春ノ巻 穴見と花見 2

「すんませ~ん。版木屋はんぎや草香くさかですー」


 翌日、佐吉さきちわった瓦版かわらばんを持って、版元蔦屋はんもとつたやを訪れた。ちょうど店内では蔦屋はそろばんをはじいており、一九ははたきで掃除そうじをしていた。

「あ、佐吉さん。わざわざありがとうございます」


 一九は完成した瓦版を受け取った。


「じゃ、俺はこれで」

「お待ち、佐吉」


 蔦屋に声をかけられ、佐吉はビクッと肩をふるわせる。実は佐吉も蔦屋が怖くて苦手な口なのだ。なので、帰ろうとした体勢のまま、蔦屋に顔を向ける。


「一九と近くの辻道つじみちでその瓦版を売ってきて頂戴ちょうだいな。勿論もちろん、お代は出すわよ」

「え? 店に置いて売らないんすか?」

「当然、店でも取り扱うけど、瓦版は辻道に立って口上こうじょうを言いながら売ってなんぼでしょう? どうせ一九一人じゃうまくいかないから、手伝って欲しいのよ」

「は、はい。わかりました」


 一九と佐吉は瓦版とだいを持って、店を出た。踏み台を持ち出したのは、客よりも少し上の目線に立つことで注目を集めるためだ。


「これ……売れるんでしょうか? 誰も興味なくて足を止めてくれない気がします……」

「いや、自分で書いた話でしょう!? なんでそんな不安がっているんですか!」


 一九は不安そうに、地面を見ながら、とぼとぼと歩いている。佐吉は頭を抱えた。


(こりゃ、確かに一九先生一人じゃ、売れそうもねぇや)


 佐吉は一九の背中を勢いよく、ばしんっと叩いた。一九は思わず前のめりになる。


「い、いきなり何をするんですか!?」

「気合を入れてあげたんすよ。いいすっか、一九先生。瓦版を売るのに重要なのは、口上です! 大きな声で口上を言うことで、通行人の気を引くんです。俺が実践するんで、一九先生はそれを参考にしてください」

「は、はい。ありがとうございます、佐吉さん。ご迷惑めいわくおかけします」


 辻道に踏み台を置いて、その上に立った佐吉は大きく息を吸い込んだ。


「さぁさぁ道行く皆様方みなさまがた、ちょいと足をお止めください! 版元蔦屋の絵描きの一九が、なんと瓦版で物語を書いたよ。瓦版の内容は、箱根の関所をえた先にあった、あるものをえがいたものだ! 関所の先にあったもの。それはなんと、妖怪の里なんだそうだ! それに、一九の描く絵なんて、今にも動き出しそうなほどの臨場感りんじょうかんありまくり! さぁさぁ皆様、お一ついかがですか!!」

「妖怪の里だって!?」


『妖怪』の言葉に反応してやってきたのは、いつか一九が湯屋に行った時に、「箱根よりこっちに野暮と化物はいない」と言っていた、怪談物が好きな男とその連れの2人がいた。


「兄ちゃん、売ってくれ!」

「はいよ!!」


 佐吉は男に瓦版を差し出し、代金を受け取った。


「ほら見ろ! やっぱり妖怪の里は、箱根の先にあったんだ!」

「どうせ、創作だろ?」

「でも、ずいぶんと絵が上手だねぇ」

「ありがとうございます」


 絵をめられ、一九はお礼を言った。それに3人が目を丸くする。


「実はそれを書いたのは、私でして」

「え!? 書いた本人が売ってるのかい!?」

「なぁ! これ、続きはあるのか!?」

「あ、いえ。これが第1話で、完売するほどの人気がでれば、瓦版で連載れんさいをすることになっています」

「ならお前らも買え!」

「なんでだよ。いや、まぁ、作者本人を前にして買わねぇのも失礼だもんな」

「私は絵が気に入ったよ。今にも動き出しそうじゃないか」


 怪談好きの男が、仲間たちにも半ば無理やり買わせる。


「なんだなんだ?」

「瓦版かしら? でも、最近は事件なんて、なかったわよね?」


 3人がさわいだおかげで、他の通行人たちも続々と足を止める。

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