エロ書いたら新しい扉が開いた話

2023年3月に書いたエッセイの加筆修正版です。


***


 仕事が立て込み、記憶が飛ぶほどの多忙期間。神経がカリカリと立った。そのカリカリのままに、いままでと違ったジャンルの小説を衝動的に書いて、はじめての場所に投稿してみた。つまるところは、エロである。


 投稿期間が長くなってくるとやはり右肩上がりとはいかないが、わたしにしてはかなり読まれた。まあR18は「書けば誰でもPVがすごくなる」といわれるジャンルで、「そういうところで読まれたからって自信持つなよ」といわれる場所ではあるが、実際書いて投稿してみると、いろいろと新しい発見があったのだった。


 先ほども書いたが、まずPVがすごい。最終的には1回更新でPVが3000前後に落ち着いたが、前半は右肩上がりで最大、1回更新1万PV。ネットで書いていて、自分の文章にあんなPVがついたのをはじめて見た。人によっては莫大な数字に見えるかもしれないし、人によっては「R18でそんな少ないの!?」と思うかもしれない。いずれにせよ、これにはジャンルの底上げがある。あるていど煽情的なものを書けば、誰でもこれぐらいの数字になるのではないだろうか。


 発見のひとつは、PVの数が大きいと、「これを書いたらPV減る」「PV増える」みたいなものが見える瞬間があることだ。


ふだん、カクヨムで書いている小説では、数少ないけれど見てくださっている読者にどう満足してもらえるかを考えている。新規読者については、SNSで告知して、興味をもってくれるひとを気長に探す……というか待つ。たいへんありがたいことに、更新すれば、感想コメントを残してくださる方もいらっしゃる。そんなわけで、「数」ではなく、「読者の顔」を見ている。


 しかし、R18だと読者は「数」になる。数の多さに加えて、ほぼ感想がつかないからだ。ものすごくニッチな作風の人には、「こういうのを待っていました」「ほかでは読めない」などの熱いコメントが寄せられるが、それでも全年齢に比べたら少ないと思う。とかく読者の顔が見えにくい。ただ、うまくいけばPVが上がり、いまいちであればPVは下がる。数字だけははっきりと見える。単純なことだが、それはとても新鮮な手応えであり、同時に数字というものの心もとなさを感じたのだった。


 そんななかで、読者を感じられる数少ない機会を与えてくれるのが「いいね」である。わたしが利用しているのは「小説家になろう」系の男性向けR18投稿サイト「ノクターン」だ。UIは「なろう」と共通であり、「いいね」をつけられる機能がある。カクヨムの応援ハートと違うのは、これが匿名になる点だ。「いいね」する側はログインしないといけないが、作者には、誰がつけたかはわからない。PVが多くても、この「いいね」はなかなかつかない。それでも、わざわざ読者が「いいね」をつけてくれた回は「熱かったんだな」と理解することができる。たまに感想をくださる読者があり、その方が感想を寄せるのは、この「いいね」が10以上ついた回だった。おそらく意識しているのではなく、エピソードの「熱さ」にシンクロしているのだろう。「読者の顔が見える瞬間」のありがたさを感じたのだった。


 そして、PVだけがやりがいになるかというとそうでもない。


  カクヨム掲載作でも、R18 でも、自分の思い描くものを形にする楽しさは変わらない。「自分以上に物語を汲み取ってくれたのでは」と思える感想は、最大のモチベーションを与えてくれる。万のPVよりも、たったひとつの感想のほうが破壊力を持つ、具体的に胸に響く。きれいごとではなく、そう感じられたことは収穫だった。そもそもこのふたつは、比較するものではないのだろう。


 何より。心が震えるほどうれしい感想をもらうことも、PVを獲得するおもしろさも、書いていたら両方体験できる可能性がある。物語を書いて、それをどこかにアップするおもしろさを強く感じたのだった。


 そういう経験を経て、以前よりもPVが気にならなくなったのも、意外な効果だった。


 もうひとつ、予想しえなかった副産物は、全体的な創作の「出力」が上がったこと。


R18作品を投稿していた時期は、ちょうどKACが開催されていた。ご存じの方も多いとは思うが、KACとはカクヨムの創立を記念したお祭りであり、3~4日に1回お題が出され、それに沿った作品を書く即興企画が開催される。


いままでは短期間に短編をアップすることは難しく、そういった企画には参加できたためしがなかったのだが、今年は何作か短編を書いてアップすることができた。 「お題を見て、考える。浮かんだものを形にする」がスムーズにできた。


これは、R18作品で、妄想を素早く取り出し、読者が読んで楽しいようパッケージングして出す、を繰り返した結果だと思う。わたしが書いていたのは、物語皆無、煽情しかないエロだった。主人公とは何か、序盤の物語の盛り上げは……。そんなものは一切考えない。煽情的なことを煽情的に描写し、毎回、できるかぎり早い段階で目当てのシーンを入れる。官能小説とはとうてい呼べない、原始的なシロモノ。それをしゃにむに書いた。こんなにシンプルに文章を書いたことは、いままでになかった。


これについては、R18に限らず、「右も左もわからないジャンルで、体裁気にせず思い切り。好き勝手書くことの効用」なのだと思う。行き詰まりを感じたら、いままでやったことのないジャンルで、外面を気にすることなく思い切り書くのは手かもしれない。


注釈をつけておくと、わたしのなかで、全年齢とR18の想像リソースはパッキリと別れている。あくまで「エンジンの回りがよくなった」という感じだ。


「出力が上がった」のは、いままでと違うジャンルを書いたことで、「自分が何を書きたい人間なのか」にすこしだけ触れられたからでもあると思う。「中身ゼロ、エロに特化したエンタメ小説を書いたとき、それでも入れてしまうペーソスや“痛み”がある」と気づく瞬間があったのだ。自分がどういう人間か、なんとなくわかった。そうしたら、即興の「お題」を見たときに、自分なりに書きたいアングルが浮かぶようになったのだった。


 創作とは、「誰かに読んでもらう」ことが前提になるもので、「自分のためにやる」というとすこしちがうなと、わたしは思っている。それでも、創作をしていると、自分のことがわかってくる瞬間がある。それはわたしにとっては否定しがたい事実だ。自分のことがわかっていないと開かない扉があって、その扉にふれない限り書けないものがある。


何か書きたいけど、何が書けるのかわからない、自信がない、自分を外へ開示するやり方がわからない……。だから、書いてはいるものの、どうしていいかわからない。そんな状態が続いていいたし、いまも続いている。けれど、この一連の経験は、「結局、なんでも書いてみるしかないんだな」という身もふたもない事実を教えてくれたのだった。


書くことはいろいろ発見があって、やっぱりおもしろい。そんなことを感じている今日この頃だ。


最後にひとつ。よく「エロを書くと描写力が上がる」というが、わたしの場合はとにかく原始的に書くことに徹していたので、そういった技術の底上げのようなものは一切感じなかったことを付け加えておく。

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