「書くことを好きになってほしい」――世界は変わり、「赤」に込めた祈りは、結果として叶えられたのかもしれない

2021年に書いたエッセイに加筆・修正したもの。Web小説の流行については、すこし古いところもあるかもしれません。


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 答案用紙はいつも真っ赤だった。


原稿用紙を模した答案用紙には、見知らぬ中高生が書いた小論文が綴られている。鉛筆書きで、筆跡はさまざま。わたしは万年筆を握り、その欄外に赤字を書き入れていく。ときに鉛筆書きの文章の横に傍線を引き、「ここは具体的で伝わってきます!」「ここをもっとこう膨らませてみましょう」などなど。

かならず、いい点を一点以上。そして、修正アドバイスは、できればいい点を引き立つようなものを。


――ぜったいに、書くのが嫌いになってほしくない。

――できれば、書くことは、悪くないと思ってほしい。


その思いで万年筆を走らせる。


文言に迷って、ときには赤字を消して書き直す。修正液のたぐいは使用禁止だった。では、何で文字を消すのか。塩素の香りがする液体を消したい文字に垂らし、書いた文字を漂泊してティッシュでふき取るのだ。ドライヤーでゴウゴウと紙を乾かし、また新たな文字を書き入れていく。熱された紙は、存外熱い。書き損じがつづくと、塩素のにおいで胸が焼けるようだった。六畳ひと間のアパートに、カリカリと万年筆が走る音が響いた。


それが、大学時代にやっていた、小論文添削バイトの思い出だ。



 最近、カクヨムを利用するようになった。小説を書き、読むのはごく個人的な行為なので、人同士のつながりなどないかと思っていたら、そうでもない。趣味が合う作者同士は自然に読み合うようになり、交流している。


なかでも創作論は盛んで、ときには論争を見かけることもある。そのなかで根強いのが「テンプレ小説と、それがウケることへの反発」だ。テンプレとはテンプレートの略で、投稿サイトにおいては、いわゆる「俺TUEEE」と呼ばれる、主人公がとくにかく無双しまくるものや、「チーレム」などがある。「チーレム」とは、「異世界へ転生し、なんらかの理由で"チート"な能力を得た主人公が複数の女性に好かれる」展開をさすものらしい。ランキング上位には、そういった展開を期待させるタイトルが多い。読者から人気のあるジャンルなのだ。一方で、「安易な展開」「ヒロインがちょろすぎる」などの批判も多い。欲望に忠実すぎる、ということなのだろう。


 そういった批判は頭では理解できるものの、「ああいった作品が小説の質を落としている」とまでなると、ちょっとよくわからない。わたしは投稿サイトには多様な小説がアップされ、それを求める読者でにぎわっていてほしい。その小説がわたしに理解できるとかできないとか、そんなことは関係なく。


 というのも、Web小説の読者には、既存の小説になんらかのハードルを感じる、もしくは魅力を感じない読者層がそれなりにいるのではないかと感じるからだ。

批判者が言う“質が高い”小説が小説投稿サイトに溢れたら、そういった読者は暇つぶしの娯楽に活字を選ばないのではないか。漫画、ソシャゲ、サブスクで配信されるアニメ、映画。今どきは可処分時間の奪い合いなのだから。

もっともこれには根拠はない。アップされている小説群と感想などを眺めての、ただの推測だ。


もしもその推測が当たっていて、「小説全般は敬遠しているが、テンプレを使った無料のWeb小説『なら』読む」層がいるのだとしたら。Web小説は活字を読む層、つまり文字の連なりから、何かを想像することを娯楽とするひとたちを世の中に増やしたということにならないか。そうだとしたら、わたしはうれしい、と思う。何様って感じではあるけど。


 文字を追うのは楽しい。けれど、ひとがどう楽しむか、そんなことは自分には関係ないと思っていた。だって、読書はごく個人的な営みなのだから。でも、わたしは存外、文字を追う喜びが「広がってほしい」と思っていたのだ。


そう気づいたとき、ふーっと胸によみがえったのは、塩素の香り、真っ赤に埋められた答案用紙、万年筆がカリカリと紙面を走る音。冒頭にあげた、小論文の添削だった。


あのときは、「読む」ではなく「書く」だったけれど。わたしは「書くことを楽しむひとが、ひとりでも増えてほしい」と思っていた。「書く」ことだって、ごく個人的な営みなのに。


 添削をしているとき、いつも思っていた。

きっとわたしの思いはだれにも届かないけれど。うまく伝えられないかもしれないけれど。それでも、朝活か国語の授業かで、無理やり文章を書かされて辟易している彼ら、彼女らのひとりだけにでも、「前より上手く書けたな」と感じる瞬間がきたら。「書くのも悪くない」と思ってもらえたら。

万年筆を強く握りすぎて、たくさん書き過ぎて、いつも手が、指が痛んだ。それは祈りにも似ていた。


 そうこうするうちに時代は変わり、ネットの発達で「書く」が手軽にできるようになった。ブログやSNSだってそうだし、小説投稿サイトはそのさいたるものだ。その結果、「読む」も多様になり、広がりつづけている。


 現在のわたしは、「書く」「読む」喜びを広げるために、具体的に何かをしているわけではないのだが――。


わたしの意志や行動とは関係なく、世界は変わる。その結果、「答案用紙を埋めつくす赤字」に込めたわたしの祈りは、結果として叶えられたのかもしれない。万年筆を握るのではなく、両手をキーボードの上に走らせながら、そう思う。

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