春ノ巻 穴見と花見 6

「どうも~、版木屋はんぎや草香くさかで~す」


 翌日、気の抜けた声をかけながら蔦屋つたやの店にやってきたのは、風呂敷ふろしきを持った佐吉さきちだ。昨日完売した瓦版かわらばんを新しくったものが出来たので、持ってきたのだ。佐吉のことを蔦屋が出迎でむかえた。


「いつも急かすようで悪いわね、佐吉」

「いえいえ。ところで、一九先生は?」

「箱根に取材に行ったわ。一九が帰ってきたら、また瓦版を書かせるから、その時はよろしくね」

「任せてください! 一九先生はうちのお得意様ですから、他の仕事よりも最優先でやらせてもらいますよ! んじゃ、俺はこれで失礼しま~す」


 そう言って、佐吉は帰って行った。


 そのころ、一九は妖怪の里に向けて、江戸をすでに旅立ち、いくつかの宿場町をえたところだ。今回は1人旅である。だが、途中とちゅうひどい雨に降られたため、箱根に着くまで5日もかかってしまった。


「まだ明るいですし、このままたけのこをどこかで調達して、妖怪の里に向かいましょう。ただでさえ、待たせてしまっていますし」


 一九は箱根の宿場町で目当ての筍を買い、急いで妖怪の里に向かうことにした。


 太陽は空の真上にきたあたりで、木漏こも心地ここちよい。


(先ほど、一ツ目地蔵を過ぎたので、もうそろそろだと思うのですが……)

「あ。来た」


 木の上から声が聞こえたので、一九は顔を上げる。そこにいたのは、額に唐草模様からくさもよう鉢巻はちまきをした鎌鼬かまいたちだった。


「鎌鼬殿どの! もしかして、むかえに来てくださったのですか?」

「こっちに向かってくる人間の気配がしたから、追っ払ってやろうと思って来ただけだよ」

「え? 私、追い返されるんですか?」

ちがうって。知らない人間だったらの話」


 鎌鼬は「よっと」と軽い身のこなしで、音もなく一九の前に降り立つ。


「というか、頭領がふみを送ってから、もう何日もっているのに全然来ないからさ、取材に来るって言うの、俺としてはうそだと思ってた。頭領も『全く来ないではないか!』っておこってるよ」

「あぁすみません。途中、酷い雨に降られてしましまして、おそくなってしまったのです。あと文について一応確認なのですが、これは見越殿みこしどのが書かれたもので間違まちがいないですよね?」


 そう言って、一九は旅の荷物の中から文を取り出して、鎌鼬に見せた。


「要点のみで、荒々あらあらしい筆遣ふでづかいなので、見越殿ではと思ってはいたのですが、合ってます?」

「あぁ、これ、頭領が送った文。でも文が届いたなら、何で返事を寄越よこさなかったのさ。まさか忘れてたわけじゃないよね?」

ちがいますよ! 三ツ目がらすは、私が文を受け取るやいなや、すぐに飛び去ってしまったんです。止めたんですけど、その時はもう空の彼方かなたでどうしようもなく……」

「はぁ!?」


 鎌鼬は驚いたように声を上げた。一九は思わず一歩退く。鎌鼬は額に手を当てる。


「あぁごめん。三ツ目鴉に文をたくすの、俺がやるべきだった。あの鴉、『返事をもらって来い』って言わないと、何も持たずに帰ってくる気のかないやつでさ。一九につみはないよ」

「でも、見越殿はお怒りなんですよね?」


 一九が心配そうに問いかけるが、鎌鼬は気にするなと手を振る。


「今回に関しては頭領の自業自得じごうじとくだから、気にしないでいいよ。それに、一九だって仕事があったんでしょ? うちの頭領が我慢がまんできないのが悪い。さて、ここで突っ立ててもしょうがないし、行こう。頭領の家まで案内してあげるから」


 鎌鼬は先導せんどうするように、歩き出した。

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