春ノ巻 穴見と花見 3

 佐吉は一九の背中をバシバシとたたく。


「一九先生、これはいい機会ですよ! 皆様方みなさまがた瓦版かわらばんで小説を楽しむのはいかが!?」

「え、えっと……は、版元蔦屋はんもとつたやのお抱え絵師である私、一九が書いた、妖怪の物語の瓦版でございます! どうか、買っては下さいませんか?」

「ちょいちょい先生、それじゃあだめだって!」


 妖怪好きの男が、自分が買った瓦版をかかげる。


「ほらほら! みんな見てみろよ! 妖怪の里は、『箱根よりこっちに野暮と化物はいない』の諺通り、箱根の先にあったんだ! それに、売れればこれの続きが出るんだ! 俺は続きを読みたい! だから買ってくれ!!」

「内容も、簡潔にまとまっているが、面白いぜ!」

「絵もすごく臨場感りんじょうかんがありますよ!」


 彼ら3人の協力もあり、佐吉さきちと一九が持っていた瓦版はまたたに売れていった。そして100部あった瓦版はすべて売り切ることに成功した。一九は一緒になって宣伝してくれた3人に、頭を下げた。


「ご協力、感謝します。おかげですべてを売り切ることができました」

「いいって。代わりに、続きを楽しみにしてるから、今後も頑張がんばってくれよな!」

「あ、ありがとうございます! 頑張ります!」


 3人とはその場で別れ、佐吉と一九は蔦屋の店に戻り報告した。


「戻ったわね。どうだった?」

「実は小説のネタをくれた方々と出会いまして、彼らのおかげで無事に完売することができました! 今でもうれしくて胸が、どきどきしています」


 一九は胸元むなもとに手をえ、感動している。そんな一九を放っておいて、蔦屋は佐吉に販売はんばいを手伝ってくれた謝礼しゃれいと、追加にぶんの代金を手渡てわたした。


「佐吉には手伝ってくれたお代だよ。それと、今回の瓦版を追加で刷っておくれ。そっちは店に置いて、販売はんばいするから」

「あざます! それじゃ、また出来上がったら持ってきますので!」


 蔦屋からお代をおそおそると受け取ると、佐吉は逃げるように店を去っていった。

 そんな佐吉を見て、蔦屋はほおふくらませた。


「もう! 取って食うわけじゃないんだから、逃げなくてもいいじゃない!」

「重三郎さんは怖いですから、仕方ないですよー」

「うるさい!」

「いたっ!」


 蔦屋に拳骨げんこつを落とされ、一九はその場にうずくまる。


「あぁ、そういえば。あんたあてふみが届いたよ」

「文ですか?」


 一九は、蔦屋が差し出してきた文を受け取る。

 宛先あてさきの字は角張った丁寧ていねいな字で、一九の名前が書いてあり、うらには送り主の名前が書かれていた。覚えのある名前に、一九は頬をゆるめた。


弥次郎やじろうさん! ちゃんと文を、送ってくださったんですね」


 文には一九と別れた後のことが書かれていた。

 出会ってすぐのころに、一九が書いてやった引き札のおかげで、道中でも自分の作品が売れていることに、感謝のむねが書かれていた。


「よかった。弥次郎さんの旅は、順調のようです」

「あぁ。箱根まで一緒に旅をしてたお人からかい?」

「はい。彼との旅は、本当に楽しかったです。よい経験をさせてもらいました」


 一九は弥次郎との旅を思い出し、なつかしむように目を細めた。


「その楽しかったっていう、自分の気持ちを忘れるんじゃないよ。物語を書くうえで大事なのは、楽しむ心だ。四苦八苦して生み出したものは、それだけつまらないからね」

「む、胸が痛いです……」


 売れない浄瑠璃じょうるり作家時代を思い出し、一九は思わず胸元を握りしめる。そんな一九の背中を、蔦屋がばしんっとたたいた。


「いっ!」

黄昏たそがれている場合じゃないでしょ! この調子でどんどん書かないと、人気がなくなるわよ!」

「こ、怖いこと言わないでくださいよ」


 蔦屋はずいっと一九に顔を寄せる。


「これはおどしじゃないよ。作家人生を終わらせたくないなら、頑張りなさい。そうすれば読者がつくからね!」

「だったら近々、妖怪の里へ取材をしに行かないと」

「……本当に、妖怪の里はあったの?」


 蔦屋はどうしても、一九が言う妖怪の存在も、そして彼らが住む箱根の先にある妖怪の里の存在も、信じられずにいた。

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