旅ノ巻 箱根の先へ 11

 一九がしばらく走り続けていると、きりが出てきた。


「霧? 山の天気は変わりやすいと言いますが……」


 一九は足を止めて、辺りを見回す。そこでようやく重大なことに気づいた。


(は、走るのに夢中で、帰り道を見失ってしまったー!)


 一九の顔は真っ青になる。絶望のあまり、その場につんいになり、ぶつぶつつぶやく。


「今度は町中ではなく、私は山の中で野垂のたれぬのですね。ふふっ。こんな山奥では、人に見つかる前に、動物に食べられ骨になり、やがて土にまってしまうのでしょうね」

「おい」


 誰かに呼ばれても、一九は気でもおかしくなったのか、「ふふふふっ」と小さく笑う。


「ああ。私は結局、大きなことをることができませんでした。あぁなんて無意味な人生だったのでしょう……」


 一九は地面を見つめながら、ぼそぼそと呟き続ける。

 辺りの霧はより濃くなるも、その中にちらほらと人影のようなものが見え始め、一九を取り囲む。


「おい、人間」

「せめて最期さいごくらいは重三郎さんのお役に立ちたかったのですが、このままでは無理ですね。いや、あの人なら私が幽霊ゆうれいになろうが、働かせそうな気がします」

「おい! 人の話しを聞かんか!!」

「ひゃあ!」


 耳元でさけばれ、一九は飛び上がった。そしてゆっくりと、視線を動かす。


 最初に目に入ったのは、筋肉隆々きんにくりゅうりゅう無骨ぶこつな素足。そのまま目線を上げていくと、ボロボロな茶色の法衣ほうえ。そして足同様、鍛え上げられた胸筋きょうきんを惜しみなくさらしている肉体。そして首は、まるで蛇が蜷局とぐろを巻くように長く、口ひげが生えたいかつい顔で坊主頭の妖怪が、一九をにらみつけていた。


「ようやくこっちを見よったか」

「……」


 一九はぽかんと、口を開けて自分を睨むモノを見つめた。


「おい人間。我らのことを探っていたようだが、いったいなんのためだ」

「……見つけた」

「ん?」


 一九の声が聞こえなかった妖怪は、首をさらに伸ばして、一九に顔を近づける。


「ようやく、見つけましたよ!」


 一九は逃がさないと言わんばかりに、顔をがっしりと掴む。


「ぎゃああ!」

「「ぎゃああ‼」」


 驚いた妖怪が叫ぶと、周りにいた他のモノたちも叫びに驚いて、叫びが伝染していく。


「ええい! 手を離さんか!」


 我に返った坊主頭の妖怪が、一九の手を振り払う。


「ああ、申し訳ありません。突然、無礼なことをしてしまいまして」


 一九は着ているものが汚れるのも構わず、その場に正座をした。


「お初にお目にかかります、妖怪殿。私は江戸の町にて、本の絵描えかきの仕事を生業なりわいとしている者でございます」

「絵描きか。となると、あやつの名前は……石燕せきえんだったか? あやつと同じということか」

「せきえん? もしかして、鳥山石燕殿とりやませきえんどののことを言っているのですか?」

「ああ。たしかそんな名だったな」


 一九は頭の中で、愛読書である石燕が描いた『画図百鬼夜行』の本を開いた。


(坊主頭で、首を伸ばした、体格のよい妖怪。あの本の通りだとしたら、この妖怪の名前は見越入道みこしにゅうどうですね)

「で? 貴様の目的はなんだ!!」

「あなた様のお名前は、見越入道殿でございますか!?」


 同時に発した互いの言葉。だが、妖怪にはしっかりと言葉が届いたようだった。

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