冬ノ巻 役者顔見世と牡丹鍋 17

 ざぶんっと湯船に入った一九は、大きく息を吐き出した。


「生き返る~」

「何もしてないくせに、何を変な事言ってんの?」

「私があんな巨大猪を、どうにかできるはずないでしょう!?」


 隣で同じように湯船に浸かっている鎌鼬に、一九は吠えた。一九たちの前では今日は雑鬼たちが桶でのんびりではなく、ばしゃばしゃと湯船の中を泳いで遊んでいたが、疲れている一九は注意する気力がなかった。


「それにしても、あんなに猪が出没するなんて思いませんでしたよ。あれらすべて、里の皆様に配るんですか?」


 何度も山と屋敷を往復して、一九たちは狩りを続けた。今日だけで10頭以上は遭遇そうぐうしている。しかもみんな巨大な猪ばかり。

 屋敷の方ではお六の指示のもと、他の妖怪たち総出で解体作業が行われており、一九たちは一足先に湯屋に来て、汚れを落としていた。


「行事というほどではないが、今夜はどこの家も牡丹鍋ぼたんなべになる。鍋は体が温まるからな」

「そうですね。でも。牡丹鍋を食べるのなんて、いつぶりでしょう」

「江戸じゃ近くに山がないから、滅多に食べないでしょ? 楽しみにしてな」

「そろそろ帰るかの」

「お前たち。もう遊びは終わりですよ」

「「「はーい」」」


 見越が立ち上がったので、一九は雑鬼たちを回収して、鎌鼬とともに見越の後に続いた。


「戻ったぞ! お六」


 家の前にあった猪の山はすっかり消え、お六がお茶で一息ついていた。

 いつも通り、花魁おいらん衣装で身綺麗みぎれいになっていたので、いつのまにか湯屋で風呂に入ったようだった。代わりにくりやでは、付喪神つくもがみたちがせわしなく動いて、料理をしていた。


「お帰りなんし。鍋はもうじき、出来上がりんすからね」

「それは楽しみです」


 お六が人数分の茶を淹れてくれたので、一九たちは居間で鍋の完成を待つことになった。

 囲炉裏いろりまきが、パキッと音をたてる。


「一九、仕事は進んでおるのか?」

「信楽殿に頼まれた仕事は、浄瑠璃の原稿を歌舞伎用原稿に手直ししないといけないので、なかなか進みが悪く……。今、自分の書いたどの浄瑠璃作品を歌舞伎用に仕上げようかと悩んでいます。でも、いくら猶予をもらっているとはいえ、早めに仕上げなくてはと思っています。

 瓦版のほうは順調です。この間の役者顔見世の瓦版も無事完売したと、雇い主からふみと共に届きました」

「俺ら、まだその瓦版を見てないよ」

「あ、そうでしたね。歌舞伎原稿ですっかり忘れていました。今、お持ちします」


 一九は部屋の文机の上に置いていた、三ツ目鴉が届けてくれた瓦版を持って居間に戻る。


「今回の瓦版は、こちらになります」

「ふむ。どれどれ」


 見越たちは瓦版を読み始めた。読み始めてすぐ、鎌鼬は顔をしかめて、瓦版を指さして文句を言ってきた。


「一九、玉藻之介のことを美化しすぎ。あいつのことなんて、もっとけちょんけちょんにけなしてやればいいのに」

「さすがに見せる約束をしている商売相手のことを、そんな風にできませんよ」


 鎌鼬は、一九が玉藻之介のことをめたように書いたことが気に入らず文句を言うが、一九は瓦版を玉藻之介に見せる約束もしているので、鎌鼬の言葉を流した。


「それにしても、一九さんは絵も描いていらっしゃるのでありんしょう? 毎度のことながら大変でありんすねぇ」

「いえ。それは私の絵をいつも忠実にってくださる、彫り師の方の腕がよいのですよ」

「いつも思うが一九よ。おまえは自分のことを過小評価しすぎじゃ」

「ですが」


 一九がそれでも反論しようとすると、見越が「一九」と再度いさめた。

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