春ノ巻 穴見と花見 1

「一九と言ったな。これを持って帰れ」


 見越入道から里を出る前に、一九は首から下げられる小さなふくろを渡された。


「これは、におぶくろですか?」

「うむ。行事の時に文を送る。その時は、からすを使いにやるのでな。その鴉にはその匂い袋の香りを覚えさせているから、肌身離はだみはなさず持っておれ」

「わかりました。ありがとうございます!」


 そう礼を言って、一九は匂い袋を首から下げた。

 そして、一九は桜咲きほこる江戸の町へと戻ってきた。上野山うえのやま飛鳥山あすかやまでは、花見客で人があふれかえっているだろう。だがそんなことよりも、一九は蔦屋に、妖怪の里があったここと、瓦版に書くネタが決まったことを報告した。


「一九の話が本当かどうかは別として、ネタが決まったなら、瓦版かわらばんを書き始めな」

「本当のことですってば!」


 信じようとしない蔦屋に、一九は不満そうに口をとがらせるが、言われた通り、自室にて、箱根の先に妖怪の里があったことを瓦版に書き記した。ただし、部屋には書きそんじたごみが、丸められて投げ捨てられており、足のふみがない。が、これはいつものことである。一九は普段ふだんから掃除そうじが苦手で、仕事をしている時は、いつもこうなってしまうのだ。


「妖怪の、頭領は、見越みこし入道にゅうどう。その姿は、鳥山とりやま石燕せきえんの、『画図百鬼夜行』に、えがかれた、通りで、あった。妖怪の里は、実在した、のである……。うん。我ながらいい出来です」


 文章を書き終えた一九は、威厳いげんたっぷりの見越入道や、さまざまな妖怪を描いた。そして書き終えた瓦版を、蔦屋に見せる。


「うん、いい出来ね。絵も迫力はくりょくがあっていいじゃない。これを版木屋はんぎやに持っていきなさい」

「はい」


 一九は完成した原稿を、兄弟で営む版木屋、草香くさかの店に持って行った。


「こんにちは」

「いらっしゃいませ!」

「お。一九先生、らっしゃい」


 一九を出迎でむかえたのは、草香の店主の右京うきょうと従業員であり弟の佐吉さきち。二人には、一九が浄瑠璃じょうるり作家時代から世話になっている。


「今日は、この瓦版を100部って欲しくて、依頼に来ました」


 一九は持っていた風呂敷ふろしきから、瓦版の原稿を取り出した。


「一九先生、今度は瓦版を書くんすか?」

「重三郎さんに言われて、瓦版形式で物語を書くことになったんです。人気次第で瓦版で連載れんさいをするっている感じですね」

「へぇ。そいつは面白いっすね!」


 兄の右京は、一九から原稿を受け取ると、弟の佐吉が兄の持っている原稿をのぞむ。


「なになに? 箱根の先に妖怪の里を見つけたり。一九先生、妖怪ものの話を書くんすか?」

「えぇ。そうです。でも、普通のものとは違いますよ。勧善懲悪かんぜんちょうあくではなく、私が書くのは妖怪の皆様方の生活のいとなみですから」

「それはまた変わったお話ですね」

「もし売れなかったら、どうなるんすか?」

「それは勿論もちろん、打ち切りです」


 どよ~んとした空気が、一九にまとわりつく。右京は弟の佐吉に「余計な事を言うな!」と肘鉄ひじてつをかました。


「と、とにかく、仕事はお受けします。明日には完成しますので、お店までお持ちしましょうか?」

「はい。お願いします。代金はこちらを」


 一九は原稿を預けて、代金を支払い、店を後にした。

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