
「こちらになります」
一九は荷物の中から風呂敷に包んでいた原稿を、蔦屋に差し出した。
「読んでおくから、一九は湯屋にでも行って、旅の疲れを癒してきたら?」
「そうですね。そうさせてもらいます。あ、その前に」
「その前に?」
「重三郎さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「あぁ新年の挨拶ね。はい、あけましておめでとう。こっちこそ、これからもよろしくね」
2人は笑顔で新年の挨拶を交わした。
一九は旅道具を置き、代わりに風呂道具一式を持って、湯屋へと向かった。
「こんにちは」
「おや、一九さん。旅装束のままってことは、取材旅行から帰ってきたばかりですかい?」
「はい。さっぱりしたくて、すぐに来てしまいました」
「それはそれは、長旅ご苦労さまでございます。どうぞごゆっくり」
番頭と軽い雑談を交わしたあと、一九は浴室へと姿を消した。
湯屋でさっぱりした一九が店に戻る頃には、すでに夕刻となっていたので、蔦屋は店じまいの準備をしていた。
「戻ったね、一九。こっちはいいから、
「承知しました」
一九は風呂道具を部屋に置いて、
「包丁や鍋たちが、勝手に動いて手伝ってくれれば、楽なんですけどねぇ」
妖怪の里では、
「ない物ねだりをしても、仕方ありませんね。やりましょう」
一九は
久々の料理のため、四苦八苦しながらもなんとか完成させて、料理を器に盛って、自分の
「わざわざ持ってきてくれたのね。ありがと」
「いえ。ついでですから」
2人は向かい合わせに座り、「いただきます」と手を合わせて食事を始める。
「うん。まぁまぁな味ね」
「食べられるだけ、ましと思ってください。久々の料理なんですから」
一九の作った料理をぱくぱくと食べながら、蔦屋が感想をこぼす。一九は言い訳をしながらも
「向こうじゃ作ってもらっていたってわけね。この
「お六殿の料理は美味しいですよ。それに下ごしらえは、包丁や鍋の付喪神たちがやってくれますし」
「いつ聞いても、あんたの話は想像できないわ……」
蔦屋はそう言いながら、
食事を終えて、一九が片づけから戻ると、蔦屋がお茶を淹れてくれた。
「改めて一九、一年行事は一区切りついたってことでいいのよね?」
「はい。春の穴見に始まり、新年の挨拶。一通りの行事は、書かせていただきました」
「そう」
蔦屋は言葉を切って、お茶をすすった。一九は黙って、彼が口を開くのを待つ。やがて、蔦屋が
「前に文にも書いたけど、あんたの瓦版、想像以上に人気が出てね。発売する
「本にしてくれるんですか!?」
一九は目を輝かして、身を乗り出した。持っている湯呑みの茶が、ちゃぷんと揺れる。
「ちょっと! お茶をこぼすわよ!」
「あ、つい興奮して」
一九は気持ちを落ち着けるように、お茶を口に含む。
「それで、本にしてくれるって、本当ですか?」
「あたし、嘘は言わないわよ。今回あんたが書いた年末の牡丹鍋と新年の挨拶の記事は、本にした時に中に入れましょう。明日はあたしも一緒に、版木屋兄弟の
「わかりました。本か……。ついに私の書いた作品が、本になるんですね」
しみじみと呟くように言う一九に、蔦屋は微笑えましそうに見つめた。
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