旅ノ巻 箱根の先へ 9

 翌朝、一九は箱根の関所まで、弥次郎を見送ることにした。


「ここまででいいぜ」

「道中、どうかお気をつけて。あぁ、何か珍しいことがあったら、ぜひふみをください」

「わぁったよ。版元蔦屋はんもとつたやの一九あてでいいか?」

「はい。お願いします」

「じゃあな。面白い話を書けよ!」


 そう言って、弥次郎は京に向けて旅立った。


「さてと。私は、情報を集めるとしますかね。不審人物に、思われなければいいのですが」


 日が昇り、関所がある箱根の宿場町は、多くの旅人たちが行き交うようになった。

 一九はまず、手近の茶屋に立ち寄った。外に置かれている長いすに座ると、すぐにその店の看板娘が注文を聞きに来た。


「いらっしゃいませ! ご注文は何になさいますか?」

「とりあえず、お茶と餡団子を一つ」

「はいよ!」


 娘は奥の店主に、注文を伝えるため、引っ込んだ。

 さぁっと暖かくなりつつある風が、一九の顔を撫でるように、すり抜けていった。


(春が近づきつつありますねぇ。桜が咲いたら、桜見物に行くのも良いかもしれません)

「お待ちどうさま」

「ありがとうございます」


 看板娘は人当たりのいい笑みを浮かべながら、注文の品を持ってきた。


「ごゆっくり」

「あ、ちょっといいですか?」

「はい?」


 一九の呼び止めに、娘は不思議そうに首を傾げた。


「あの、このあたりって妖怪のうわさとか、ありますか?」

「ようかい?」


 娘は何を言っているんだ、というような顔をする。その表情を見て、一九は焦った。


「いえ、なんでもないです! 気にしないでください」

「はぁ。じゃあ、ごゆっくり」


 娘はちらちらと、一九を見ながら、店の中に戻って行く。


(これは、先行きが不安になってきました)


 一九はため息をついて、早々に団子をお茶で流し込むと、「ごちそうさま」と声をかけて勘定かんじょうをその場に置き、店を後にした。


 その後、一九の予感は的中することとなる。地元の人や箱根の関所を通って来た旅人に、妖怪について尋ねると、全員が白い目で一九を見てきたのだ。

 あまりに進展がないので、一九は頭を抱えて、思わず道のど真ん中でうずくまる。


(ああ! 妖怪の手がかりどころか、私を不審者と思う人ばかり! 私はいったい、どうすればいいんでしょうか!? このまま手ぶらで江戸に戻るわけにいきませんし……)


 道を通る人々から、冷たい視線が一九に突き刺さる。しかし、彼の頭の中はそれどこではない。

 ふと、一九はあることを思いついた。


(待てよ? 旅人たちは当然、整備された東海道を歩きます。ですが、そこかられた山の中なら、どうでしょうか? 少々危険かもしれませんが、帰る道さえ見失わなければ……)


 一九は立ち上がり、一度宿に戻った。

 妖怪に会えた時に土産として持参した酒壺さかつぼと、水筒すいとうに筆記用具、それから大事なネタ帳を持って、一九は部屋を出る。


女将おかみさん。今夜また戻ってきますので、部屋はそのままでお願いできますか?」

「わかりました。お気をつけて」


 少しイロをつけて宿代を払うと、女将は笑顔で一九を見送った。

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