冬ノ巻 役者顔見世と牡丹鍋 1

 師走まで残りわずかとなった霜月の終わり。一九は自分の部屋を、一足早く年末の大掃除おおそうじをしていた。


「今年の年越しは、妖怪の里で過ごすといい、と見越殿からお誘いを受けていますからね。行く前に部屋を片づけなくては」


 闇見が終わった翌日、江戸に帰るための荷造りをしている時に、見越が声をかけてきた。


「年末は、いつもどう過ごしておるんじゃ?」

「特別なことはしていませんよ。部屋や店の大掃除をしたり、年末の挨拶回りをして、年越しそばを食べたりします」

「ならば、用を済ませたら里に来るといい。共に新しい年をむかえることを祝おうぞ」

「ぜひ!」


 というわけで、一九は少しでも早く妖怪の里に行くため、部屋の片づけをしているわけだが……。


「こら一九! 片づけが全然、進んでないじゃない!」

「あっ」


 様子を見に来た蔦屋が、腰に手を当てて一九をしかる。蔦屋に怒られたことで、一九は掃除の手が止まっていることに気づいた。彼はついつい、自分の書いた作品たちを読みふけってしまっていたのだ。つまり、いつものごとくく部屋は足のがない状態ということだ。


「『部屋の片づけをするから、今日は仕事はしません』って言っておきながら、何よこの惨状さんじょう。足の踏み場がないじゃない! これじゃあ、いつもと一緒だわ!」

「おかしいですねぇ。片づけているはずなんですが」

「どこがよ! あんたは普段から片づけてないから、こういう時に大変になるのよ」

「普段も片づけていますが?」

「座る場所がやっとの部屋のくせに、なに言ってんのよ!」


 蔦屋はやれやれと首を振る。


「掃除が進まないなら、先に挨拶回りでもしてきたらどう?」

「ん~そうですね。そうします」


 一九は支度を済ませ、外出することにした。


 まず向かったのは、浄瑠璃作家時代からお世話になっており、瓦版の手売り販売も手伝ってもらっている右京と佐吉が営む版木屋の草香くさか


「こんにちは」

「いらっしゃいませ、一九先生」

「新規のご依頼っすか?」

「すみません。今日は違う用事です」


 仕事熱心な兄弟に対し、一九は申し訳なさそうに首を横に振った。


「今日は少し早いですが、年末のご挨拶をと思いまして」

「少しどころか、かなり早い気がしますがね。だって、まだ霜月の終わりですぜ?」


 佐吉は呆れたように言うが、右京は何か考えるように腕を組む。


「もしかして、年末は取材旅行で、江戸を留守にするのですか?」

「はい。ですので、今の内にと」

「一九先生は仕事一筋っすね。ちゃんと休んでるんすか?」

「休んでいるかというと、微妙なところですかね。でも、あの仕事がないひもじい時代に比べたら、仕事がある事は喜ばしいことですし、取材も楽しいですので、苦は全くないですね」


 一九の言葉に、兄弟はうなずく。


「たしかに。仕事は楽しくやるのが一番ですよね。一九先生には、これからもぜひご贔屓ひいきにしていただきたく思います」

「これからもよろしくっす」

「こちらこそ。佐吉さんには、私の代わりにお1人で瓦版を売ってもらうなどの無茶な要求にも応えていただき、ありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」


 互いに挨拶を交わして、一九は店を後にした。


「そういえば、弥次郎さんの住んでいる場所は知りませんねぇ。いつも弥次郎さんがお店に来てくれるので、聞きそびれていました。仕方ありません。先に善哉さんの屋台に行きましょう」


 一九は、善哉がいつも屋台を出している深川に足を向けた。


 善哉の店に行くと、店主の善哉のほかに、見慣れた姿があった。


「あ、弥次郎さん!」

「ん? おぉ、一九!」


 一九の呼びかけに、弥次郎は天ぷら串をくわえたまま、片手をあげて挨拶する。


「こんにちは、一九先生」

「こんにちは、善哉さん。おすすめください」

「へい!」


 善哉はにかっと笑って、さっそく調理を始めた。一九は弥次郎の横に並ぶ。


「ここで弥次郎さんに会えてよかった。年末の挨拶をしたくても、あなたの家を知らないから、どうしようかと思っていたんです」

「おいおい、一九。いくらなんでも気がはえぇって。まだ霜月だぜ?」


 弥次郎が佐吉と似たような反応をするので、一九は肩をすくめた。


「近々、また箱根に行くんです。それで年末はそのまま向こうで過ごす予定でして」

「一九先生は、仕事ばかりしていますねぇ。ちゃんと休んでますか?」


 善哉は「はい、どうぞ」と、一九に白身魚の天ぷらを差し出す。一九は苦笑しながら、善哉から天ぷらを受け取った。


「先ほど、馴染なじみの版木屋さんに行きましたが、そこでも同じことを言われましたよ」

「それだけ、お前は働いてんだよ。取材旅行に執筆、販売。んで、また取材に行って、最近じゃ、現地でも執筆してんだろ? ほら、こんだけ働いてる」


 弥次郎が指を折って数えながら、一九に現実を突きつける。だが当の本人は、天ぷらにかじりつきながら、首をひねる。


「私としては、好きなことで仕事をしていますから、苦ではないんですけどね。弥次郎さんもそうでしょう?」

「まぁな。にしても年末、一九はいねぇってことか」

「はい。江戸に帰ってくるのは、正月の三が日を過ぎた頃かと」


 一九は天ぷらを食べ終え、串を捨てて身なりを整えた。


「というわけで、今年はお世話になりました。善哉さんも、お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします」


 一九は二人に頭を下げた。


「おいおい。そいつは俺の台詞せりふだ。一九のおかげで俺の商売が上手くいったって言っても過言じゃねぇ」

「そうですよ。一九先生にはいつもご贔屓していただいて、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」


 弥次郎と善哉も、一九にならって頭を下げる。


「そうだ一九。このあと暇か?」


 顔を上げた弥次郎が、一九に尋ねる。


「えぇ。特に急ぎの用事はありません」

「ならこれから浅草寺に行かねぇか? とりいちやってんだ」

「いいですね!」

「んじゃ、さっそく行くか!」

「行ってらっしゃいませ!」


 一九と弥次郎はお勘定かんじょうをして、歩き出した。

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