ご主人様は浮気症?

 何とか家に帰ってこれた私たち。クロはボロボロのシロを見たからか、または少し落ち込んだ様子の私を見たからか何かを察して息を少し長く吐き出した。


「とりあえずおかえり。たくさん買ってきたね」


 どこか唖然と立ち尽くす私の持つ荷物を取りながらそう呟く。私はその声に我に返り、靴を脱いだ。


「全部必要な物だけど、やっぱり二人分となると多くなっちゃって」

「重かったでしょ。こいつに全部持たせりゃ良かったのに」

「シロにはお皿とかその他もろもろ大きくて危ない物持たせてたから。これくらいは持つよ」


 私はそう言いながら買ってきた物を袋から出して机に並べていく。クロは私の言葉にどうやら納得がいかないようだ。シロを若干睨みながらマットレスの包装を開けるなどの作業を手伝っていた。

 今しているのは買い忘れがないか、間違いはないかの確認だ。確認が終われば片付けやらはシロに任せて私たちは駅前にあるショッピングモールに行く。シロには悪いが、早めに帰って手伝うことを約束してある。


 確認した結果、お皿は割れていなかったし数にも間違いはなかった。私とクロは、腰に手を置いて息を吐くシロにひとまずの別れを告げて家を出た。


 クロはぶかぶかとした黒パーカーに体のラインがはっきりと見える伸縮性のある黒のパンツを履くという全身黒コーデだ。スニーカーは白だけれど、ばっちり不審者の格好に当てはまる。だが、そのスタイルの良さが不審者どころか撮影にきたモデルのようになっていて、すごくおしゃれだった。

 イケメンとかってきっと人生楽しいんだろうな。平凡顔の私は美男美女の皆さんが本当に心の底から羨ましいです。美人にも美人なりの苦労があるのだろうけど、私にとっちゃそれも贅沢に聞こえてしまう。


「ジロジロ見て、どうかした?」

「え? ああ、ごめんなさい。あまりにも現実離れした容姿をしてるから、つい」

「ふぅん。まあこんな綺麗な顔した人間なんてそういないからね。どう? 惚れた?」

「ほ、惚れたって、猫相手に惚れるなんてないわ。それにこんな生意気な居候、こっちから願い下げね。顔がいいからって調子乗らないで」


 突拍子もないことを平気で言ってきたクロに驚いたのかなんなのか、慌ててあたふたとしてしまう。私はだんだん余裕そうなクロの態度に少し腹が立ってきた。嫌でもこんな顔が近くにいたら惚れるも何も食ってやりたいわよ。食って、それで、その顔に生まれ変わりたい。

 どうして顔のパーツが違うだけでこんな悲しい人生を歩まなくてはいけないのだろう。まだ中の下よりは少しは上だと思っていた自分の顔も、この二人と比べてしまえば下の下のそのまた下に感じてしまえた。それだけで私は穴を掘ってその下で一生埋もれていたくなる。いっそのこと全ての人がのっぺらぼうになってしまえば楽なのに。

 私はあからさまに肩を落とす。そんな平凡顔の私の悩みも知らず、きっと一生知ることもない隣のイケメンは笑った。


「ツンツンしちゃって。そんなんじゃいつまで経って独り身だよ」

「ええい、今に見てなさい。翌月には婚約してみせるから」

「さすがに一ヶ月の交際で結婚はやめときなよ」


 二十代も後半に突入してくるこの時期は周りが結婚しだす頃でもある。その手の話題は独身者にとってはとても危険な地雷であるのだ。それをよくも容易く皮肉るように言いやがって。

 私だって一ヶ月の婚約は冗談のつもりで、本心で言ったわけじゃないのに正論を心配そうに投げかけるクロ。もう全ての言動に腹が立って仕方ない。それでも、なぜかどこか許してしまうのはこの生意気さの中にどこか可愛さがあるからだろうか。いや、顔の良さで全て許している気がする。

 自分で、私がいつか悪い男に引っかかってしまわないか心配になってきた。


 私のイライラが塵も積もれば山となる状態で蓄積されながら駅に向かって歩いていると、ようやく駅に直結した大きくて近未来的な建物が見えた。田舎者の溜まり場である某ショッピングモールよりも大きくておしゃれな店が集まった夢のような場所。


「いい? 服とか必要な物だけ買うこと。私のお金だって無限じゃないんだからね」


 そう強く意気込んで自動ドアを通っていった。最適な温度の風が体を包み込む。それは眠りに落ちる前の心地よいあの感じと酷似していた。

 しっかりと財布は固く閉じておかなくてはいけない。財布の緩さは意志の弱さ。そう本日の如月語録が胸の中で唱え続けられていた。


「必要な物だけ買うって言ってたのはどこの誰?」

「うっ……」


 既に腕には大量に物が詰められた袋たちが。もちろんクロたちの分もあるけれど、五つ袋があるうちの三つは私のだ。にやにや笑いながら聞いてくるクロの言葉に何も言い返せず、私はクロの視線から逃れるように早足で歩いていく。


「そんなんだから家がゴミ屋敷になるんだ」

「も、もうやめなさい。HPは残りわずかよ……」

「俺は事実を述べただけ」

「それが大ダメージを与えてるのよ。というかゴミ屋敷になったのはこれが原因じゃないから」


 私は複雑な気持ちを全て出すべく体に流れるどろどろとした息を全て吐いた。

 有名な雑貨屋さん。コスメショップ。エトセトラ。普段こんな近くに住んではいるけれど、休みなんかは大半を家の中で過ごしてしまうし、帰宅時にはこんな所に寄れるほどの気力は残っていないから、こうやってショッピングをするのは何ヶ月もしていなかった。

 ネットで見て気になってた商品をいざ実際手に取って見れるとなると興奮してしまって、いつの間にかレジに持っていっていたのだ。そして気づいたらクレジットカードを機械にタッチしていて。

 クロは知らないかもしれないけど、今まで無駄遣いするどころか買いにすら行けずにいたのだから、今日くらい許して欲しい。


 そんな愚痴のようなことを心の中でずらずらと呪文のように並べながら歩いていると、私の視界に大きなモニターに映ったとある人物が入った。


「あ、新崎にいざき駿太しゅんた!」


 私はそのモニターを見るべく、今いる所から吹き抜けの手すりの方に向かって走り出す。一階から二階にかけてある巨大なモニターには一階で行われている公開予定の映画のイベントの様子が映し出されているようだった。私たちは三階にいるけれど、モニターが大きいおかげでよく見える。

 のそのそのと歩いてきたクロが私の隣に並んだ。私の顔とモニターを交互に見てから手すりに肘をついて、興味なさそうにモニターを見つめる。


「何、あの男」


 ちょっと嫉妬深い彼氏のような言葉を低めの声で放つ。


「新崎駿太っていう俳優さん。歳が同じで子役のときから応援してるんだ」

「好きなの?」

「当たり前じゃない。好きだから応援するんだよ。今日来てたんだぁ、もっと早く来れたら一階のイベント席で見れたかもなのに」


 私は項垂れながらも司会の問いかけに答える彼を見ていた。

 駿太くんを初めて見たのはとあるドラマ。当時大人気アイドルの息子役としてデビューを果たす。ただ世間の目はそのアイドルに集まってしまい、駿太くんが日の目を浴びることには至らなかった。

 だが、このドラマのおかげで私は駿太くんを好きになれた。お母さんがそのアイドルを好きだったということもあってたまたま見ていたテレビ。そこに映った駿太くんに、私は一目惚れした。顔のかっこよさはあるけれど、お芝居をするその目がとても魅力的だったのだ。

 それからというもの事務所に手紙を送り続け、ファンクラブができた際には真っ先に入会。ありとあらゆるイベントには参加してきた。しかし、最近忙しいこともあって十年以上も続けてきた習慣は壊れていた。だから、と言うと言い訳じみてしまうけれど、今日こんなイベントがあるなんて知らなかった。それがとてつもなく恥ずかしく思えた。公式サイトとかSNSをチェックし忘れて全く情報を追えていないでいる。こんなのでは会員番号二番を名乗れっこない。


「……気に食わない」


 隣のクロはぼそりと呟く。普段なら聞こえない声も、すぐ隣にいるからどんなに小さな声であろうともしっかりと耳に入ってきた。


「何が気に食わないの?」


 私がそう尋ねてもクロは黙り込んだまま。何かを考えているのかゆっくり口を開いても、また閉じてしまう。無理に喋らせることでもないかと私はモニターの方に顔を向けた。久しぶりに生で聞く駿太くんの声に私は少しむず痒くなる。

 その時、ぐいと隣から手が近づいてきて私の頬を掴んだ。掴まれた私の顔はクロの方を強制的に向かされている。少し頬を赤らめたクロとは鼻と鼻が触れ合うくらいに近い。


「ちょ、ちょっと人が多いからそういうのは──」

「俺だけ見てよ」


 止めようとしたけれど溢れ出てしまった心の声なのか、どこか複雑な気持ちが混じったような声。苦しいのか少し眉根を寄せている。


「ど、どういう意味?」


 何を言うのが正しいのか分からない私が必死に絞り出した答え。クロは視線を彷徨わせ、私の顔を掴む手の力を緩めた。


「分からない。俺のご主人様が思った以上に浮気症っぽいから、ちょっと心配なだけ」


 そう言うとクロは顔を逸らして視線をモニターに戻してしまった。彼の目には駿太くんの笑顔が映っている。結局、クロが何を思っていたのかなど何が何だかよく分からずじまい。それでもこれ以上駿太くんを見続けるのはよくないかなと思い、私はその場を離れた。クロは少し後に私を追いかけるようにして歩いてきた。

 駿太くんはもちろん大切な推しだけれど、今日の目的は駿太くんではない。シロとクロのために来たのだ。目的を忘れてはならないと誓い、駿太くんに背を向けた。

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