旅ノ巻 箱根の先へ 8

 翌日、一九と弥次郎は女将の好意でお弁当をもらい、暗い内に神奈川の宿場町を出た。


「一九! 今日はどこまで行く?」

「できれば小田原。無理なら大磯おおいそまで行きたい所ですね」

「予定通り行ければいいな!」


 弥次郎は一九の要望に文句を言うことなく、高らかに笑った。


 2人はそれから、ひたすら歩き続けた。時折、弥次郎がふらふらと道行く女の旅人に近づいて、ちょっかいをかけようとすることもあったが、その度に一九がいさめていた。そんな旅を続けること2日。2人は小田原をて、箱根へと無事にたどり着いた。


「着いちまったな」

「はい。弥次郎さんのおかげで、無事に、そして楽しく、箱根に着くことができました」


 一九と弥次郎は箱根の宿で、そんな会話をしていた。


「そういや、一九は取材旅行だと言っていたが、いったい何を取材するんだ?」

「妖怪についてです」

「よ、妖怪?」


 一九の答えに、弥次郎は目をまたたくく。短い付き合いとはいえ、一九が真面目な性格なのはもうわかりきっている。そんな一九から、まさか「妖怪」という単語が出ると思わなかった。ふざけているのかと思いもしたが、一九の目は真剣だった。


「弥次郎さんは、妖怪はいると思いますか?」

「んー? 俺は一九には悪いが、いねぇと思うな。一九はいるかどうかもわからない存在について調べるために、わざわざ箱根まで来たってのか?」


 一九はこくりとうなずく。


「江戸の湯屋で、『野暮と化物は箱根より先』ということわざについて、話をしている方がいましてね。それで来たんです」

「まさかそんな理由で旅をしていたとは思わなかったぜ。行動力があるというか、なんというか」


 弥次郎の言うことに、一九は苦笑した。弥次郎は腕を組んだまま呆れたように言った。


「あんな諺、『京や大阪より、江戸のほうがすぐれている。箱根の関所より先の者は、田舎者いなかものだ』っていう、江戸っ子の見栄みえだろ」

「おや。意味をご存じでしたか。意外に博識はくしきですね」

「ちょいちょい失礼な奴だな!」


 弥次郎が一九にがなる。だが一九はまぁまぁと、軽くなだめた。


「弥次郎さんの言うように、諺の本来の意味はそれです。ですが、だとしたら『化物』という言葉は、いらないと思いませんか?」


 弥次郎はふむっとあごでる。一九は続けた。


「あえて『化物』という単語を入れたのは、江戸の人々は妖怪が好きだから、ということだと思いましてね。実際に、妖怪が出てくる物語は多いですし」

「だから、一九も妖怪関連の本を書こうと思ったのか?」

「はい。ですが、妖怪話は勧善懲悪かんぜんちょうあくが多い。なので、私は似たような話を書くつもりはありません。それにもし似た話を書いたら、重三郎さんに拳骨げんこつを食らうはめになりますからね。いや、拳骨だけですめばいいんですが」


 一九は苦笑をこぼした。


「一九は妖怪が実際にいると、思ってんのか?」

「わかりません。いたら面白いとは、思いますがね」

「お前、怖いもの知らずだな」


 弥次郎の言葉に、一九は肩をすくめた。


「昔から、妖怪が好きなんです。だからいるなら、会ってみたいです。……そろそろ寝ましょうか。弥次郎さんの旅は、まだまだ続くわけですし。明日に備えましょう」

「おう」


 2人は布団に潜り込んで、灯りを消して眠りに就いた。

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