春ノ巻 穴見と花見 4

 一九は弥次郎やじろうからのふみ丁寧ていねいたたんでふところにしまい、蔦屋を真っ直ぐに見つめた。


「重三郎さんは、信じてくれないんですか?」

「だってねぇ。妖怪なんて、創作上のものでしょう? あたしはどうしても……」


 蔦屋はほおに手を当てながら、悩ましげな顔をする。そんな蔦屋の顔を見て、一九は仕方ないか。と信じてもらうことをあきらめかけたその時、


「カア! カアカア!」


と、からすの鳴き声がすぐ近くから聞こえた。一九が振り返ると、鴉が店の中に入ってきた。


「ちょ、ちょっと! なんなのよ!?」

「なぜ鴉が? ……あっ、そういえば」


 一九は見越入道みこしにゅうどうから言われたことを思い出した。行事があったとき、文は鴉に持たせると言われていたことを。鴉は帳簿台ちょうぼだいの上に止まった。そしてパチリと、三つの目でまばたきをした。一九は驚きで目を見開き、嬉々ききとした声を上げた。


「重三郎さん、見てください! この鴉、目が三つもありますよ!」

「ひええぇぇ!!」


 蔦屋は悲鳴を上げて、奥の部屋へと逃げてしまった。一九はぽかんと口を開ける。


「別に逃げなくても……。ねぇ?」

「カア」


 一九の声に応えるように、三ツ目鴉は鳴いた。


「ところで、きみは目が三つもありますから、妖怪ですよね? もしかして、見越入道殿どのからのお使いですか?」

「カア!」


 三ツ目鴉は、羽を大きく広げて返事をする。そして、胸元の風呂敷ふろしきの結び目をつつく。


「これですか?」


 一九が結び目をほどくと、三ツ目鴉が背負っていた風呂敷が外れる。中に入っていたのは、まるで果たし状かのように豪快ごうかいな字で「一九」と宛名あてなが書かれた文だった。

 三ツ目鴉は風呂敷が解けたことで、体が自由になったとばかりふるわせた。


「カア!」


 三ツ目鴉は一声鳴くと、あっという間に店から飛び去って行ってしまった。


「え!? ちょ、待って! 返事は持って帰ってくれないんですか!?」


 一九があわてて外に飛び出すも、三ツ目鴉はすでに空の彼方かなたを飛んでいた。


「い、い、一九! か、鴉は!? あの妖怪鴉はもう行った!?」

「行ってしまいましたよ。あぁ、返事はどうすればいいんでしょう。困りました……」


 蔦屋は自分の巨体をできるだけ小さく縮めて、おそおそると店先に戻ってきた。周囲を見渡し、三ツ目鴉がいないのを見て、ため息をついた。


「いったい、何だったんだい。あれは現実の生き物なの?」

「現実ですよ。あの子は、初めて里にお邪魔した時には見ませんでしたが、妖怪で間違いないでしょう。普通の鴉に、目は三つもありませんからね」

「あ、あんな不気味なのが、うじゃうじゃいるのかい……」


 蔦屋はげっそりとした顔をするが、一九は不思議そうに首をかしげる。


「妖怪の頭領である見越入道殿は人型ですし、二本足で歩く動物型の方や、子どもの玩具おもちゃのような、小さな鬼もいますよ」

「あたしは種類を、聞いてるんじゃないわよ!」


 一九の言葉に、蔦屋ががなる。 


「で? 中身はなんだったの?」

「文でしたよ」


 一九は豪快すぎる字で「一九」と書かれた文を見せた。豪快な字のわきには小さく、繊細せんさいかつお手本のような字で、「版元蔦屋はんもとつたや」とも記されていた。


「なんと言いますか……」

「豪快を通り越して、ただのきたなね」


 一九の後ろからのぞんだ蔦屋が、そんな感想をこぼす。一九は文字を見ただけで、誰が送ってきたのか察することができた。


「さっきの鴉が妖怪だったわけだから、この文の主も妖怪ってこと?」

「はい。字は性格を表すとも言いますし、この豪快な字は、妖怪たちの頭領である見越入道殿だと思います。横の繊細な字は、鎌鼬殿かまいたちどのでしょうね」


 一九は文を広げた。すると宛名と同じように、中の字も汚くとも言える字で、しかもあちこちにすみも飛んだ紙に、こう書かれていた。


『春だぞ! 来い!』

「よ、要点というか一言……。いえ、何を言いたいか、明確めいかくでいいんですけどね」

「まるで果たし状ね。一九、本当に大丈夫なのかい? いざ行ったら、食べられたりするんじゃないだろうね!?」


 蔦屋は顔を真っ青にして、一九を強くさぶる。


「さ、さすがに、それは、ないと、おもい、ます。ちょ、と、と、とめてっ」

「あら、ごめんなさい」


 蔦屋の激しい揺さぶりから解放された一九は、深く息を吐き出した。


「私を食べるつもりなら、最初に行った時におそわれていますし、妖怪の里への出入りも許してもらえませんよ」

「言われてみればそうね。でも、本当に妖怪っているのね……」


 未だに三ツ目鴉を見たことへの衝撃しょうげきから立ち直れないのか、蔦屋は額に手を当てて考え込む。一九は文を綺麗きれいたたみ直した。


「とりあえず、まねかれた以上、また近い内に箱根に行きますね」

「わかったわ。でも、今更いまさらだけど大丈夫なの?」

「なにがです?」


 一九は蔦屋の言いたいことがわからず、首をかしげる。


販売はんばいしちゃってから思ったのだけど、妖怪の里が実在したって書いたら、怪談好きの人間が殺到さっとうしない?」

「あぁ。それなら、大丈夫だと思いますよ。なんでも、霊力のある人間にしか、行くことができないらしいんです」

「霊力? なんか、何でもありって感じなのね」


 蔦屋の感想に、一九は笑った。


「そうですね。まぁ私がいくら真実を書いても、妖怪が実在するとは、誰も思いませんよ。読む人は創作だと思うでしょう」

「それもそうね」


 一九は立ち上がった。


「それでは、私は荷造りの支度したくをしてきますね」

「わかったわ。そのあとは、花見でもしてきたらどう? 江戸に戻ってからゆっくりしてなかったんだし」

「そうですね。そうさせていただきます」


 旅の荷造りを終えた一九は、蔦屋の好意に甘えて、ふらふらと町を歩いていた。


「花見といえば、場所は上野か、浅草か。それとも隅田か……」


 一九が目的地を考えあぐねていると、お腹がぐぅっと音をたてた。


「まずは、腹ごしらえが先ですね」


 鳴りやまぬ腹の音に、一九はお腹をさすりながら、行き先を決めた。

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