コミュ障だ。書けば書くほど、そう思う
コミュ障だ。書けば書くほど、そう思う。
昔々、コミュニケーションがオフラインのみだったとき。
「対面のコミュニケーションは苦手でも、文章なら伝えられる」と思っていた。
甘かった。幻想だった。
この15年ほど、mixiだTwitter(現X。以下同じ)だとオンライン上での、文字によるコミュニケーションの比率が増えている。
そこで知り合う人との人間関係の濃淡はさまざまだ。リアルで会ったことがある人、ない人。何回かリプライをくれた人、そうじゃない人。
求められるコミュニケーションは、その濃淡に合わせて距離感をあやまたず、礼を失しず、固すぎずやわらかすぎず。
Twitterで相互フォローの関係だと、つぶやきを常に見ているので、リアルな知人よりずっと距離が近く感じることが(わたしには)ある。
ただ、それは距離感の一種のバグであり幻想なので、思うがままにリプをするとコケる。相手に不快感を与えてしまう。
クソリプやおっさん構文など、コミュニケーションの不全への非難はやむところがないが、「わたしは『やってしまう』側の人間だ」といつも思う。
オンラインでのコミュニケーションが増え、さらに仕事の原稿だブログだ小説だと書いていて気がついたのは、文章を書くこともコミュニケーションである、という何をいまさらな真実だ。
なかでも「自分の脳内にある空想を、他人にわかりやすく、できればおもしろおかしく伝える小説」なんてコミュニケーションの極致だと思う。
「その文章で伝わるか?」からはじまって、「読んでいてよどみないか?」「最低限おもしろいか?」と、終始読み手を意識しないと立ちいかない。
リアルでもTwitterでも、ほがらかだとかいつも楽しそうだとか、好かれる人っている。小説にもそれがある。ポピュラーで明るい作風はストレートに人柄が出るし、暗い話でも重い話でも、作者ががっぷり取り組んで、なおかつ本気で伝えようとしてくる話は、語弊をおそれずいえば「好かれる」。目をそむけたくなるネガティブな感情を伝え、読ませるのは他者を意識して書いているからこそで、広い意味でのサービス精神があるってことだから。
小説投稿サイトはときとしてSNSの一種として機能している。ことに「カクヨム」は、書き手同士の交流が生まれやすい。
とはいえ、つながりができるのは、まず、その人の作品を本気でいいと思えて、創作姿勢に共感ができる場合のみだと思う。わたしの経験だと、交流が生まれるとき、書いているジャンルの類似はあまり関係ない。
文字通り創作を通じてつながるわけで、そこには嘘や同情やなれ合いがあまりない。もちろん付き合いの濃淡が影響しないわけではない。でも、ある作品を気に入ってフォローしても、別の作品をのべつまくなしに褒めたりはしない。
いいと伝えるのは、いいと思ったときだけ。これが基本だと思う。
界隈は広いので、そうではないコミュニティもあるだろう。けれど、比較的ニッチな作品を書いているわたしから見える風景はそうだ。
だからこそ、「すばらしい!」と思った人様の作品に、感想やレビューをきちんと書きたいと思うことがある。そこにはやはり、作品を読み取り、その良さを伝えるというコミュニケートが発生する。感想であれば、「それを読んだ作者がどう思うか。不快な書き方をしていないか」「適切な距離感の書き方」が求められる。
これ、自然にできる人はできている。わたしはぜんぜん自信がない。
「この作品、好き!」と思ってコメントをしても、何か気をつかわせてしまっている……? と感じることも多い。
交流面を除いても、小説は書けば書くほど、自分の未熟さを見せつけられる。そのつたなさに直面すれば内面の浅さがはっきりわかるし、わかりにくい文章に気づけば、ひとりよがりな自分に赤面する。
とにもかくにも「書く」ことを通して、自分のコミュニケーションのだめだめっぷりを実感する日々なのである。そのだめだめっぷりは、創作には如実に表れていると思う。
それでも書くことは楽しい。
頭の中にあることを取り出して、稚拙でもよいから表現する。ぎこちなくとも世界と登場人物が動く。上手くいけば、それが人の心を楽しませる。
同時に、自分がより良き人間を目指すならば、「書く」は不可欠なのだとも思うようになった。
自分のだめっぷりがはっきりと可視化されるのは何かを書いたときだし、それを乗り越えたいと考えを真剣に巡らせるのも書くときだからだ。
テキスト上のコミュニケーションが難しいとはいえ、対面よりはゆっくりと考え、行動することができる。
というようなことを考えて活動をつづけているのだが、心が折れかけるときもある。が、それを察知してさりげなく声をかけてもらえることも多い。
そういうとき、ありがたいと思うほど、わたしは肩に力が入ってしまう。コメントを返すのが遅くなってしまう。たくさん書いては消し、書いては消しをして、時間をかけて、結局は「とてもうれしいです!」とだけ返すことも多い。下手をすると、何日もコメントを返すことができない。でも、声をかけてもらえるのは、間違えなくうれしいのだ。それに応えたいのだ。
創作の場に限らず、SNSでも仕事のメールでも、飛び上がるほどうれしくて涙ぐんだお褒めのことばほど、返信が返せない。いつも楽しく仕事をし、尊敬していた編集さんからいただく異動の挨拶メールも同様だ。
正直、コミュ障が一朝一夕で治るとは思っていない。それでも少なくとも、そういったありがたい好意には、しっかりと返せる自分でありたい。この「しっかり」にはスピード感もふくまれる。
このテキストは、「投げたいもの・打ちたいもの」というお題に沿って書いたものだ。今のところ、暴投しがちではあるけれど、投げることはやめていない。それに加えて、わたしは打ち返したい。いろんな人の気持ちに、ことばに、しっかりと打ち返せるようになりたい。簡単なことばでいいから、すばやくお礼が言える自分になりたい。
正直、他人様に読んでもらうことを前提にした場で、「文章の場でもコミュ障だ」と書くのもどうかとは思う。それでも、前に進むために、いまのわたしの記録として、書いておく。
***
2023年3月初出の文章。
「投げたいもの・打ちたいもの」というお題に寄せて書いています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます